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#毎回同じような話題で恐縮ですが、YouTubeでDNA解析の権威の方が邪馬台国は纏向遺跡だと断言されていたので、ガッカリしました。まだまだ畿内説が有力だと思われている方が多いようなので、見つけたら何度でも反論しなければいけないと思ってやっています。でも、これも別の意味の古代妄想なのかも知れませんね(;^ω^)
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プロローグ【邪馬台国2025-1】日本史オンライン講座@YouTube
興味ある話題を有難うございます。ヤマトは邪馬台国から命名されたのは確実ですが、纏向遺跡は少なくとも卑弥呼が生きていた三世紀半ばまで倭国の一部ではなかった決定的な証拠が在ります。
それは出土土器の中の約15%もある外来土器の中に九州の土器が皆無と言っていいほど出土していないから分かります。
魏志倭人伝を読めば、洛陽や帯方郡が文書や品物を卑弥呼に送る際に、倭国の玄関口である伊都国の一大率が確認して、間違いなく卑弥呼に届けるとあるのですから、北部九州の倭国の人間が纏向遺跡にはやって来ていないということです。三世紀前半の纏向遺跡から楽浪系の遺物もほとんど出土していないのです。
そしてさらに重要なことは、纏向遺跡の前方後円墳で行われた重要な祭祀に各地の首長層が集まっているにもかかわらず、北部九州の倭国の人々が参加していないのですから、纏向遺跡の勢力は倭国と敵対する勢力、つまり狗奴国の本拠地だったと推理できます。
ですから、狗奴国が倭国を滅ぼして、何らかの事情で狗奴国が邪馬台国を僭称したと推理できます。
魏志倭人伝の邪馬台国への行程記事は如何様にも解釈できるので、江戸時代から三百年経った現在でも万人が納得する場所を決められないのです。行程記事は政治的に作られたデタラメなものだったからです(詳細は「魏志倭人伝の真相」参照)。ですから行程記事を一度横において、それ以外の文章から探せば候補が見つかります。
例えば、金印とか銅鏡、絹織物等は見つけた人間が容易に持ち運べるものですから、決定的な証拠にはなりにくいので、例えば地理的条件などで候補を絞ることができます。魏志倭人伝には「女王国の東度海千余里に倭種の国が有る」とあるので、纏向遺跡は西側を除き、簡単に海には出られませんから、この条件にあてはまりません。九州説ならば、周防灘に面した豊前地方などが該当します。
そして五世紀に完成した范曄「後漢書」には、倭の五王の使者からの情報により、倭種の国を狗奴国と書き換えていますので、狗奴国の王都(纏向遺跡)から約450km西の瀬戸内海を行くと宇佐神宮にたどり着きます。さらに駅間川を遡り山間部の宇佐市安心院町に入ると弥生後期の集落宮ノ原遺跡があります。
宇佐神宮の比売大神は宗像三女神という伝承があり、三女神社が日本書紀で宗像三女神の降臨地になっています。三女神社の西側にV字溝がありその中から銅鏃が出土していますので城柵を設けて兵士が厳重に護っていたと分かります。
さらに、決定的な証拠が見つかりました。
三女神社の西側約500mに卑弥呼の「径百余歩の冢」つまり直径約150mの土を盛っただけの円形墳墓「三柱山古墳」があります。墓の西側の原野は「血野(現在、知野)」という地名ですので、奴婢百余人が惨殺されて殉葬された場所と推理できます。その他にも卑弥呼に関係する遺構や伝承がいくつもあります(詳細は「【ついに発見?】卑弥呼は宇佐神宮に眠っているのか?(^_-)-☆」参照)。
ということで、卑弥呼の墓の有力な候補が見つかりましたので、他にも候補があれば、魏志倭人伝の記述からどこが最有力なのか決定できますね。
箸墓古墳は三世紀末から四世紀に、時間をかけて造成した三段築・四段築の立派な古墓ですから、247年の卑弥呼の死の前後の状況を考えると該当しません。
日本書紀は大物主大神(大国主)の妻ヤマトトトビモモソヒメの墓としており、卑弥呼は独身ですので箸墓は卑弥呼のものではありません。
このように寺沢薫氏は考古学の権威ですが、残念ながら魏志倭人伝を全く無視していることが分かります。
纏向遺跡は狗奴国の王都であって、ヤマト王権が成立した日本の古代史で最も重要な遺跡のひとつであることは間違いないのですので、邪馬台国ではなかったという事実を素直に受け入れて欲しいものです。
現在のところ、邪馬台国は卑弥呼の居城のある宇佐市安心院町宮ノ原遺跡を中心として、宇佐神宮周辺の大規模な集落群(吉野ケ里遺跡とほぼ同じ約60ha)を合わせたものだと考えられます。よろしければ、「刮目天の古代史」をご参照ください。お邪魔しました。
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二世紀末の倭国大乱から三世紀の日本建国の戦いの痕跡を考古学成果(詳細は「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」参照)と民俗学などの成果に加えて、卑弥呼の巨大円墳が見つかっていますので、可能性が高いと思います(^_-)-☆
記紀神話は江戸時代に創られた新しいものなのですよ(詳細は「日本神話は八世紀の創作ですよ!」参照)。権力者は権力を維持するためにウソをつく生き物なのです。民主主義国家は権力者にウソをつかせない仕組みがないと理不尽な全体主義国家に変えられて、国民は地獄の目に遭いますよ(*´Д`)
最後まで読んでいただき、感謝します。通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)