いつも、ありがとうございます。よろしければポチっと応援をお願いします( ^)o(^ )
それを時代毎にブロック毎に分けて解説 古代史ハルキー@YouTube
@岡上佑の古代史研究室
お、動画アップ有難う御座います。 パッチワーク説、広がって貰えればいいですね。
現状の文献解釈の権威っぽい雰囲気を出している渡邊某が一系列で読んじゃっているので、本当に現状の文献解釈はクソです。 それに対して厳しい批判ができないってことは、公的な学問がクソってことです。 まずは、パラグラフを分けるところから共通でやるべきだと強く思います!
@takedaharuki
ありがとうございます。
渡邊某については私もちょっと疑問があります。歴史書について、できるだけ普通に解釈する道を模索したいです。これからも岡上さんの動画や書籍を参考にさせてもらいます。
@katumoku10
岡上さん、こんばんは!パッチワーク説、同感です。
でも、渡邉先生が着目したのは陳寿の目的でしょう。陳寿のお仕事は西晋の史官ですから、西晋の創業者司馬懿の功績を上手に持ち上げることですよ。
ですから、そこが理解できないと邪馬台国に到達できないんですよ。
邪馬台国への行程記事は陳寿が宮廷書庫から、司馬懿の書かせた魏使梯儁の報告書にあったものをそのまま引用したのです。行程記事がインチキだから江戸時代から三百年経っても、万人が認める邪馬台国の場所が確定しないのですよ。
これは「陰謀論」とは違う「陰謀説」なのですよ。「陰謀論」は陰謀の証拠がないのに陰謀だと騒ぎ、混乱させる話ですが、魏志倭人伝には司馬懿の都合で真実が書かれていない証拠が渡邉先生が指摘するようにいくつもあるのですから「陰謀説」というのが正しいのですよ!。
景初三年(239年)六月に本当の倭国王難升米が帯方郡に出かけて、司馬懿の部下の太守劉夏と談合して、司馬懿の裁可を得て、邪馬台国への行程記事が作られた証拠が出てきました(詳細は「伊都国の意味がヒントだった?」参照)。だから梯儁は、伊都国で難升米に面会して、すでに決まった行程記事を報告書に載せて朝廷に提出したと分かります。陳寿は当然、どこに邪馬台国があるのかは知りませんが、デタラメな行程記事を読んで、想像した位置に読者を誘導するように補足したようです。孫栄建「決定版 邪馬台国の全解決」(ロッコウブックス2018年)に陳寿の筆法の解説が詳しくあります。
だから結論ですが、行程記事は一旦横において、その他の邪馬台国に関する記事から候補を探すことができます。そして五世紀の倭の五王時代に完成した范曄「後漢書」の「自女王国東度海千余里 至狗奴国」が正しいことが考古学の成果から分かりました。詳しくは「【謹賀新年】今年の始まりも邪馬台国!( ^)o(^ )」をご参照ください。お邪魔しました(;^ω^)
+++++++++
邪馬台国がどこか分かったので、行程記事のトリックも推理できました(詳細は「投馬国へ水行してみませんか?」参照)
【関連記事】
「陰謀」 と 「陰謀論」 オメガねこ2025年01月10日
良くわからないですが、ひろゆき氏は「陰謀」に関して、
推測に過ぎない陰謀を真実だと確信し、しかも社会や他者にそれを強要する者を「陰謀論者」とし、そして彼らが確信するその説を「陰謀論」と鍵括弧をつけ記すことで、意味を限定して使いたいと思います。
科学的に実証された事案でも、それは「(確率的な)推測」に過ぎません。そして「陰謀論」を定義するのに、未定義の「陰謀」を持ち出して説明しています。これは、俗にいう「進次郎構文」ですωω
(続きをご参照ください)(;^ω^)
【後記】
古代史界隈に「古代妄想」というちょっと過激に聞こえるギャグを入れましたが、妄想を逆手に取って開き直る方も居たり、ご不快に感じる方が居るかと思いますので、ここでちょっと言い訳です(;^ω^)
事実に基づく想像は、科学的な探求において推論・推理という正しい方法です。
しかし人間は空想する生き物なんです。空想は事実に基づかない想像のことです。普通は、本人も空想かも知れないと自覚していますが、空想に凝り固まって反証を受け付けない信念になると妄想という精神医学上の症状ということですネ(*´Д`)
古代史探求に嵌っている多くの方は、事実に基づかない「空想」を仮説にしたままで、数多くの事実で仮説を検証しようとしないようです。都合の悪い反証も無視するようですので「古代妄想」ということなのです。
以前に、ある著名な古代史研究家のブログで、その点を指摘しても、「検証は後世に行われるハズだ」と自信満々だったので驚きました(#^.^#)
歴史あるいは歴史学という学問は人文科学の範疇ですので、科学の手法に従う必要があります。
なぜならば、科学の手法による結果は偏見のない多くの方が納得行くものですので、定説として認められやすいからなのです。その仮説は「科学的な信念」になり(詳細は「なぜ邪馬台国問題が解決しないのか?」参照)、教科書にも載るような定説になります。これが科学的な探求の目標です。
しかし、定説となっても、それを導く過程で何らかの見落としやミスを犯していたかもしれないのです。ですから、定説となったその仮説も、常に新たな事実によって検証を受け続ける宿命なのです。定説が覆されることがあるのは、科学の世界では常識ですから。人間は神様ではないという証です。大国主のように死んでから神様になる人間は居ますが(#^.^#)
【古代史問題の科学的解決手法】
最後まで読んでいただき、心より感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっと励ましてください!お願いします( ^)o(^ )