いよいよ、神輿が宮入りしてまいりました。
最初の神輿は外神田連合の神台会です。
神台会は神田神社の裏に位置します。昭和39年に町名変更が実施されるまでは「台所町」と呼ばれていました。明暦の大火後、江戸幕府の火災対策の政策により、かつては寺が立ち並んでいた神田神社の裏手も、城内の御台所御賄方(おだいどころおまかないかた)の武家屋敷として再建されました。御台所町(おだいどころまち)という旧地名は、このときから始まりました。
さらに寛文(かんぶん)12年(1672年)、この町内に「町屋(まちや)」も形成されました。以降、御台所町は町人の町として発展を遂げていきました。
神田明神に近いという事から、「神田明神下御台所町」と長い名前が付いていましたが、明治5年(1872年)に旧賭手代屋敷と合併し「神田台所町」となりました。
神台会は、現在も神田明神のお膝元としての誇りを強く持っている町会です。
町会の該当区域は、外神田二丁目5番1~12号に加え、7番地1号・4号を除く、6~9番地となっています。