「金髪気分」の裏側で書いていた
「やはり死刑には賛成できない」に続けての記事です。
あちこちのブログ記事を読ませていただいても、
オウムの幹部たちの死刑は当然という意見が並んでいます。
殺人に対する贖罪は死刑しかないというふうに。
たしかにそうかもしれません。
が、私は自分が歌を作る人間なので、
歌を作る人間同士通じ合うある種の共感は禁じえません。
さるサイトで、処刑された中川智正は俳句を吟じていたと知りました。
歌も詠んでいます。
恐ろしき 事なす時の 我が顔を 見たはずの月 今夜も静(さや)けし
中川智正
よくわかる歌ですし、歌それ自体はいい歌だと思います。
こんな感性を持った人が殺人するときの気持ちはと私などは忖度してしまいます。
彼のしたことは絶対許せないことではありますが、
オウム真理教を信じていた彼にしてみれば、
間違った考えを持った人間をポアすることは善行と信じていたのです。
ポアして幸せにしてやらなければならないと思い込んでいたのです。
間違った宗教にのめり込むことの恐ろしさを彼の犯行で教えられました。
私には他人事とは思えません。
よくオウム事件と比較される事件に「あさま山荘事件」があります。
この事件の主犯だった坂口弘も歌を詠む人です。
というか、死刑囚になってから詠むようになったようです。
今日とどいた、さる結社の記念号に載っていた彼の歌。
女らしさの総括を問い問い詰めて「死にたくない」と叫ばしめたり
坂口弘
この歌を詠むことで、私には、坂口弘が百万回謝罪の言葉を述べるより
事件の被害者への謝罪の気持ちを伝えていると思います。
坂口弘は、こんな歌も詠っています。
あらざるにわが子の名前を考へをり死刑囚にして独り身のわれが
坂口弘
にも、彼の深い悔悟の気持ちを読み取るのですが、
世間の人たちは、そんな私をも許さないかもしれませんね。
私は、彼らに対しては
「凶悪犯ではあったけれども」と書いた気持ちを捨てがたいです。
歌を詠む同士として。
「やはり死刑には賛成できない」に続けての記事です。
あちこちのブログ記事を読ませていただいても、
オウムの幹部たちの死刑は当然という意見が並んでいます。
殺人に対する贖罪は死刑しかないというふうに。
たしかにそうかもしれません。
が、私は自分が歌を作る人間なので、
歌を作る人間同士通じ合うある種の共感は禁じえません。
さるサイトで、処刑された中川智正は俳句を吟じていたと知りました。
歌も詠んでいます。
恐ろしき 事なす時の 我が顔を 見たはずの月 今夜も静(さや)けし
中川智正
よくわかる歌ですし、歌それ自体はいい歌だと思います。
こんな感性を持った人が殺人するときの気持ちはと私などは忖度してしまいます。
彼のしたことは絶対許せないことではありますが、
オウム真理教を信じていた彼にしてみれば、
間違った考えを持った人間をポアすることは善行と信じていたのです。
ポアして幸せにしてやらなければならないと思い込んでいたのです。
間違った宗教にのめり込むことの恐ろしさを彼の犯行で教えられました。
私には他人事とは思えません。
よくオウム事件と比較される事件に「あさま山荘事件」があります。
この事件の主犯だった坂口弘も歌を詠む人です。
というか、死刑囚になってから詠むようになったようです。
今日とどいた、さる結社の記念号に載っていた彼の歌。
女らしさの総括を問い問い詰めて「死にたくない」と叫ばしめたり
坂口弘
この歌を詠むことで、私には、坂口弘が百万回謝罪の言葉を述べるより
事件の被害者への謝罪の気持ちを伝えていると思います。
坂口弘は、こんな歌も詠っています。
あらざるにわが子の名前を考へをり死刑囚にして独り身のわれが
坂口弘
にも、彼の深い悔悟の気持ちを読み取るのですが、
世間の人たちは、そんな私をも許さないかもしれませんね。
私は、彼らに対しては
「凶悪犯ではあったけれども」と書いた気持ちを捨てがたいです。
歌を詠む同士として。