三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【複数地域に「住む」シアワセの新体験】

2020-08-01 05:28:51 | 日記

仕事上での「コミュニケーション」が停滞状況から全国規模で再開するにつれ、
現状での住宅の「課題」などが浮き彫りにもなってきている。
コロナ以降のテーマへの気付きが手掘りされてくるという最近の実感です。
ここのところ、国交省の「世帯数と住宅政策」の公理的把握について
久しぶりに、いわば「呪文」的にそれを聞いて、受け止めている実感との乖離があり、
いろいろなポイントで再考し始めております。
一昨日WEBで聴講させていただいたリクルート社住宅誌・池本編集長の講演でも
「複数居住」について触れられた箇所があり、興味が深まりました。
その発表では、現状「2地点居住」実践者は1.4%で希望者で15%という数字。
ただ、コロナ禍関連のSUUMO-WEB検索状況分析がバックデータのようで、
いまわたしの考えていることとは少しニュアンスが異なっていると感じられた。

たぶん、国交省の公的な「住宅施策」では戦前期からの
「戸主」感覚が抜けがたく存在し、いわば家は世帯のイレモノ、という感覚かと。
そのように考えると、戸主がいま存在しない住宅は、
「空き家」という捉え方になるのではないか。
それはそれでひとつの捉え方ではあるけれど、
このあたり「居住概念」自体どのような公的定義なのか、不勉強で不明。
一方、世界の住文化でロシアのダーチャ、ドイツのクラインガルテンなどの
「住」形態は、日本の現状の住宅政策の中で位置付けがあるのか、ないのか?
どうも「別荘」という概念とはかなり落差があると思う。もっと庶民的存在。
現代的少子高齢化社会では違った意味で多地域居住形態があると思う。
そうですね、テレワーク・リモートワークの進展というファクター。
ダーチャは自給食糧確保が目的だけれど、仕事対応が目的の多地域居住。
こういう「生き方の変化」は既成の「住宅政策」視点ではスルーされる可能性。

さらに、わたしの年代(昭和中期出生)では、自分が建てた家と夫婦それぞれの
親の家2軒、合計3軒を「所有して管理している」という人も多い。
その上、かれらの子どもさんたちは東京などで賃貸で単身生活していて
そことの「往来」も活発にある、というケースがある。
こういうのも現代ニッポン的なダーチャ、クラインガルテンの一変種なのかも。
もちろん食料生産拠点ではないけれど、「居住」の拡大・複数化とは思える。
「世帯」という考え方と、「居住」という考え方の両方が「揺らいでいる」。
家族数の劇的な減少傾向は今後とも続いていく可能性が高いので
必然的にこのような傾向は高まっていくことが予測される。いわば2極分化の進展。
平均的4人核家族に1軒という「住宅政策」と現実は大きく乖離していく。
むしろ複数地点「居住」ということがもっと広範なテーマとして拡大すると思われ、
そういうデータは公的に収集把握されていないのではないか。
新たな「居住」のシアワセのありかがそこにあるようで興味深いのです。
基本的な世帯数と住居数とが正比例するという関係性の視点と、
同時にこうした「複数居住」という視点の両方で「住環境」を考えると、
まるで「人生二毛作」みたいな新発見があり得る。
生き方・暮らし方の豊かさを考えるとき、非常にオモシロい領域。
日本人の暮らし方に多様性が大きく広がっていくのではないでしょうか?


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