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【ゆっくり解説】道でよく見かける 庚申の謎
いい話題を有難うございます。
天台宗の僧が道教の影響を受けて始めたのが庚申信仰で、道祖神信仰と同じ神様を祀っているんですよ。
3世紀後半の日本建国の主役高野御子(狗奴国の官狗古智卑狗日高彦の御子の隠語、豊岡市久久比神社祭神久々遅彦は縄文海人ムナカタ族を束ねる王の襲名)が大国主という神様として祀られているのですよ。ヤマト勢に討たれた大国主・女王台与、そして、ヤマトのせいで暗殺された卑弥呼や大国主の祖神スサノヲの祟りが怖ろしいので、神仏習合して様々な名前で祀られています。
庚申塔や道祖神は厄除けです。七福神は怖ろしい神様の祟りを抑えたいために福の神のように持ち上げるために作った神様で、その正体は男神6人とも大国主の分身で、紅一点の弁財天が宗像女神市杵島姫「卑弥呼」なのですよ。台与は天女の羽衣の吉祥天として八福神が祀られている地方もありますよ(詳細は「本当は怖い七福神の謎(;一_一)」参照)。道祖神は大国主サルタヒコで、時々見られる男女の神様は大国主と台与のペアです。各地の神社でいろいろな名前の男女ペアの神様はたいていはこの二人を祀っています(詳細は「道祖神もやっぱり(^_-)-☆」参照)。
何故かと言うと藤原不比等が日本書紀で都合の悪い建国時代の史実を神話を創って誤魔化したから、大ぴらに大国主を祀れないのです。大国主の分身が日本書紀でサルタヒコとされましたので、申(さる)なのです(詳細は「「申」をなぜ「サル」と読むの?」参照)。
だから平安時代に密教が流行りましたが、真言宗は大国主の諱の高野御子を祀っていますし、天台宗では日吉(日枝)神社で大国主の分身大山咋神を祀って、猿を神の使いとしています(詳細は「大山祇も大山咋も正体は大国主でした(*^▽^*)」参照)。
密教は、修験道の山岳修行で得た超能力によって大国主らが祟らないように鎮魂し祈祷するための当時の最先端理論だったのです。詳しくは「古代史のカギを握る神々の正体?」「庚申塚もそうだったの?」「天狗の正体もヤッパリ(^_-)-☆」「「神」はサルタヒコを示す暗号文字だった?!」などをご参照ください(#^.^#)
庚申信仰についてもう少し解説しますと、wiki「庚申信仰」によれば、『中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰(民間信仰)や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。』とあります。
三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫のことで、「60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。」とあります(wiki「三尸(さんし)」より)。
日本での起源は、天台宗の僧が遣唐使に伴い日本に持ち込んだ風習で、平安時代の貴族社会で、この夜を過ごす際に、碁・詩歌・管弦の遊びを催す後に「庚申御遊(こうしんぎょゆう)」と称された宴が始められ、庚申信仰は15世紀中頃から仏教と結びついて一般にも広まったようです。また「日吉(ひえ)山王信仰」とも習合することにより、室町時代の後期から「庚申(供養)塔」などが作られ、庚申堂では神の使いとして「三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)」をご神体とし、更には「三猿」を脇に置く青面金剛が本尊とされるようになります。
福岡市早良区の猿田彦神社では庚申(かのえさる)の日に庚申祭を行いますが、導きの神「猿田彦(サルタヒコ)」が災難を払うとされています。初庚申(はつこうしん)は年の最初の庚申の日をいい、今年2025年は2月20日(木)だそうです。
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