4月25日、朝は運動公園に出勤して12時まで2時間、テニスコートでテニス教室の指導。
その後に30分で昼食を済まし、午後からはトレーニング室でダンベル体操教室の指導を1時間半。
終わって机に座って平成19年度の収支決算監査の書類整理。途中で別件でトラブルが発生し対応に追われる。このときに午後5時。
第9回全日本ブラジリアン柔術選手権に出場するため、夜7時20分発の東京行きの飛行機に乗らないといけないのだが・・・。
トラブルの処理が長引き、仕事が終わったのが午後6時。家に帰り、着の身、着のまま、ジャージのままでバッグに柔術着と選手登録IDカードと着替えを詰め込み、松山空港へ到着したのは午後7時。飛行機出発20分前。晩飯を食べる間もないバタバタである。
飛行機到着後、新宿駅で西口、南口、新南口で迷って右往左往。晩ご飯を食べたのは、10時20分。それから歩いて新宿ワシントンホテルまでテクテク歩いて部屋に到着したのは11時半。シャワーを浴びて寝る。
あっという間に朝になって朝食を食べて、決戦の会場となる練馬区の光が丘体育館まで都営大江戸線に乗っていこうとホテルでどこから電車が出ているのか聞くと「都庁のすぐ下が駅です。」と教えてもらい、テクテク歩いて行くが、乗り場が判らず右往左往。
やっと電車に乗って光が丘駅に着いたが、地図を見ても光が丘体育館が、どっちか判らず右往左往。
最終的には、タクシー代の節約を断念して、タクシーをひろって会場まで移動。
会場は小さな町の体育館かと思っていたが、うちの職場の県総合運動公園なみの大きな体育館であった。
会場に着くと前回、全日本オープン選手権の決勝で闘った渡辺さんが声を掛けてくれた。大会の後に私のブログにもコメントを書き込んでくれたので色々と話が出来た。
同じ大会で決勝を闘った武蔵丸似のブラジル人・マリオ選手とも日本語訛りのポルトガル語で会話した。
昨年から3大会連続で全日本大会に出場しているので顔見知りの人が増えた。戦地の状況、雰囲気を知るというのも大会を制するための重要な要素である。
私の第一試合は、24試合目ということが判り、柔術着に着替えて試合場でウォーミングアップしていると「タツヤマさ~ん!お~い!がんばって」と観客席から声がした。過去に闘った人かなと思ってみると、パラエストラ愛媛で一緒に練習していたウェスリーさんと浜田くんだった。現在、愛媛を離れ、パラエストラ東京で修行しているのだ。
いつも敵地でひとりぼっち孤独に闘う私にも味方が現れた。今日は一人ぼっちではないぞと思うと鳥肌が立った。「よっしゃ~。がんばるぞ」と気合いが入った。
初戦は日系ブラジル人のアントニオ選手。組み手争いの後、投げ技から横四方固めにとらえて、モンジバカ(手首固め)で手首を逆方向に曲げるとギブアップ。
決勝戦は、同じ系列のパラエストラ東京の選手。組み手争いの後、立ちの状態で引っ張り込み左四つがっぷりの態勢になった。胴衣着用で相撲のがっぷり四つになるのは珍しいのだが、一番得意とする絶好の態勢である。そのまま鋭い出足で寄りながら外掛け(小外掛け)で倒したが、勢い余って畳の外に飛び出す。有名な選手である植松直哉レフェリーの指示で畳の中央で横四方固めの態勢を再現。(前回の優勝の時も植松選手がレフェリーでした)横四方固め、これも得意の態勢。マウントを取る時に足を絡まれたが構わず、相手の首を袖車締め。除けようと伸びてきた手を捕らえてV1アームロック。前腕を逆にねじり上げると相手は「ギブアップ」
全日本選手権2大会連続優勝を達成した。
一人なので、いつも知らない人に「すみませんが・・・。お願いできませんか?」と表彰式の写真を頼むのだが、今回は浜田くんが専任カメラマンになってくれた。
浜田くん、ウェスリーさん、応援ありがとう!
一緒に練習してくれたパラエストラ愛媛の林会長、廣瀬さん、相原さん、山内さん、西谷さん、他の皆さん、ありがとうございました。
その後に30分で昼食を済まし、午後からはトレーニング室でダンベル体操教室の指導を1時間半。
終わって机に座って平成19年度の収支決算監査の書類整理。途中で別件でトラブルが発生し対応に追われる。このときに午後5時。
第9回全日本ブラジリアン柔術選手権に出場するため、夜7時20分発の東京行きの飛行機に乗らないといけないのだが・・・。
トラブルの処理が長引き、仕事が終わったのが午後6時。家に帰り、着の身、着のまま、ジャージのままでバッグに柔術着と選手登録IDカードと着替えを詰め込み、松山空港へ到着したのは午後7時。飛行機出発20分前。晩飯を食べる間もないバタバタである。
飛行機到着後、新宿駅で西口、南口、新南口で迷って右往左往。晩ご飯を食べたのは、10時20分。それから歩いて新宿ワシントンホテルまでテクテク歩いて部屋に到着したのは11時半。シャワーを浴びて寝る。
あっという間に朝になって朝食を食べて、決戦の会場となる練馬区の光が丘体育館まで都営大江戸線に乗っていこうとホテルでどこから電車が出ているのか聞くと「都庁のすぐ下が駅です。」と教えてもらい、テクテク歩いて行くが、乗り場が判らず右往左往。
やっと電車に乗って光が丘駅に着いたが、地図を見ても光が丘体育館が、どっちか判らず右往左往。
最終的には、タクシー代の節約を断念して、タクシーをひろって会場まで移動。
会場は小さな町の体育館かと思っていたが、うちの職場の県総合運動公園なみの大きな体育館であった。
会場に着くと前回、全日本オープン選手権の決勝で闘った渡辺さんが声を掛けてくれた。大会の後に私のブログにもコメントを書き込んでくれたので色々と話が出来た。
同じ大会で決勝を闘った武蔵丸似のブラジル人・マリオ選手とも日本語訛りのポルトガル語で会話した。
昨年から3大会連続で全日本大会に出場しているので顔見知りの人が増えた。戦地の状況、雰囲気を知るというのも大会を制するための重要な要素である。
私の第一試合は、24試合目ということが判り、柔術着に着替えて試合場でウォーミングアップしていると「タツヤマさ~ん!お~い!がんばって」と観客席から声がした。過去に闘った人かなと思ってみると、パラエストラ愛媛で一緒に練習していたウェスリーさんと浜田くんだった。現在、愛媛を離れ、パラエストラ東京で修行しているのだ。
いつも敵地でひとりぼっち孤独に闘う私にも味方が現れた。今日は一人ぼっちではないぞと思うと鳥肌が立った。「よっしゃ~。がんばるぞ」と気合いが入った。
初戦は日系ブラジル人のアントニオ選手。組み手争いの後、投げ技から横四方固めにとらえて、モンジバカ(手首固め)で手首を逆方向に曲げるとギブアップ。
決勝戦は、同じ系列のパラエストラ東京の選手。組み手争いの後、立ちの状態で引っ張り込み左四つがっぷりの態勢になった。胴衣着用で相撲のがっぷり四つになるのは珍しいのだが、一番得意とする絶好の態勢である。そのまま鋭い出足で寄りながら外掛け(小外掛け)で倒したが、勢い余って畳の外に飛び出す。有名な選手である植松直哉レフェリーの指示で畳の中央で横四方固めの態勢を再現。(前回の優勝の時も植松選手がレフェリーでした)横四方固め、これも得意の態勢。マウントを取る時に足を絡まれたが構わず、相手の首を袖車締め。除けようと伸びてきた手を捕らえてV1アームロック。前腕を逆にねじり上げると相手は「ギブアップ」
全日本選手権2大会連続優勝を達成した。
一人なので、いつも知らない人に「すみませんが・・・。お願いできませんか?」と表彰式の写真を頼むのだが、今回は浜田くんが専任カメラマンになってくれた。
浜田くん、ウェスリーさん、応援ありがとう!
一緒に練習してくれたパラエストラ愛媛の林会長、廣瀬さん、相原さん、山内さん、西谷さん、他の皆さん、ありがとうございました。
昨年に続いてですから2連覇!
私も夏に予定の四国選手権「今回」は
優勝マジ狙いにいきます。
もう,紫帯の資格ゲットでしょう!!
また,何処かの試合会場で・・・・ 渡辺
いつも楽しみにしながら見させてもらってます
これからも相撲の指導、柔道、柔術と頑張ってください
僕も早くメンバーに入れるよう頑張ります
また松山に帰ったら春日館にお邪魔させていただきます
/ /\ヽ
(/ ∫ \)
о l祝l
.lゆl。о
。 lうl 。
lしl 。
.оlょl 。
。 lうl。
о ̄。о