アメリカのゴミ捨て場で最近見つかったプルトニウムのサンプル(右)は、1945年に行われた世界初の核実験で使用されたプルトニウムの残りだったと、化学者チームが発表した。
ワシントン州にあるハンフォード核貯蔵所の廃棄物置き場で、核廃棄物の処理チームが重さ約383グラム(400ミリリットル)のサンプル(左)を掘り出した。サンプルはガラス瓶で密封され、金庫に入れられていた。
今回の発見の鍵を握るのは、核考古学という新分野の手法だ。これらの手法は核抑止の鍵となる可能性を秘めている。この謎の物質は2004年に掘り出されていたが、年齢や歴史を特定する最先端の手法を用いるまで、起源は不明のままだった。
研究者たちが手に入れたヒントは、テネシー州オークリッジのX-10原子炉へと導くものだった。かつてマンハッタン計画に利用された場所だ。使用済みのサンプルはハンフォードに送られ、再処理された。具体的には、爆弾を製造可能なプルトニウムが核廃棄物から取り除かれた。
ワシントン州リッチランドのパシフィック・ノースウェスト国立研究所に所属する核化学の専門家ジョン・シュバンテス氏は、「こうした核考古学の手法は機密事項ではない。そのため、今回のような物質の起源を突き止めるには何ができるか、その実情を知ってもらう珍しい機会になった」と話す。同氏は今回の研究に参加している。
アメリカ化学会発行の「Analytical Chemistry」誌に掲載された今回の研究は、危険な核物質の起源を特定する能力が高まっている事実を浮き彫りにした。
プルトニウムは自然界にほとんど存在しない。そのため、核兵器を製造可能な原子炉では、ウランから適切な形のプルトニウム、つまりプルトニウムの同位体を作らなければならない。プルトニウムのサンプルが作られた時期を特定するには、プルトニウムが崩壊してウランに戻るまでの速度を図表にまとめる必要がある。
同位体の濃度の違いは固有の“指紋”となって現れ、そこから作られた原子炉を突き止めることができる。ハンフォードで見つかったサンプルの場合、リン酸ビスマスを使ってプルトニウムを再処理したことが明らかになった。この手法は、1940年代のアメリカで産業のみに用いられたものだ。
カリフォルニア大学バークレー校のゴールドマン公共政策大学院に所属するハロルド・スミス氏によると、1949年には“核の科学捜査”の取り組みが始まっていたという。この年、アメリカ政府は中国の沿岸に複数の航空機を配備し、大気中のちりを観察した。その結果、ソビエト連邦が初めて核兵器を爆発させたと判明した。
輸送中のプルトニウムを押収したり、テロリストが何かを爆発させたりした場合、シュバンテス氏が用いたような追跡の手法を使えば、物質の出どころを突き止めることも可能だろう。ただしスミス氏によると、そうしたケースでは盗まれた物質や爆発後の破片を、核物質のメーカーが運用するデータバンクと突き合わせる必要があるという。こうした情報は誰でも手に入るものではない。
原子炉や核の生産に関する情報へのアクセスは、国家安全保障にかかわるデリケートな問題だ。しかし、「国家間の連携は強まっており、国際原子力機関(IAEA)などがデータバンクを作り始めている」と、スミス氏は話す。そうした仕組みは、核物質を違法に入手しようとする者を思いとどまらせる効果があるかもしれない。
ワシントン州にあるハンフォード核貯蔵所の廃棄物置き場で、核廃棄物の処理チームが重さ約383グラム(400ミリリットル)のサンプル(左)を掘り出した。サンプルはガラス瓶で密封され、金庫に入れられていた。
今回の発見の鍵を握るのは、核考古学という新分野の手法だ。これらの手法は核抑止の鍵となる可能性を秘めている。この謎の物質は2004年に掘り出されていたが、年齢や歴史を特定する最先端の手法を用いるまで、起源は不明のままだった。
研究者たちが手に入れたヒントは、テネシー州オークリッジのX-10原子炉へと導くものだった。かつてマンハッタン計画に利用された場所だ。使用済みのサンプルはハンフォードに送られ、再処理された。具体的には、爆弾を製造可能なプルトニウムが核廃棄物から取り除かれた。
ワシントン州リッチランドのパシフィック・ノースウェスト国立研究所に所属する核化学の専門家ジョン・シュバンテス氏は、「こうした核考古学の手法は機密事項ではない。そのため、今回のような物質の起源を突き止めるには何ができるか、その実情を知ってもらう珍しい機会になった」と話す。同氏は今回の研究に参加している。
アメリカ化学会発行の「Analytical Chemistry」誌に掲載された今回の研究は、危険な核物質の起源を特定する能力が高まっている事実を浮き彫りにした。
プルトニウムは自然界にほとんど存在しない。そのため、核兵器を製造可能な原子炉では、ウランから適切な形のプルトニウム、つまりプルトニウムの同位体を作らなければならない。プルトニウムのサンプルが作られた時期を特定するには、プルトニウムが崩壊してウランに戻るまでの速度を図表にまとめる必要がある。
同位体の濃度の違いは固有の“指紋”となって現れ、そこから作られた原子炉を突き止めることができる。ハンフォードで見つかったサンプルの場合、リン酸ビスマスを使ってプルトニウムを再処理したことが明らかになった。この手法は、1940年代のアメリカで産業のみに用いられたものだ。
カリフォルニア大学バークレー校のゴールドマン公共政策大学院に所属するハロルド・スミス氏によると、1949年には“核の科学捜査”の取り組みが始まっていたという。この年、アメリカ政府は中国の沿岸に複数の航空機を配備し、大気中のちりを観察した。その結果、ソビエト連邦が初めて核兵器を爆発させたと判明した。
輸送中のプルトニウムを押収したり、テロリストが何かを爆発させたりした場合、シュバンテス氏が用いたような追跡の手法を使えば、物質の出どころを突き止めることも可能だろう。ただしスミス氏によると、そうしたケースでは盗まれた物質や爆発後の破片を、核物質のメーカーが運用するデータバンクと突き合わせる必要があるという。こうした情報は誰でも手に入るものではない。
原子炉や核の生産に関する情報へのアクセスは、国家安全保障にかかわるデリケートな問題だ。しかし、「国家間の連携は強まっており、国際原子力機関(IAEA)などがデータバンクを作り始めている」と、スミス氏は話す。そうした仕組みは、核物質を違法に入手しようとする者を思いとどまらせる効果があるかもしれない。