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魏から見た魏志東夷伝(毌丘倹と王頎の活躍)(景初2年~正始8年)(西暦238年~西暦247年)東夷の動乱
古代史ハルキー@YouTube
@katumoku10
明けましておめでとうございます(^_-)-☆
今回もまた、とても勉強になる、いい解説をありがとうございます!
魏志倭人伝の解釈上、とても重要な時期ですね。倭大夫難升米が帯方郡に景初二年六月とあるのは前後の話から景初三年の誤写であり、以下のような経過で難升米が洛陽に行ったと考えるのが正しいと考えています。
まず、景初二年(238年)八月に司馬懿が公孫淵の軍を破った後に、公孫淵は命乞いしたのですが、家臣まで全員斬り殺して、さらに襄平に入城して15歳以上の男子七千余人の首を斬って、うず高く積み上げて京観を作ったとあります。
公孫氏滅亡の知らせを明帝が知った後に、あらかじめ明帝が密かに(策士の司馬懿に内緒で)準備していた軍船に兵を載せて楽浪郡と帯方郡を落として三韓を平定し、それぞれ鮮于嗣と劉昕を太守にしました。
明帝が景初三年(239年)一月に崩御すると、少帝の後見役を任された司馬懿が早速、帯方郡太守劉昕に替えて部下の劉夏を派遣しています。それまで公孫氏に朝貢していた倭国王は残虐な司馬懿に討たれることを怖れていたために、劉夏に促されて、景初三年(239年)六月に大夫難升米が帯方郡に行き、そこで約半年待機して、十二月に劉夏(の部下)が護衛して上洛しています。(2025.1.5 赤字追加)
その半年もの間に、正式に太傅(後見人)となった司馬懿は録尚書事に就き、詔勅や人事まで口出しできる立場になって朝廷の実権を握ります。
劉夏と難升米に談合させて、倭国を女王卑弥呼が統治し、その都邪馬台国を帯方郡から東南万二千余里もの遠い場所で、戦略上ライバルの呉を東から挟み撃ちする重要な位置にあるという設定にして、司馬懿自身の功績を曹魏第一等のものにしたと推理できます。これによってライバルの大将軍曹爽を抑えて魏の実権を完全に握り、司馬懿の孫の司馬炎が帝位を禅譲させ、西晋を建てたと分かります。
つまり、正始六年(245年)に魏の軍旗「黄憧」を直接渡された難升米が倭国の軍権を握る本当の倭国王だったと分かります。卑弥呼はこの談合で作られた架空の女王ということですが、卑弥呼は実在人物で、その宮室のあった場所を基に、デタラメな行程記事を難升米が創作したと考えられます(ちょっと込み入っていますが、107年に(後漢安帝に)朝貢した倭国王帥升の子孫の伊都国男王だと推理しています。詳細は「伊都国の意味がヒントだった?」参照)。(2025.1.5 赤字追加)
ですから邪馬台国への行程記事は、政治的に作られたものですので、これを根拠に位置を決めても、いかようにも解釈できますので、300年論争しても万人が納得する場所が決められなかったと分かります。
そこで、魏志倭人伝にある行程記事以外の邪馬台国の記述に基づいて推理すればいいと分かりました。詳しくは「【謹賀新年】今年の始まりも邪馬台国!( ^)o(^ )」に述べましたので、よろしければご参照ください。長々とお邪魔しました(#^.^#)
@takedaharuki
明けましておめでとうございます。
このあたりの東夷の出来事は、魏志倭人伝の記事とも絡む出来事だと予想しています。復元ストーリー素晴らしいです。時系列については私も全く同意見です。黄憧を名指しで渡される難升米については、確かに不思議なものを感じています。今日はなぜかブログの方にアクセスできず。近々、覗いてみます。
@katumoku10
@takedaharuki さん 早速、いいお返事を頂き感謝いたします。
この難升米という人物はとても勇気と知恵のある人物ですよ。孫栄建氏も彼が本当の倭国王であったと著作の中で推理しています。ただ、彼が帥升の一族であると気づくと当時の歴史がリアルによみがえってきます。まるで精巧な推理小説の世界のようです。ぜひ、拙ブログをご参照ください。
gooブログですが、正月2日未明にサイバー攻撃があったようで、苦労しました。もう修復されているものと思っていましたが、未だなのですね。某国のしわざのような気がしますが、はっきりしません。こりずにまた、覗いてみていただけると有難いです。今年も、精力的なご活躍を期待しています。いろいろとお教えください(#^.^#)
@user-ike-s
@katumoku10 欄外から失礼します。とても面白く興味深い考察ですね。一方で、アマプラでやっている『三国志 司馬懿軍師連盟』のように、司馬懿は非力な読書家で、徳による人望で将軍に推されたとする説もあります。司馬懿が大虐殺をした人骨などの証拠はありません。ただ、下級文官だった司馬懿は、曹家の武官と争っていたようで、難升米などの倭の勢力となんらかの策謀をはかった可能性はあります。陳寿も司馬懿に惹かれて蜀から魏(西晋)へ身を寄せたわけですし、隠したことはあったと思います。
@katumoku10
@user-ike-s さん 長文を読んでいただき、どうもありがとうございます。アマプラでやっていたのですね。気づきませんでした。ただこのテレビドラマの原作は正史「三国志」から14・15世紀に作られた歴史小説「三国志演義」に基づき、脚色があるもののようですので、必ずしも史実ではない部分があることをご理解くださいね。でもエンターテイメントですので見てみたいですね。どうも有難うございました(#^.^#)
@user-ike-s
@katumoku10 本当にそうですね。妄想が際限なく広がってしまいます。古代妄想教です。
amazon primeに加入すると無料です。1本が45分のドラマが86本ですので、通しで見終わるまで1週間くらいかかる計算です。ものすごいので、とりあえず明帝の時代から見出したら他のことができなくなりましたので、現在途中で止めています。やはり、司馬懿が主人公ですので、狡猾さは見られず、とても思慮深いキャラクターに脚色されています。諸葛孔明の空城の計等々、娯楽的な要素が強く、なかなか楽しめる場面が多いですので、また余裕ができたら続きを見ようと思います。(^^;)
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発想の転換は「ちゃぶ台返し」ではないですヨ!(その1)・(その2)
文献史学の先生に貴重なご意見を頂戴しましたが、従来の考え方では邪馬台国には到達できないことがよく分かりますよ(#^.^#)
最後まで読んでいただき、感謝します。通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)