コロナの後遺症ではなく、コロナ「禍」の後遺症のネタです。コロナが5類に引き上げられ1ヶ月半以上が経ちました。ラジオのネタでもコロナ禍から変わらないもの、変わったものについて話していて、マスクを着用するしない問題、オフィスでアクリル板が付箋貼る場所などに実用化されて今更、撤廃出来ないなど。
マスクについて言えば自分は外さない派。これから第九波、第十波、第十一波が来る懸念と、マスクを外した顔晒すのが非常に恥ずかしいため。
自分がコロナ禍が治まりつつあるにも関わらず、コロナ前には戻れないもの。それはソーシャルディスタンス。
コロナ禍のソーシャルディスタンスのせいで、自分のパーソナルスペースが広くなり、コロナ前のスペースには未だ戻れない。駅とか社会全体が自分と同じように互いに物理的な距離を取り、互いのパーソナルスペースを尊重し合うようになればこんな悩みは全くなく、寧ろその方が良い。
市井の人間はコロナ前のパーソナルスペースに完全に戻ったのだった。戻るのは早いように感じた。
コロナ禍中に就職が決まった。駅や道など徐々に活気が戻ってくるにつれて、ここってこんな狭かったっけ?と変な違和感を覚える事がある。
コロナ前はどうだったのかよく思い出せない。
人混みでも割と気にせず歩いていた様な気もするし、満員電車にも乗れていた。
今コロナ前のパーソナルスペースに戻れないのは、感染が怖くて人に近付いて欲しくないのではなく、人、殊更他人に身体的に近づいて来られるのが非常に不快なのである。
自分から人に近づくのも困難で、1人しか通れない道に他人がいる所を無理やり通る事が以前よりずっと困難になった。
他人も自分と同じことを思っているのかと思い、接近したら相手も不快だと思い込んでしまう。
そうして狭い中で、ソーシャルディスタンスを維持しようとするのである。意識的にではなく、本能的に。
ソーシャルディスタンスの距離が心地よくなってしまい、そこから脱皮出来ない。
道や駅のホームなどが狭くなったような気がしたり、レジで並ぶ時、前の人と距離を置いて並ぶが後ろの人がやたら自分に近づいて真後ろに並ばれる。自分前に行くと、やたらと詰めて来られる。
バスで隣と距離を置いた場所に立つが、乗って来た人に詰めろと言われたり、広い場所であるにもかかわらず、ど突かれるかと思う程自分スレスレの所をもの凄い速足で追い抜かれたり、ガードレール内の細い道を歩いてたら自転車侵入して来て、自分スレスレの所を猛スピードで追い抜かれたりと、とにかく人の通行、車内などに関する事で不快になることがやたら増えた。
他人に不用意に接近されたり、こすられたりする事にもの凄い恐怖を覚える。
市井の人間からそんな悩みは聞いたことがない。
だからラジオにそんな悩みを投稿したら、非常に変わった人かと思われるのではないか。
市井でこんな事を言う人はいないのではじめから取り上げられない。
市井の人々の本音を聞きたい。そのように感じる人は多いのでしょうか?
もうひとつ思うのは、コロナ前に比べて人の挙動がガサツになり、無駄に焦っているようにも見えるし極端に追い込まれているかのような神経質な動きをする人が増えた気がする。
コロナ後、実際に社会全体が荒んで悪くなっているの事もあってこうなってしまったのではないかとも思える。
以前は人の挙動がもっと大ざっぱで、そんなに鼻につかなかった気がする。
以前に比べ道行く人々は他人のパーソナルスペースを配慮しなくなった気がする。きっとそこまでの心のゆとりが無い為だろう。歩きスマホをしていない正気な人間でも、配慮がない。
会社に大勢いる、私と唯一の海外との繋がりである実習生は他人のパーソナルスペースを配慮するという概念がない。会社が狭いからどうしようもない事だが、それにしても人にぶつからないように曲がる角では徐行するとか何も考えずにヘラヘラ走っている。心のゆとりの有無以前だ。
コロナ禍後のこういった後遺症について、メンタルクリニックやカウンセラーに行ってる人は多そうに思える。ラジオやマスコミや周囲の人からは、パーソナルスペースの悩みについて聞いた事がないが、実際には多いのではないかと。
昨年から考えているが、この原因はコロナ禍のソーシャルディスタンスに起因するのではないか?と答えらしいものは出た。
パーソナルスペースは、男女で生まれつきの違いはあるがそれ以外は環境次第で変わるらしい。
自分の場合、パーソナルスペースをもっと狭くして心理的苦痛を軽減したい。
自分でも駅などで人との物理的距離を縮めるように努力をしているが、気づくと距離を取っている。
これは誰に相談すれば良いのか?