来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
江戸期の俳人「松尾芭蕉」2
「おくのほそ道」、これからもじっくり読んでいこうと思っている。できれば「ほそ道」の一部の土地に行けたらうれしいのだが、とも願っているのだが。
3月29日のブログ「松尾芭蕉1」に続いて。ネットにある記事を載せただけ。
生まれ:寛永21年(正保元年)(1644年) 伊賀国阿拝郡。
「細道」が終わるのは1689年。
死没:元禄7年10月12日(1694年11月28日)摂津国西生郡大坂南組南久太郎町。50歳の人生。
最後の句: 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
13日、遺骸は陸路で近江(滋賀県)の義仲寺に運ばれ、翌日には遺言に従って木曾義仲の墓の隣に葬られた。焼香に駆けつけた門人は80名、300余名が会葬に来たという。
内縁の妻はいたというが(寿貞という名らしいが一緒にいたときの名前は不明)、子どもはいたとか実子ではないとか。
ウクライナの教科書に芭蕉が出ているという。
NHK衛星ハイビジョン2009年1月11日16:00『地球特派員スペシャル』にて岡本行夫がウクライナから持ち帰った中学2年生の教科書を示しての放映だったと。
3月29日のブログ「松尾芭蕉1」に続いて。ネットにある記事を載せただけ。
生まれ:寛永21年(正保元年)(1644年) 伊賀国阿拝郡。
「細道」が終わるのは1689年。
死没:元禄7年10月12日(1694年11月28日)摂津国西生郡大坂南組南久太郎町。50歳の人生。
最後の句: 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
13日、遺骸は陸路で近江(滋賀県)の義仲寺に運ばれ、翌日には遺言に従って木曾義仲の墓の隣に葬られた。焼香に駆けつけた門人は80名、300余名が会葬に来たという。
内縁の妻はいたというが(寿貞という名らしいが一緒にいたときの名前は不明)、子どもはいたとか実子ではないとか。
ウクライナの教科書に芭蕉が出ているという。
NHK衛星ハイビジョン2009年1月11日16:00『地球特派員スペシャル』にて岡本行夫がウクライナから持ち帰った中学2年生の教科書を示しての放映だったと。
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