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【ついに発見?】卑弥呼は宇佐神宮に眠っているのか?(^_-)-☆

2025-01-10 22:08:41 | 古代史

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【遂に発見?】卑弥呼の墓の場所が判明!?「宇佐神宮」の真実とは?【驚愕】
歴女は古代史を語りたい@YouTube

とてもいい動画をありがとうございます。かなりの方が宇佐神宮に卑弥呼が隠されていると思っているようですが、正解ですよ。ただし、残念ながら、決定的な証拠が見つけられないようですね(*´Д`)

その理由は、多くの方が学校で習っている現存する最古の歴史書「古事記」や正史「日本書紀」に卑弥呼と書かれていないために分からないからなのです。多くの日本人は記紀神話が江戸時代にできたと聞いたら驚くと思いますが、それって事実ですよ(詳細は日本神話は八世紀の創作ですよ!(;´Д`)参照)。

魏志倭人伝も行程記事があいまいですので、万人が納得できる場所が見つからないのです。でも政治的な理由で行程記事が書かれていると分かれば、それ以外の邪馬台国の記述から見つけられますよ(詳細は「【謹賀新年】今年の始まりも邪馬台国!( ^)o(^ )」参照)。

つまり、記紀や倭人伝の嘘で誤魔化されているのですが、その噓から真相を掘り起こす「アブダクション」という科学的な方法があるのですよ。よろしければ、つづきは「刮目天の古代史」をご参照ください。お邪魔しました(^_-)-☆

宇佐神宮の比売大神=卑弥呼は、そのまま記紀に登場していないのですが、宗像三女神として登場しています。でも、記紀で三女神はアマテラス女神とスサノヲの誓約(うけい)で生まれたことになっています。これはデタラメですね。比売大神はひとりですから、三女神は卑弥呼を隠すために二人を追加したのです。でも、三女神の中で一人だけ目立つ神様が居ます。それは市杵島姫です。厳島神社の主神ですし、神仏習合して弁財天として祀られています。七福神の紅一点です(詳細は「本当は怖い七福神の謎(;一_一)」参照)。

そうなんですよ。宇佐神宮の比売大神は市杵島姫命で、この方が卑弥呼様だったのですよ(^_-)-☆

その決定的な証拠は、宇佐神宮の奥座敷宇佐市安心院町三柱山台地の弥生後期の宮ノ原遺跡で見つかっていますよ(#^.^#)

ここに三女神社がありますが、日本書紀にある宗像三女神の降臨伝承の地「葦原中国の宇佐嶋」です。この台地は西側と東側に宇佐市内を流れる駅館川の支流恵良川と深見川が流れており、丁度島のような感じです。

三女神社は深見川の河岸の崖の上に建っています。その一の鳥居の神額に「二女神社」とあり、地元では「さんみょうじんじゃ」と呼んでいます。これは「三は妙だよ。女は少ない!」という謎かけだったのです(本ブログのバナー参照)。

三女神社の本殿の西側にV字溝がありその中から銅鏃(青銅製の矢じり)が見つかっています。魏志倭人伝にある城柵を設けて兵士によって厳重に警護されていたと分かります。

そしてさらに西側約500mのところに決定的な証拠を見つけました。卑弥呼の墓「径百余歩の冢」つまり直径約150mのただ土を盛り上げただけの円形墳墓「三柱山古墳」です。そしてその西側の原野だった場所の地名が「血野(現在、知野)」だったのです。奴婢百余名が惨殺された場所で、多分野ざらしで殉葬されたと考えられます。

卑弥呼の石棺は残念ながら家族旅行村建設時に発見され、残念なことに南側の裾に石材が集められて第8石棺群とされています。裾には旅行村のコテージが4・5棟建てられておます。墳頂部あたりは雑草や灌木が深く生い茂っており、残念ながら行けませんでしたが、付近に石棺の蓋のような厚い石板が二つくらい立ててありました。

そしてこの墓の南側約400m下の河原に「三柱山古墳」の遥拝所(同名の三女神社)があり、三女神の石塔が墓に正対して建てられていますが、直接「三柱山古墳」を目視できないように、道路の横に土が積み上げられています。そこに横穴がいくつかあり、ひとつの横穴の入り口に馬頭観音像が置かれていました。「ヒカケ横穴群」とよばれ、アマテラスの岩戸隠れ「日欠け=日食」を連想する地名なのです(詳細は「卑弥呼は日食で殺されたムナカタの姫巫女だろう(@_@)」・「卑弥呼の日食のはなし?!」参照)。

卑弥呼はやはり日食が原因で暗殺されたと推理しています。遥拝所の東側は、現在すっぽんの養殖がおこなわれていますが、温泉が湧き出ていたようです。毎晩、卑弥呼は河原の露天風呂「卑弥呼の湯」につかり、コラーゲンたっぷりのすっぽん料理や山海の珍味に舌鼓を打ちながら濁り酒を嗜んでいたようです。濁り酒の泡をすくう土器が遺跡から発見されています。

入浴中の卑弥呼が裸で引きずり出されて、遥拝所付近で殺されたと推理しています。当時、「卑弥呼の湯」付近に「乳不動」という石仏群があり、お乳の出ない母親が撫でたら出るようになったという言い伝えがあります。謎の「人聞(にんもん)菩薩」が石仏を作ったという伝承がありますが、この僧は架空の人物で、宇佐神宮の創建に関わった法蓮上人のことだとされています。

法蓮上人は宇佐神宮創建時の神宮寺弥勒禅院の初代別当で、国東半島の六郷満山を創建した方と言われています。当時の権力者藤原不比等に八幡大神と比売大神を祀るように進言した人物だと考えられます(詳細は「卑弥呼を不比等から護った人物?(;一_一)」参照)。

そして八幡大神の正体も分かりました。応神天皇は宇佐神宮創建後に祭神とされています。応神天皇の母は神功皇后とされていますが、卑弥呼の死後の千人が死ぬ内戦で勝利した人物が、丁度倭国に派遣されていた魏使張政の進言で13歳の台与を市杵島姫卑弥呼の宗女として外交上女王に立てたのです。つまり台与も市杵島姫と同様にムナカタ海人族の姫巫女です。神功皇后気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)のモデルで、息長氏の祖息長宿禰王(おきながすくねのみこ)の娘です。この人物が吉野ヶ里の謎の石棺の被葬者だと推理しています。極端に小柄な海人族のシャーマン王で、大国主神話のスクナヒコナだったのです。石棺の蓋には天の川や星座が記されているので、夜間航海を指揮する人物なのです(詳細は「【吉野ヶ里遺跡】え?日吉神社ご神体が仏像なの?(@_@)?」参照)。

はい、内戦の勝者こそ、記紀で武内宿禰とされた人物で、山陰から近江・越のムナカタ海人族を束ねる王です。魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗のことで、豊岡市久久比神社の祭神久々遅彦です。木の神ですから全国の上棟式の祭神とされていますので、木霊イタケル(スサノヲの王子)の子孫の大国主だと分かります(詳細は「【刮目天の古代史】出雲・丹後王国の謎!(@_@)」参照)。

日本書紀はこの史実を、仲哀天皇の熊襲征伐の話を創って誤魔化しました。神功皇后に憑依した住吉大震の神託を信じなかった仲哀天皇が突然崩御する話です。下の図は卑弥呼の死の直前の状況です。

 

卑弥呼の死後の内戦で大国主久々遅彦に討たれた狗奴国の有力者の尾張王乎止与命(おとよのみこと)と推理しています。父の仇討ちで建稲種命(熱田神宮祭神、ヤマトタケルのモデル)が九州に遠征し、苦難の末に大国主らを討って、その後、列島各地の大国主の傘下を武力で抑え、日本を統一したのです(詳細は「サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?」・「抹殺された尾張氏の謎(その1)(その3)尾張と言えばカニだ~わ!」参照)。



話を卑弥呼の墓の遥拝所に戻すと、正面左手に摂社があり、八束神社と金毘羅宮なのです。祭神が出雲国風土記の国引き神話の神八束水臣津野命(略称、八束命)と大物主(つまり大国主)なのです。市杵嶋姫は八束命の孫で大国主とはいとこだと推理しています。卑弥呼の父は天理市和邇坐赤阪比古神社の祭神赤坂比古(和邇氏の祖)で八束命の姫を娶って卑弥呼が生まれたと推理しています。現在の祭神は市杵島姫命となっていますので分かりました(詳細は「消された和邇氏の正体が建国の謎を解くカギ?(^_-)-☆」参照)。


 

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