私が産まれてくる時、私の首には3周も、へその緒が巻き付いていたという。
絡まったへその緒で産道から出てくることができない私
そんな生きるか、死ぬかの状態を救って下さったのは、宇和島市の産婦人科医、山本孝二先生
日本で現在のように帝王切開の技術が発達していなかった頃、胎児の緊急時に対応する分娩法として、鉗子分娩(かんしぶんべん)という金属製のへら2枚を組み合わせた鋏のような器具で赤ちゃん の頭をはさんで引き出していたという。
鉗子で左眼の視力をほとんど失ってしまったが、私は無事に産道から鉗子で引き出されて産まれることが出来た。
山本孝二先生は、私をこの世に誕生させて下さった命の恩人である。
しかし、その2ヶ月後の「1966年11月13日」に事件が起きる。
大阪国際空港発、松山空港行きの全日空533便が、松山空港で滑走路をオーバーランする危険が生じたために、着陸のやり直しをしようと再度上昇しようとして失敗、松山空港沖2.2kmの伊予灘に飛行機は墜落。
この事故で運航乗務員2名、客室乗務員3名、乗客45名の計50名。全員が帰らぬ人となった。
その乗客の一人として山本先生が運悪く乗り合わせていたのだ。
今日は、その墜落事故から55年が経った
「2021年11月13日」
山本先生が、出産時に瀕死の私を救って下さったおかげで、私は55年間生きて、人生を楽しむことができています。
山本先生のおかげです。
本当にありがとうございました。
松山市の子規堂がある正宗寺(松山市末広町)の境内の片隅にある 松山沖墜落事故の慰霊碑に手を合わせてきました。
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