自殺をして、
まわりの親い人たちから、
「幸せそうだった」
「思い当たるふしがない」
「なぜなのか、わからない」
と。
皆から愛され親しまていても、
生きるに勝る死への欲求。
その小さな傷を誰にも見せることなく、
あるいは誰にも見つけてもらえず、
自ら命を絶つ道の、
いったいどこが幸せな人生だったと呼べるのですか?
死してなお、
誰かを傷つけまいとする程のその、
透明な心が
自分の生を苦しめて、苦しめていたのに。
幸せになりたくて、
愛を求めて、
愛を与えたいがため、
己の心を隠し続けていたのだとしたら。
それを優しさだと片付けてしまう違和感に、
たぶん私も絶望を覚えることでしょう。
強さも、優しさも、幸せも
すべて
生きてハジメテ感じられるもの。
生きてこそ。
生きてこそ。