来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
広島・長崎「原爆の日」
今日は長崎に原爆が投下された日だ。広島は6日。そして今度の土曜日の15日が「終戦」の日。いつもこの時期になると思い出す。1945年の8月を。
何度も書いた来たが、私は小学校2年。東京の大空襲が3月10日、沖縄戦争が4月1日から6月23日まで、そして8月の二つの原爆投下とポツダム宣言受諾の15日。道北の田舎の村ではこれらのなまなましいニュースはほとんど目や耳に入ってこなかった。しかもこの時期は夏休みだったし、米軍の空襲は室蘭・小樽・函館・旭川などにはあったが、ラジオも新聞もなかった田舎ではそれこそ「風のたより」程度だったのではないだろうか。
8月15日も例の放送も聞くことはなかった。街から帰ってきた叔母さん(だったろうか?)が「戦争終わったらしいよ」というようなウワサをしていた。
だから原爆の悲惨なようすなど今日は映像をまじえて放映されているが、こういう映像に接することになったのも何日か経ってからだった。
だから原爆の悲惨なようすなど今日は映像をまじえて放映されているが、こういう映像に接することになったのも何日か経ってからだった。
北海道の片田舎は、そういう世界の悲惨な状態からは離れていたといえるのだろう。
私にとっては、「戦争」は父親の戦死とこれに伴って母の実家に逃げ帰ったこと、その関連したことがらだった。田舎の小学校に都市部から「疎開」してきた人たちの子どもたちが何人も転校してきた。しかしこの疎開は別として戦争の恐ろしさは直接的な体験としてはそれほどはなかったといえるかも知れない。だからタイトルの「原爆の日」も数年後からの「日」だった。
しかし昨年も長崎に行って原爆関連の展示や資料を目にしたり話を聞いたりして、自分の戦争体験をおさらいした思いだった。
日本は核禁止の世界の世論にまだ同期していないのだ。「敵基地攻撃」を準備するとか、ひどい話が現実化している。この日本の主流が脱皮していないピンボケ感覚をなんとかしないと犠牲になった無数の「英霊」に申し訳がたたない。
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