かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

帰路のフライト

2018-07-02 12:11:31 | ブログ記事
盗難に遭った記事でイギリス紀行を締めくくるのは何なので、
そのあとのことも少し書いておきます。

ヒースロー空港を飛び立った私達は
乗り継ぎのフランクフルト空港で3時間あまりを過ごしました。

おもに免税店を見て時間つぶしをしましたが、
ふと見ると↓、ベンチにこんなおじさんが座っています。



誰かわかりますか?

そう、アインシュタインですね。



この空港の人気者のようで、皆、このおじさんと一緒に写真に収まっていました。

わたし?

もちろん。

だけど、写真はお見せしません。

お見せするほどのものじゃないですから。^^

フランクフルト空港を飛び立って間もなく、お楽しみの機内食が!(^^)



メニューは、

でした。

私は乗り物の中で食べ物を食べるのが大好きで、
バスでもですが、飛行機で食べるのはもっと楽しみです。
あったかいご馳走が出ますからね。

このあと、先日の記事に書いた通り、英文の字幕付き邦画を三本見てから眠りました。

往きは日本時間の朝とびたちますから、眠れませんが、
帰路は朝出るといっても、日本時間は夜ですから、眠れますね。

次に目覚めると、もう関空でした。

楽しかったツアーも終わりと思うと寂しい到着です。

また行きたいと思うのも、この空港ですけれども···。

ところで、今回のツアーで、夫は私を探すのに苦労したと言います。

なぜかというと、私が現在、頭髪を金髪にしているからです。

それも白髪交じりの金髪。

向こうに行っても昼間うろうろしいているのは、われわれと同年配のリタイヤした人たち。

私は身長が160センチあって、向こうの人の中に紛れ込むと判別しにくいらしいのです。

お陰で夫は何度もイギリスのマダムに声をかけそうになった?(笑)

それも今回の旅の楽しいエピソードです。

6月25日「ロンドンヒースロー空港で置き引きされる」の記

2018-07-02 00:16:50 | ブログ記事

帰国の日は、ロンドンのホテルを朝4時に出発予定だった。

ということは、

朝シャワーを浴びる私は午前2時には起きなければならないと、

前日の夜は午後9時にベッドインした。

そうすれば、4時間あまり眠られると計算してのことだった。

ところが、私は夜中の12時に目覚めてしまった。

もう一度寝直し出来ないわけではなかったが、寝過ごすことが怖くて、そのまま起きていた。

午前3時にホテルのロビーに降りた。

朝食用のサンドイッチが配られたので、食べる人、カバンにしまう人と、二通りに分かれた。

私は空港の待ち時間に食べようとカバンにしまった。

一行は定刻4時にホテルを出て、バスでヒースロー空港に向かった。

私は予定通り、空港での待ち時間にサンドイッチを頬張った。

お腹が満たされると、急に睡魔が襲ってきた。

夫がポンドを使い切ってくると、空港の免税店に行ったあと、私は空港の待合室の椅子に座ったまま居眠ってしまった。

添乗員さんが居眠っている私のところに来て起こして、「ご主人は?」と聞いたとき、私は半分寝ぼけていたと思う。

私が眠る前、私の周りにいたツアーの一行は、そのとき一人もいなくなっていた。

添乗員さんが、

「みな搭乗口のほうに行っていますので、ご主人と一緒に来てください」と言われるから、
急いで夫を探しに行った。

が、見つからないので元の場所に戻って待っていると、まもなく夫がチョコレートをいっぱい買って戻ってきた。

「どうして、そんなに時間がかかったの?」と文句を言う私に夫は取り合わないで「僕のカバンは?」と聞く。

その期に及んで、私はやっと夫がカバンをおいていったことに気づいた。

が、時すでに遅しで、

夫のパソコンやら道中に買ったお土産の入ったカバンは影も形もなかった。

これが、夫のカバンを置き引きされた顛末である。

そんなわけで、私達は断腸の思いで、ロンドンヒースロー空港を後にしたのであった。


新しいパソコンや、孫に買ったお土産を失くしたことは残念ではあったが、
せめて旅先でも取り組んでいた仕事は完成させて日本の取引先に送信したあとだったのは、
不幸中の幸いだったと言えるだろうか。

盗られたと気づいた直後の私は、
ショックでへなへなとなってしまったが、
夫が落ち着いて対応してくれたことが救いだった。

夫は、
「僕が一言頼んで行けばよかった」と、むしろ私をかばう言葉を発したので、
私は救われた。