私が政治的な断定を避けたいと思うのは、
しょせん、私たちが知る政治知識というのは、
テレビ、新聞等、(最近はこれにネットが加わります)から得た間接的なものであるからです。
わが家は長い間、朝日新聞を購読していました。
が、ある人の意見を聞いてから、産経新聞に変えました。
替えた当初は、新聞によって、これほども見方が違うのかと驚きました。
私にとっては、コペルニクス的転回でした。
そして、だんだん朝日新聞の意見が絶対正しいわけではないと思うようになりました。
朝日新聞を購読していた頃は、
日本は第二次世界大戦で、韓国や中国に多大の損害を与えたと思い込んでおりました。
が、産経新聞を読むようになって見方が変わりました。
考えてみれば、
自分を基準に考えても、
日本人がそれほど悪辣なことをするはずがないという考えに傾いてきたのです。
本当に悪辣なことをしていたら、
戦前、中国を支配していた、現、台湾の人たちが親日家というのは
辻褄が合わないと気づいたのです。
新聞、テレビの影響は大きいですね。
われわれは、直接現地に行って確かめることができませんから、
結局、私たちの政治的な意見というのは、多かれ少なかれ、
テレビ、新聞の影響に培われたものなのです。
だから、Aさんが朝日新聞を購読していたら、自虐史の考えに傾くし、
Sさんが産経新聞を読んでいたら、右寄りの考えに傾くというわけです。
一つの出来事でも、
象の足を見ている人と、象の鼻を見ている人とでは、象の印象が異なってきます。
さらに象の目を見る人には、まったく違った象が見えることでしょう。
そのように、私たちの考えというものは、
多分にテレビ、新聞の、最近はインターネットの、影響下にあるということです。
私は、現在は、産経新聞を購読していることもあって、
どちらかと言えば、右寄りな考えに傾いていますが、
しかし、過去、何十年も朝日新聞を購読してきた歴史から
左寄りの考えを持つ人のことも理解できます。
私達の政治的意見というのは、
所詮、そんな程度のものだと認識しておいたほうがいいかもしれません。
このブログにコメントくださったお二方のご意見が真逆であったことから、
そんなことをつらつら考えてみました。
しょせん、私たちが知る政治知識というのは、
テレビ、新聞等、(最近はこれにネットが加わります)から得た間接的なものであるからです。
わが家は長い間、朝日新聞を購読していました。
が、ある人の意見を聞いてから、産経新聞に変えました。
替えた当初は、新聞によって、これほども見方が違うのかと驚きました。
私にとっては、コペルニクス的転回でした。
そして、だんだん朝日新聞の意見が絶対正しいわけではないと思うようになりました。
朝日新聞を購読していた頃は、
日本は第二次世界大戦で、韓国や中国に多大の損害を与えたと思い込んでおりました。
が、産経新聞を読むようになって見方が変わりました。
考えてみれば、
自分を基準に考えても、
日本人がそれほど悪辣なことをするはずがないという考えに傾いてきたのです。
本当に悪辣なことをしていたら、
戦前、中国を支配していた、現、台湾の人たちが親日家というのは
辻褄が合わないと気づいたのです。
新聞、テレビの影響は大きいですね。
われわれは、直接現地に行って確かめることができませんから、
結局、私たちの政治的な意見というのは、多かれ少なかれ、
テレビ、新聞の影響に培われたものなのです。
だから、Aさんが朝日新聞を購読していたら、自虐史の考えに傾くし、
Sさんが産経新聞を読んでいたら、右寄りの考えに傾くというわけです。
一つの出来事でも、
象の足を見ている人と、象の鼻を見ている人とでは、象の印象が異なってきます。
さらに象の目を見る人には、まったく違った象が見えることでしょう。
そのように、私たちの考えというものは、
多分にテレビ、新聞の、最近はインターネットの、影響下にあるということです。
私は、現在は、産経新聞を購読していることもあって、
どちらかと言えば、右寄りな考えに傾いていますが、
しかし、過去、何十年も朝日新聞を購読してきた歴史から
左寄りの考えを持つ人のことも理解できます。
私達の政治的意見というのは、
所詮、そんな程度のものだと認識しておいたほうがいいかもしれません。
このブログにコメントくださったお二方のご意見が真逆であったことから、
そんなことをつらつら考えてみました。