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日記 … Kametarou Blog
「南京事件」について(「20世紀全記録」)
小松左京、堺屋太一、立花隆の3氏がアドバイザーをつとめた「20世紀全記録」という書がある。1375ページの大著である。この中の1937年11月のページは半分のスペースを使って「南京事件」を説明している。これを全文引用しよう。
12・13 松井石根が司令官を務める中支那方面軍が、国民政府の首都であった南京を占領した。国民政府はすでに重慶へ遷都して徹底抗戦を続けることを決め、蒋介石も12月7日に飛行機で脱出していた。
12月に行われた日本軍の杭州湾上陸作戦の成功で、背後からも攻撃された上海方面の中国軍はそうくずれとなって背走した。これを追撃する日本軍は、中央の命令を時には無視して前進し続け、12月1日、ついに大本営も南京攻略を命令した。これを受けて南京周辺に迫った日本軍は6師団20万人で、攻略をする。城内の中国兵は約10万人といわれた。
9日、松井は南京防衛司令官に対し、「抵抗するものには峻烈だが、民衆や敵意のない軍隊は冒さない…」と降伏勧告を行ったが、城内から回答はなかった。このため、日本軍は10日から総攻撃をはじめ、中国側の守備隊は12日になると本格的な退却に移り、日本軍は大した苦戦もせずに続々と城内に突入、この日夕方、南京を占領した。
この南京占領にあたって、日本軍による残虐行為の限りが尽くされた。城内に入った兵士たちは統制を乱し、平静を失っていた。彼らは、兵隊ばかりか捕虜や一般市民、難民まで虐殺し、婦人に暴行を加え、放火や略奪を繰り返した。この状況は2カ月にわたって続き、犠牲者の数は「20万人以上」(極東国際軍事裁判での判決)ともいわれる。
一方、日本国内ではこうした事実も知らされないまま、国民は戦勝に酔った。14日には東京で大祝賀行事が繰り広げられ、東京市議会は戦勝祝賀文を満場一致で採択、全国で提灯行列が行われる。
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