来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
伯叔父母たち
母の兄弟姉妹は9人いた。現在は一人の叔母と叔父の奥さんが健在で子どもや孫たちといっしょに楽しく暮らしている。
先日、一番下の叔父のつれ合いだった叔母が逝去した。
昔は暮らしも楽でなく仕事も(主として農業だったから)きつかったのによく多くの子どもを産んで育てたものだと感心する。お通夜に親戚やいとこたちが集まって、そのような話をしながら昔を偲んだ。いとこは26人。「いとこ会」をやるか、などという声も出るが、実際に集まっても共通の話もないだろうから、話が出ただけということで終わるのだろう。
私の知っていることでいえば、9人の伯叔父母たちで恋愛結婚をしたのは、一番下の叔父とこの間亡くなった叔母だけのようだ。他は皆親がきめてくれた縁談でまとまった。しかし離婚した人は誰もいない。そして戦争の犠牲となったのは私の父親だけだった。叔父たちは皆戦争に行った(予科練候補生で終わった人もいた)が命を奪われた人は一人だったことが、不幸中の幸いだったと言えよう。
私の父親は昭和17年秋に中国で死んだ。母は新潟の婚家を離れて和寒の実家に戻った。苦労に苦労が続いた。
私も中学校を卒業して、和寒の小さい木工場に勤めた。そこの社長が「これからは高校に行った方がいいよ」と言ってくれた。そのおかげで高校に行った。高卒のときには初級公務員試験に合格して、開発局に勤めることができそうになったが、大学も合格したので、札幌に来た。
母はそのたびに「ようやくホットできると思ったのに」がっかりしたとは思うが、私を大学に行かせてくれた。仕送りなどはできなかったが、遺族であったからその方からの補助があったようだ。
苦労するための人生だった私の母も8年前に人生を終えた。
冠婚葬祭の中の特に「葬祭」時に集まる一族はいつもお互いを確かめ合いながら、自分たちの親の苦労を語り合う。最後は「今度集まる時はこの中の誰かの葬儀の時だ」と。
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