ぼやきぼやかれ、ふりふられ。

映画や本や神社や展覧会。あとは日々のつれづれです。

生きてこそ。

2014-09-28 22:15:49 | 日記

自殺をして、
まわりの親い人たちから、

「幸せそうだった」
「思い当たるふしがない」
「なぜなのか、わからない」

と。

皆から愛され親しまていても、
生きるに勝る死への欲求。

その小さな傷を誰にも見せることなく、
あるいは誰にも見つけてもらえず、
自ら命を絶つ道の、
いったいどこが幸せな人生だったと呼べるのですか?

死してなお、
誰かを傷つけまいとする程のその、
透明な心が
自分の生を苦しめて、苦しめていたのに。

幸せになりたくて、
愛を求めて、
愛を与えたいがため、
己の心を隠し続けていたのだとしたら。
それを優しさだと片付けてしまう違和感に、
たぶん私も絶望を覚えることでしょう。

強さも、優しさも、幸せも
すべて
生きてハジメテ感じられるもの。

生きてこそ。

生きてこそ。

人間失格。 人間、失格?

2014-09-26 00:21:02 | 日記
何年かぶりに、太宰治の
[人間失格]
を読みかえしてみた。

「人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間ではなくなりました。」
廃人と化した主人公の葉蔵が病院に入れられる際の言葉。

それでも
「神様みたいないい子でした」
と慕われた、主人公。
それでも、上手に生きられなかった、主人公。
太宰自身の、投影。

あぁ、これはまさに、
心の拠り所しだいで、毒にも薬にもなる小説だ。

そういえば、
三島由紀夫も
「何のために生きているかわからないから、生きていられる」
と言っていた。

「生きる理由はないが、また、死ぬ理由もない。人生は苦労して捨てるほどの価値もない」
ジャック リゴーは言った。

人生は、そんなに絶望的なものですか?

「たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ」
命を燃やして描き続け、儚く散っていった、ゴッホ。

「私は生かされている。
生かされているという宿命のなかで、せいいっぱい生きたいと思う。」
死を感じ、生を受け入れ、絵筆に込めた東山魁夷の思い。

たとえばそれが絶望へ続く道でも、私もきっと進んでゆくだろう。遅々として進まない歩みにイラつきながら。立ち止まりながら。小さな愛を探して進んでゆくだろう。

「人生で最もすばらしい癒し、それが愛だ」
ピカソが言った。
そうか、癒しだ。
小さな愛は大きな癒しとなって、行く先に光をくれる。

さ、進もう。
傷つき、傷つけながら、進もう。

高見 順は、言った。
「傷ついたのは、生きてきたからである」




芸術は人を癒す

2014-09-24 00:19:31 | 絵画・芸術・展覧会
「芸術は人を癒す」
って、語ったのは誰だったっけ?
ここ数日ぼんやりと考えていた答えを、ふと思い出した。

ルイス・ドメネク・イ・モンタネール

スペインを代表する建築家。

スペイン、バルセロナ、というと日本で有名なのは、アントニ・ガウディだけれど、当時ライバルと呼ばれたモンタネール(実際当時は、モンタネールの方が人気も知名度も上だったようですが…)の建築がまた、すばらしい。

バルセロナにある彼の建築した病院。
サンパウ病院。

ガウディの代表作、サグラダ・ファミリアから歩いてすぐのところにある病院。もちろん、現在も病院としてきちんと機能している。

「芸術は人を癒す」
まさにその思いをぶつけたかのような、建物。
病院とは思えないくらいの、芸術的空間。

私がかつて訪れたときは(病気ではなく観光で、だけれど)
少しも傷んでないカラダと
少しも傷んでないココロでしたが、
ほんの少しだけ溜まった疲れを癒して余りある感動だった。
待ち時間さえ幸せに感じるような、空間。
「癒す」という言葉は、まんざらでもなく、ゆっくりゆったりとした時間で満ちる。

くしくも、ライバルと詠われたガウディが、路面電車にひかれた時に運ばれたのはこのサンパウ病院。
身なりに気を使わなかった彼は浮浪者と間違われ、十分な治療を受けないままこの病院で亡くなったそうです。

「芸術は人を癒す」
あっけなくこの世を去った天才ガウディ。癒えることのない傷でひっそりと息絶えてゆく彼の心は、最期にすこしは癒されたのかしら?

モンタネールの芸術。
それはまさに人を癒す。
少なくとも、私の心を、癒す。

暇をもてあましたあげく、ヒマの定義すら見失いかけたので、働くことにした話。

2014-09-22 23:20:00 | 日記
無職生活を1か月半ほど続けてきましたが、そんな生活にも飽きてしまったので、働くことにしました。

そもそも【ヒマ】なんてものは、忙しくしている合間に空いた貴重な時間なわけで、延々と続くやるべきことなき時間はもはや【ヒマ】ですらなくなってしまう。。

例えば遠出ができたり、気ままなひとり旅ができたり、ましてやお金がざくざく溢れてきたりするわけでは勿論ないので、この延々と続くやるべきことのない時間は言わば、「1日」という小さいカテゴリーのマスをいかにして埋めるか…という苦行に近い。

いや…正確に言うと、やるべきこと…というか、この機会にやっておけばいいことなんかは、実はたくさんあるのだけれど、わりと何でも後回しにする怠惰な性格がジャマをして、結局どうでもよいことばかりを繰り返している日々。

アホみたいにキッチンの床を磨きつづけたりね。。

でも…
大好きな読書の時間さえ減ってしまっている現実に、気がついてしまった以上もう、この生活もシオドキだなぁ…と仰々しい言い方をしてみたりして(笑)

まぁしかし暫くはのんびりペースで、
思考停止にならない程度に働くつもりです。

ひとりで過ごすたまの休みに
ゴロゴロする小さな喜びを、
感じられる日々。。

それも、しあわせね。

アリとキリギリス。

2014-09-15 23:53:00 | 日記
かつて、アルバイトをしていた職場の上司に
「かなえちゃん(←私のこと)は、アリとキリギリスで言ったらキリギリスだよねぇ…(笑)」
って言われたことがある。
周りにいた同僚たちも「うんうん。」と笑っていた。

アリとキリギリス…っていったら、冬に備えてコツコツ働く真面目なアリと、先のことなんかお構いなしに遊んで暮らすキリギリスの話。冬が来て食べ物がなくなったキリギリスはアリに助けてもらうんだよね。

…で、私は。
キリギリス??

とはいえ、当時の私はバイトを幾つかかけもちし、休みもそこそこに1日12時間以上働いていた。
そこいらの働きアリに負けないくらいの労働時間だよ…。
そしてそれをみんな知っていたはずなんだけど…(。-∀-)

まぁ、でも自分でも比較的キリギリスタイプだとは思ってるのですよ。
アリさんのように、冬に備えて働いてた訳じゃなく、楽しく暮らす為に必死で稼いで、寝る間を惜しんで遊んで暮らしていたわけですから(笑)
お金が貯まれば仕事を減らして遊んでばかりいたし…←あっっ、まさにキリギリスΣ(-∀-;)

あのお話としては、「アリさんのようにコツコツ真面目に働きましょうね」ってことを言いたいんだよね。
確かにね。
それもある。

私は。

アリ的生き方も、キリギリス的生き方もどちらでも良いと思うのだよ。
キリギリス的な人って誰の周りにも必ず一人くらいいると思うんだけど…ってことは逆にいうとその周りには優しいアリさんがたくさんいるってこと。

だから、私はこれからだって、アリさんに頼って生きてゆくのですよ。
キリギリスにだって生きる意味はあるんだからね!!

はぁーっ( -。-) =3
なんて言いながら、無職生活にも飽きてきた今日この頃だったりして(笑)