かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

私は難聴だけど、夫は健忘症?

2018-07-17 21:13:27 | ブログ記事
一つ前の記事に叔父さんのお見舞いに行ったことを書いた。

このお見舞いに行くのに、また夫と喧嘩してしまった。

理由は、

夫が電話で叔父さんの入院している病院名を聞いてくれたのだが、
これがあいまいで、1時間足らずで行ける距離に、
3時間近くかかってしまったから。

私は、家を出る前に夫が聞いた病院名を検索したのだが、ヒットしなかった。

夫は、いつも出発してから、私に探せと地図を押し付けたりしていた。
私をカーナビ代わりにしていたのだ。

乗り物の中で地図の文字を探すのは、老眼には辛かった。

なので、

私は車を動かし始める前に地図で確かめておいてほしいと思うのだが、
それを言うと夫は怒りだす。

最近はカーナビができて、地図で確かめなければならないことはなくなったが、
目的地の地名などがあいまいだと、
カーナビがあっても、なかなか目的地には着けないので、
今日も、私は心配して、夫に何度も確かめるのだが、
夫は「近くまで行けばわかる」と言う。

が、結局、私の心配した通りになった。

私は車でぐるぐる探し回ることは避けたいので、

従弟にメールで、

「目印になるものはありませんか?
教えてもらった病院をネットで探すのですが、見つかりません」

と打った。

すると、従弟から折り返し夫のスマホに電話がかかり、
病院への行き方の説明をしてくれた。

私は、その病院名を自分のスマホのカーナビに入れた。

すると、夫の車のカーナビとは全然違う説明をする。

私のスマホのカーナビのほうが正しいみたいなので、
それを言うと夫は、突然怒り出して、「車から降りろ」という。

車でないと行けない場所にある病院だったので、

仕方なく乗っていたけれど、

怒った人の横に座っているだけで、私は胃が痛くなった。

夫が怒り出した発端は、

私が、

「最近、聞いた端から忘れるようだから、電話を聴きながらメモをとったら?」

と言ったことからだった。

夫は、

「難聴のおまえは、なぜ人と話をするときに書いてもらわないか」

と矛先を私に向けてきた。

私が、

「それは私もしてもらいたいと思っているけれど、
他人はなかなかそれをしてくれない」

というと、

夫は、

「いつも白板を出して書いてもらえ。それをしないのは、おまえの怠慢だ」

と怒った調子で言う。

私は、夫は何もわかっていないと唇をかんだ。

白板を差し出しても、書いてくれる人は少ないし、

その白板をいつも持参するのも嵩張って荷物になる。

持参したとしても、スマホも入れたカバンからその白板を出し入れすると
スマホを落としそうになったりする。

だから、私としては、あまり持ち歩きはしたくない。

必要なときは持参しているメモ用紙に書いてもらえるように、
メモ用紙は常に携行している。

が、このメモ用紙を取り出したりすること自体、現実には難しいことが多い。

主治医の先生ですら、お願いしても書いてくださらないくらいだから。

白板を出してお願いすると、私の耳元に口をつけて声を張り上げるだけだ。

よほど書くことが面倒なのだろう。

医師ですら、その程度の理解だから、一般の人の理解は推して知るべしだ。

それが夫にわからないのだろうか。

わからないはずはない。

夫は私に嫌がらせを言っているのだ。

私が、夫の、聞いた端から忘れる健忘ぶりを指摘したから仕返しをしているのだ。

確かに私は難聴である。

しかし、記憶力は人より優れているかもしれないと自負している。

だから、聞き間違いとかをしなければ、
大概のことは正確に記憶できると思っている。

子供の頃から、

「びこは、いったん覚えたら忘れない子だ」と言われてきたことからしても・・・。

ひょっとすると、これは難聴から得られた私の特技みたいなものかもしれない。

で、結局、私たち夫婦は、

片や難聴、片や健忘症という欠陥夫婦であるということだ。

★難聴のわれの連れ合ひこの頃は健忘症になりて忘れる

★難聴のわれと健忘症の夫(つま)怒りやすくなりて喧嘩を

せっかく子や孫と一緒にいた三日間は

車の運転は長男がしてくれたこともあって、

曲りなりにも仲直りしていたのに・・・。(溜息)


お見舞い

2018-07-17 17:05:06 | ブログ記事
従弟から義叔父(亡叔母の夫)さんが、いつ亡くなるかわからないと聞き、急いでお見舞いに。



もうなにも食べられなくなっていて、話しかけても反応がない。

この叔父さんには、先日書いた広島の大叔父さんと同様、
義理の仲なのに、ずいぶんお世話になった。

つい最近まで、「びこちゃんに食べさせてやりたい」と
毎年二回高知の明神水産の鰹たたきを送ってくれていた。

父を早く失くした私にはもう一人の父親のような存在でもあった。

叔母亡きあとも、ずっと変わらず可愛がってくれてきた。

だから、いつまでも生きていてほしい人だが、それは叶わないことだ。

歳を取るということは、こうして自分の味方を失っていくことかと今かなしみを噛み締めている。

★従弟よりメール来たりて叔父さんはいつ亡くなりても不思議はなきと

★叔父さんと叔母は祖父母の反対を押し切り恋愛結婚したり

★引き離すために祖父母は広島の大叔父さんに叔母を預けし

★離しても効果はあらず叔父さんと叔母は結婚してしまひたり

★父親を早く亡くしし叔父さんは人より頑張る人でありにき

★頑張りて会社を興し家を建て叔母は社長夫人でありにき

★胃がんにて六十二歳で叔母は死にそののち寡(やもめ)でありし叔父さん

★叔母のゐぬ家を守りて叔父さんは孫のお風呂の世話もしてゐき

★叔母の死ののちを三十年(みととせ)生きて今死にかけてゐる叔父さん見舞ふ