中央大学相撲部100周年記念祝賀会に出席するため、松山空港から飛行機で東京羽田空港へ出発
会場の中央大学駿河台記念館には、たくさんの中央大学相撲部OBが集まりました。
私の同級生・小西君が、総合司会の大役を務めました。
100年に一度の記念すべき行事。
次にあるであろう150周年の時には、95才になっています。
生きていない可能性の方が高いでしょう。仮に運良く生きていたとしても飛行機に乗って、杖ついて東京までは行かないと思います。
祝賀会は、5時にスタート。
まずは、先輩方や大学関係者があいさつ
乾杯後の歓談中に、松島先輩と私がいたテーブルに来た、ある先輩が、「中央大学相撲部の中で野村高校相撲部OBの存在感は、実に大きいね。」と誉めてくださり感激しました。
最高の讃辞でした。
四国の田舎の無名弱小校に過ぎなかった野村高校相撲部が、肩身の狭い思いをしながらも松島先輩が必死の思いで努力し、当初、春日館の故兵頭洋和先生がいろいろな面でバックアップして下さり、たくさんの後輩(16名)が後に続きました。
そして、今年の春には、中央大学卒業後、玉春日として大相撲の関脇まで昇進した松本良二君は、片男波親方として部屋持ちの親方にまでなりました。中大相撲部の有史初のことです
すべては、松島先輩の「思い」が伝統継承に繋がったのだと思います。
今は亡き兵頭先生も、きっと草葉の陰から祝福してくれていると思います。
私にとっては、春日館の「春日」という文字は、イコール・兵頭先生であり、イコール・松島先輩なのです。
これからもお世話になった人たちへの「感謝」の気持ちを忘れず、心新たに責務を全うしたいと思います。
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私の同級生・小西君が、総合司会の大役を務めました。
100年に一度の記念すべき行事。
次にあるであろう150周年の時には、95才になっています。
生きていない可能性の方が高いでしょう。仮に運良く生きていたとしても飛行機に乗って、杖ついて東京までは行かないと思います。
祝賀会は、5時にスタート。
まずは、先輩方や大学関係者があいさつ
乾杯後の歓談中に、松島先輩と私がいたテーブルに来た、ある先輩が、「中央大学相撲部の中で野村高校相撲部OBの存在感は、実に大きいね。」と誉めてくださり感激しました。
最高の讃辞でした。
四国の田舎の無名弱小校に過ぎなかった野村高校相撲部が、肩身の狭い思いをしながらも松島先輩が必死の思いで努力し、当初、春日館の故兵頭洋和先生がいろいろな面でバックアップして下さり、たくさんの後輩(16名)が後に続きました。
そして、今年の春には、中央大学卒業後、玉春日として大相撲の関脇まで昇進した松本良二君は、片男波親方として部屋持ちの親方にまでなりました。中大相撲部の有史初のことです
すべては、松島先輩の「思い」が伝統継承に繋がったのだと思います。
今は亡き兵頭先生も、きっと草葉の陰から祝福してくれていると思います。
私にとっては、春日館の「春日」という文字は、イコール・兵頭先生であり、イコール・松島先輩なのです。
これからもお世話になった人たちへの「感謝」の気持ちを忘れず、心新たに責務を全うしたいと思います。
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