来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
コロナ、そしてアフリカではイナゴ(バッタ)、人類の闘いはこれからが本番?
天候の異変は言われ続けている。そして今年の1月からの新型コロナ、さらに今日の道新夕刊ではアフリカではイナゴの大量発生による畑作物への甚大な被害が報じられている。このイナゴ(昔バッタとも言った)がアジアや日本にも出てくるか分からないが、いずれにしてもこれまで経験したことのない天災自然災害が起こるのかも知れない。
人間のこの1世紀前後の動きに対して地球をつかさどる神が怒りだしたように感じるのは私の異常感情なのだろうか。
イナゴのニュースを見て、すぐ思い出したのは、かつて私が非常な感銘を受けて読んだ北海道ゆかりの作家船山馨(1914-1981)という人の代表作「石狩平野」だった。明治の初め、淡路から北海道に移住することを余儀なくされた主人公の鶴代のまさに劇的といっていい人生を描く大作である。
明治13年から3年間、札幌を襲ったイナゴの大群は札幌で開拓を始めた農民たちに甚大な被害をもたらした。この一部を前記「石狩平野」から引用してみよう。
羽化後およそ7、8週間に6,7回の脱皮… 初めは方位を定めず、乱舞するのみにて遠く走らず。…、2,3の脱皮を経れば、一群みな方向を同じゆうし、天を覆い陽を遮切りて群飛す。… その飛下するところは、青草は色を変じ、草原もまた赤土と化す。食物尽くるにあらざれば他に飛転せず。(これは明治13年の役所の報告書)。
「バッタだ! バッタが来たぞ!」 同じ叫びがあちこちから起こっていた。石油の空き缶を乱打する音が畦を走った。… 楕円形だった汚斑(しみ)は、濡れ紙のうえに墨を流したように空を浸蝕して、すでにそのあたりに青空はなかった。…
「…燃えるもんは何でも持ってこい! 早くだ…」
… 火の壁は耕地のあちこちから燃え立った。(稲も燃えた。畑も燃えた)。
そしてこのバッタとの闘いの中で主人公鶴代の父も焼け死んだ。
札幌の手稲区にバッタ塚がある。道内各地もあるとのこと。
21世紀になってこういうこれまでにあった闘いを何倍も拡大した闘いを人類はしていかなければならないのではないだろうか。そしてこの未知なら敵との人類の闘いはまさにこれからが本番なのではないだろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 補聴器 | アベノマスク? » |