無味乾燥な

つまらぬ話でございます

なれ

2020-03-08 22:04:57 | 日記
「風邪」とは何だったのか。分からなくなった。
世界中で何だか分からなくなってしまったように思う。中国で最初にウィルスが発見されて、新しい病気として扱われて、エラい大騒ぎである。「風邪」だったら誰に責任があるということになるのだろう?製造拠点のシフトが目的なのか?そんなこんなと、これを進めると、もともとこれが目的だったという、国際的推理小説のようなオチがあるならば、映画の原作になって面白くて良いのだが。

問題は、いくらテキトーだったとはいえ、政治家として次がいないことである。
東日本大震災以来、やたらと、生物としての宿命、多数決の原則を無視した、無茶苦茶な意見が基準になるという、人気取りがおかしい。街中でのアピールに、年寄りやらに小遣いを渡して訳のわからない人の署名を集め、拡声器で「反対」を唱えるやり方は特におかしい。年寄りを死なないようにするとか、100%面倒を見るなんてことは無理なことである。
野党が、テキトーさをネタに国会での攻撃材料として、ツッコミを必要以上に感情的にウジウジとやってみせるのは、国民の日本人らしさを忘れさせる謀略のようにも感じてしまう。
ただ、この騒動によって、給食や子ども食堂での食事に依存している子どもが多いということを知ることになり、そのような社会の問題が表面化するのは、改善しなければならないこととして認識されるようになった。オーストラリアの山火事の中でのコアラの姿と同じように、救出してやらなければならないことである。そのような子どもたちの親の仕事は、家の中だけで解決できないなら皆で考えなければならないことである。

自分は、テキトーやウィルスより、バッタが怖い。
昔のホラー映画を見てから怖くて仕方がないのだが、西からこっちにでかいバッタが侵攻しているらしいのである。
トイレットペーパーが無くなるより、バッタに食われて食べ物がスーパーに無くなる方が人間が酷いことになるというのは誰でも解ると思う。この時、この国のリーダーは誰がやっているのか。
皆んな、よく考えなければならない。

利害だけでどうこう言っている人は見放して、今必要なのは、「ウィルス騒ぎ」に早く慣れてしまって、見えてきた必要な処方を施すことではなかろうか。