かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

孤独は悪いものじゃない

2018-07-11 08:49:51 | ブログ記事
私は難聴ということもあって、人と群れることはしない。

群れたくても群れることができないともいえる。

難聴の程度が軽いときは、それが寂しいときもあった。

が、難聴も進んで高度難聴になると
群れたくても全く群れることができなくなってしまった。

それが遠因になって、過去、鬱病にもなった。

また、これは現在も続いているが、ネット依存症にもなった。

ネットだと、聴覚障害を気にしないで人と交流できるから、
人との付き合いに飢えていた私はたちまち依存症になった。

これは仕方ないと思っている。

が、リアルな社会では、今でも孤独である。

川西に引っ越してきて、今年で足掛け12年になるが、近所に友達はいない。

地区の自治会の役員も難聴を理由に夫に出てもらうから、知人すらいない。

そんな私には、夫だけが頼りだったが、その頼みの夫も最近は別居している。

ひょっとすると、夫も難聴の私が重荷になったのかもしれない。

そういうわけで、現在は全くの孤独である。

が、孤独は悪いものではない。

と、逃れようのない孤独になって気づいた。

最近は、

むしろ人と群れて失うもののほうが多いとさえ思う。

人によっては、こんな私のことを変人のように思うかもしれない。

そんな人には思わせておくさ。

独りでいても、ブログがあるし、本がある。

声を出さずに、朝晩、草花に語り掛けている。

水をやりながら、世話をしながら植物に語り掛ける。

私が語り掛ければ、草花は応える。

それで充分だ。

どうせ一人で生まれて一人で死ぬ人間だ。

★孤独こそ此の世に生きる意味を知る玉手箱なり開けてみるべし

★草花に語りかくれば草花は返してくるる声なき声を

さるブログ記事で、聴覚障碍者は中身がないと書かれてあったが、むしろ逆だ。

孤独でいる分、日々、己の中身を磨いている。

★聴覚に障害あれど頭まで障害あると思ふなよゆめ

★聴覚の障碍者見て偏見を持つ者こそが障碍者なり

★選ばれし難聴者なり選ばれて孤独の生を孤独に生きる