生きている限りいつか必ず死が訪れます。
言い換えると、生命体は死に向かって突き進んでいるようなものです。
弥生パンダは学生の頃ゼミで老人福祉をとり、福祉理論に始まり施設を訪問、現状はどのようになって、何が問題になっているかということを1年間みっちりと勉強してきました。
その時のゼミ仲間とは寝食を共にする合宿生活もあり、それはそれで楽しい思い出もあり、当時はいろんな考えが浮かんでは消え、、その中で1つだけ今でも固く守っているものがあります。
それは「絶対に福祉関係の仕事にだけは就かない」というものです。
ゼミ仲間と訪問した老人施設は表面はにこやかで穏やか平和そのものですが、入所している老人は無理に笑っているのがわかり、個人的に「生活はいかがですか」と質問をすると皆決まって「とても快適でいいですよ、何の心配もないですよ」との回答が。
しかし、自由に見学させてくれた施設で施設関係の人がいないとわかると涙ながらに施設の対応を話してくれました。
そこは完全に施設関係者が絶対権力を握り、入所者を服従させ、入所者がモタモタしていると「何やってんだ!」と罵声が浴びせられるという悪しき日本軍の軍隊さながらものです。
しかも個人個人の年金を施設が管理していて、自由にお金が使えないとも。。
人間の尊厳が脅かされるという現状を目の当たりにして、とても気分が悪かったことを憶えています。
上の画像は、叔父が入所している高齢者施設の最寄りの駅のロータリーに設置してあった花のポールです。
叔父は、海外暮らしをしている子供と叔母が15年前に他界、ずっと1人暮らしでした。
元々腰のヘルニアがあり糖尿病と高血圧を発症してからヘルニアがどんどん悪化し、ここ5年間は入退院の繰り返しでした。
しかし腰の激痛が続き、ついに起き上がることができず施設に入所することになりました。
その施設は、病気の人でも入所できるという家族にとってはありがたい施設です。
月々の費用は最低でも25万円。
しかしここでも入所者がモタモタしていると「何やってんの!だから言ったじゃない!!」とキツく言うそうです。
「トイレに行きたい」というと「チョット待ってて」と10分くらい待たせるのはザラだとか。。
車いすで身体を動かすのがやっとという高齢者に生理現象を我慢させることは、このブログを読んでいる方は理解できないかもしれません。
他、叔父からいろいろな理不尽な話を聞いて、、私が35年前にゼミで行った施設ほどはひどくないけど、福祉の現場は依然と変わっていません。
自分で動けない、何をするにも他人の手が必要というそんな人が大勢に対して介護者は数人。。
医療現場の介護という名の金儲けで、寝たきりの人に対して「死ね!」「コイツ汚い!」などと言いながらおむつを替える人たち。
では、そんな人々は排除したらいいという意見がありますが、過酷な介護に就く人員が絶対数不足していて。。
人生最期を人間の尊厳を保ちながら逝くことができる人は全体の何%だろうか。
尊厳を保ちながら逝くことができた人はどんなに幸せな人なのか!
と、あまりに奇麗な花のポールを見上げながら考えていました。