三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【朝倉家家臣の武家屋敷/日本人のいい家⑦-2】

2020-10-31 05:55:36 | 日記



昨日の続篇です。一乗谷朝倉家本拠・中世城下町の家臣の武家屋敷。
きのうは300坪弱の敷地内での機能配置について触れました。
本日は建物としてのメイン、屋敷の主人の復元住宅・平屋24坪について。
図面では右上に「離れ座敷」の記載がありますが、写真不明。

上の写真は土間入口側からの室内全景。
あくまでも「復元」なので歴史考証がどこまで追究されたかは不明ですが、
礎石や土木痕跡などからの考証でしょうから復元建築に準拠取材。
後の世の武家屋敷のように意匠を凝らした「玄関・式台」は見られなかった。
またいわゆる床の間や神聖空間的な座敷も見られない。
間取りも6間×4間という長方形間取りであり、建築合理性、実利優先的作り。
玄関などは「張り出し」とか、基礎形状に変形が見られるのが普通なので、
正長方形の基礎土木からシンプルな建築が想定されたのでしょう。
農家住宅とも似通った実用的な作られようだと思います。
土間側と畳敷き側とで各2間スパンで正確に分割されている。
このあたりの「間取り」については前述のような判断に基づいているのでしょう。
全体として左右均等になって、ハレとケという暮らしの2分法が
建築として明確で、現代住宅と似通った作られよう。
写真右側のケの空間には台所・土間、さらに奥には「納戸」が配置されてる。
この納戸は台所の奥に出入り口も見えることから、食器などの収納をはじめ、
寝具などあらゆる生活用具が集中収納されている。
納戸は木製引き戸での出入りなので、室内各室へのアクセスはかなり便利そう。
分散収納よりも集中収納がこの時代では志向されていたという考証ぶり。
左側のハレの空間は座敷が3間取られている。
現代の合理性とも通用する間取り・木材利用のムダのない様式。
なぜかまな板の上に載せて調理人が魚を捌こうとしているマネキンと
女性が配膳に立ち働いている様も演出されていた(笑)。
土間と連続する囲炉裏配置であり、いかにも暮らしの実用が伝わってくる。
台所の開口部が上下2箇所あって、換気に配慮の様子が見える。
復元ながら建築史的にこのような事例が一般的だったのか、要研究。
台所周辺では煙り出しなどの建築的工夫は古民家でも普遍的。
煙り出しと壁面上下2箇所換気窓、機能性建築装置として面白い。
一乗谷地域に復元された町家との違いは敷地面積の300坪という自立循環性。
広い敷地で自家消費の野菜類を確保できた。
町家は敷地も狭いので、この時代の格差とはそういう機能性だったのか?


しかし総じて非常に実用的で「階級意識」的な部分は感じられない。
戦国期には武家という存在は確立した「身分制」的存在ではないように思える。
このような印象を復元建築からは受けたけれど、考証プロセスも知りたくなった。
そういうなかで唯一の空間的「ゆとり」は南面する縁側。
写真では太陽光反射がキツいけれど、四季を通じての太陽光&熱感受装置。
庶民的・民族的な日光温浴習慣の普遍性を感じます。

【460年前頃・越前一乗谷武家屋敷/日本人のいい家⑦】

2020-10-30 06:03:51 | 日記



さて久しぶりに「日本人のいい家」シリーズに復帰です。
このシリーズは、歴史的な過去建築・遺跡から日本人の住空間を考えるもの。
自分自身、こういう探索がいちばん本然ではないかと思っています。
もうこの世にはいないけれど、同じ日本人としてDNA的な取材対話が成立する。
・・・と思える瞬間を経験できると無上の歓びが湧いてくる(笑)。

で、ことしのNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。新型コロナで放送予定の
大幅中断があって、オモシロいと同時に同じ苦難を共有するドラマとして
まことに国民的な感情移入が深いように思えております。
で、物語はまだ中盤程度ですが、ドラマで越前朝倉家の「一乗谷」都市が
明智光秀家族が一時期身を寄せていた場所としてクローズアップ。
重要な背景風景になっている。今週以降、信長の越前攻めなども予測される。
わたしは2014年にこの一乗谷都市遺跡を訪問していた。
その一部を写真にも収めていたので感情移入がハンパない(笑)。
一乗谷は戦国大名の中世都市として奇跡的に遺跡保全されている。
まぁもちろん建築などは消失しているけれど、建築土木痕跡などは残存し、
また、後世の土木的改変が少ない「都市痕跡」だということ。
その写真類から「復元武家屋敷」を紹介。本日は敷地内での「配置」から。
朝倉氏家臣団の上級武家のための住宅地割り土木痕跡に基づく復元。
屋敷の敷地は約30m四方というもので、約273坪ほどの広さ。
おおむね300坪という敷地で、150年前の原札幌の街割りも住宅地は同様規格。
友人の札幌市中央区内の原札幌の地割りのままの敷地も同じ広さ。
これくらいの敷地であれば、野菜などの菜園を敷地内で確保できるので、
人間居住のための土地割としては人類普遍合理的だと聞いた記憶がある。
その敷地内に主のための「主殿」6間×4間・24坪の広さの平屋建物がある。
上の写真は主殿を門の方向から右方向に見た外観写真。
主殿は敷地の南西側端に配置。隠居老人用と思われる「離れ」も隣接。
門を入って右側には仕切土壁があって、その内側には庭空間がある。
写真右手の土壁の中が庭。で、画面左手には便所が建てられている。
敷地のほぼ中心に厠が建てられているのはどういった理由か?
通常は使用人が敷地内で作業していて、かれらの利用が考えられていたか。
あるいは肥をそのまま敷地内の「菜園」に施肥しやすいと考えたものか。
敷地の北半分には井戸、使用人の居住する「納屋」や「蔵」が配置されている。

主殿入口は東入りで北側に台所土間が配置され、南側が畳敷きの座敷。
座敷は南側に開いていて、広い「縁側」が南面している。
家具などはすべて納戸収納として室内設計仕様で復元されている。
このあたり中世的な暮らしようが推定されて興味深い。
入口の表門は西に向いており四周を囲む土壁の塀に開口している。
武家として防御性の高い土塀が必需的建築装置。社会ニーズが高かった。
入口に対して主殿の配置は奥に位置することになるのは、
やはり武家として、万が一外敵が門を破って襲ってきたとしても
一定の防御態勢が可能なように工夫されたものかと想像できる。
敷地のサイズが現代まで連綿と続く300坪程度で、中世都市と現代都市の
共通建築言語が確認できて、武家屋敷とはいえ人間同質性を感じさせられる。
「麒麟がくる」を見る楽しみの補助線情報としてお役に立てれば幸い(笑)。
あ、光秀はこういう「武家屋敷」には住んでいなかったハズ。かれは
朝倉家では「仕官」が叶わなかったとされているので、あす以降で
紹介の一乗谷「町家」区画で生活していたのではと思われます。
あしたはこの主殿の内部空間と間取りほかを紹介します。

【新型コロナ禍からの復元:情報・経済「地域格差」】

2020-10-29 06:05:00 | 日記

ことしの2月末くらいから、新型コロナという「社会不安」が世を覆い、
世界の中でそれほど重篤事態ではなかった日本でも、危機を煽るメディアなどの
情報扇動に押されるように、万が一に備えての政権の法整備・非常事態宣言が
思わぬほど早めに発動され、いわば自粛型社会封鎖が機能してきた。
情報弱者向けとしか思えないテレビのワイドショー番組など
ひたすら危機を喚き散らしたメディアに引きずられた側面は強いと思う。
どうも賢明な民主主義に衆愚ヒステリーが勝っていたとも思える。
江戸期に根付いた「五人組」的な相互監視的社会システムがフル稼働した。
公園で遊んでいることを批判するなど行きすぎも目立ったのではないか。
ちょっとでも活動的な動きをすれば、監視社会的な圧力が掛かる息苦しさ。
そのような事態から数えても、8ヶ月が経過してきている。
まさかここまでの萎縮・社会収縮が継続するとは、というのが実感。
当初は、まぁ2−3ヶ月程度で少なくとも秋口には本格的な経済再開と
予測していたけれど、いまは完全にその不明を噛みしめるのみですね。
そういうなかでようやくいろいろなビジネス活動が波及してきている。
東京の情報企業から新規案件が働きかけられてきた。
新規案件・営業訪問代わりのZoomでの情報交換機会が提案されてきた。
逆にこちらからの「業界」的な情報収集も兼ねて、打合せ時間を持った。

このような自粛社会的環境になると、東京というビジネス中心地のメリット、
きわめて競争優位性が高いと思わざるを得ない。
ビジネスで考えると、このような事態の元で東京の政府機構との距離が
大きな「格差」を明確に生んでしまっていると思う。
とくに人の移動制限は東京と地方の「格差」を拡大するバイアス。
わたしたち地方企業にとって情報発掘のための出張すら監視告発される環境。
一方で東京都内では当然、移動が制限されることは少ない。
経済封鎖に近い環境の中では、政府支出が飛び抜けて主役になる。
経済とは「カネ」の流れに沿って展開していくのは必然。
これは新型コロナ禍対応で新規100兆円近い規模になっていると思うけれど、
当然、それらの水道の「蛇口」に近い企業が競争優位にならざるを得ない。
そうでなくとも東京の企業集中はハンパない規模であり、
それら同士でのやり取りだけでも、市場規模は絶対的優位性を持っている。
一方で地方は、各地で孤立的に中央省庁の動向に振り回されつつ、
横の情報流通もできず、東京からの一方通行の情報に従わされるしかない。
わかりにくい官僚機構言語がまんま電子化された文書への対応力だけ見ても
たぶん日常的に政府機構と情報交換できれば数秒で解決できることが
数十日、それだけで浪費されざるを得ない徒労感。
そういう地域経済人の口惜しさは毎日肌で感じられます。
わたしたちのようなビジネス領域ではきわめて縁遠かった政府支出について
否応なくそれとの対応に追われざるを得ないけれど、
その相手先自体が、政府支出窓口外部発注で東京本社大手企業だったりする。
中央省庁の財政出動による各種事業の民間への「受け皿」も東京本社大企業が
集約的に「受注」しているのが実態なのでしょう。
「そうか、こういう作戦もあるのか・・・」と地方企業としてため息も出る。

ようやくGoToキャンペーンなどの活況で、経済の動きが出てきているけれど
たぶん東京・中央が活況になるまで、地方は息を潜めざるを得ない。
まぁこういうことは自明のことであり、地方中小零細企業としては
なんとか自力更生で突破口を切り開いていかなければならないのでしょうね。
<写真は東京・明治神宮「神楽殿」>

【冷や麦から新そば経由、わが家乾麺主役交代】

2020-10-28 05:59:24 | 日記

ことしの夏の間、わが家ではなぜか「冷や麦」が麺類のレギュラー独占。
わたしの家系はどうやら播州の麺文化と関わりが深いようで、
のど越しの爽快感がDNAにいたく染みわたるように思っております。
縁のある地域では「もちむぎ麺」というのが名物とのことで、
たぶんそういった好みを受け継いできているのか、のど食感の嗜好性がヤバい。
で、ことしはふと購入した冷や麦乾麺がぴったりと好みにアジャストして
最初は疑心暗鬼のようだったカミさんもすっかりゾッコンに。
好みとなると、大量買い込みしてしまって、夏の間中食べまくっていた。
ホントは過ぎたるは及ばざるがごとし、とは思うのですが
好みというのには盲目性とか習慣性が関わっているのでしょうね。
また夫婦とも完全一致というのは、家庭円満の元でもあるので(笑)。

そんな先日ふと友人宅の近所で「新そば」の看板を発見。
店構えも「そば」店としての訴求力に満ちあふれていた。
日本人とそば食には長い民族・民俗史がそこにあるので、
「建築デザイン」として考えて相当の深みとバラエティがあると思っています。
そういった民俗的「好み」に敏感な店主であれば味も期待できる、
という「コミュニケーション」がそば店の外観にはあると思います(笑)。
う〜む「そば店・建築デザイン論」企画いいかも・・・。
で、夫婦でワクワクしながら食べさせていただいて、久しぶりの食味を堪能。
そばの玄妙な爽やかさにしばし、ふたりながら食感が陶然としていた。
しばらく食べていなかったことで、感覚が新鮮に「よみがえる」ものなのか、
その「蘇生」感がなんとも言えず全身を駆け巡るように感じました。
まぁ自分でそばを打つ友人たちほどにはのめり込まないようにしているので、
わたしは日常的には手軽な乾麺志向。
ということで、さっそく先週日曜日に品揃えで話題の大型スーパーで
各種そば乾麺を多種類購入。「おお、こんなにある・・・」
ここ数日、それらを食べ比べる愉しみに浸っております。
多いときには1日2食が乾麺そば食という状態(笑)。
そういえば、一時期ハマっていた新潟出身のカメラマンさん推奨の
「妻有そば」通販利用の手もあるなぁと、この楽しみに再度心躍らせております。
しかし乾麺そばは、味わいが非常にバラエティに富んでいる。
っていうか、美味:「それほど」のバラツキが大きすぎる。
価格と味にはあんまり相関性がないというのも新たな発見でした。
4種類ほど買って来たけれど、一番美味しかったのは安い方から2番目のヤツで
なんと一番高かったのがいちばん美味しくなかった(!)。
ちなみに一番安かったヤツも2番目に美味しかった(笑)。ほぼ反比例。
まぁ味のことだから好みもあるのでしょうが、この「最高級値段逸品」、
茹でると、てきめんに太くなって案の上食べたらそばの味が薄い、薄い。
これはうどんか、みたいな情けなさ(笑)。

この「品評」は夫婦ともまったく同意見だったことで、
狭いながらもわが家の「世論」は一気に決着してしまいました。
さらなる夫婦円満も呼び込んでくれた乾麺そばに感謝であります(笑)。

【戦争と人口増はウラ表 平和な社会は人口平衡】

2020-10-27 05:34:49 | 日記

しばらく北総研の研究発表での地域問題、人口減少社会テーマを考えました。
2045年で北海道地域人口が25%減少する未来予測に対して
地域自治体はどう対応するか、そして社会はどうすべきかは
真剣に取り組まなければならない。人口増は非常に難しい。
そもそも現代世界で人口問題が大きく扱われるのはそれが「市場の規模」を
決定し、それによって経済が大きな影響を受けることが大きい。
とくに住宅建築にとってはこの趨勢がいちばん重要なポイントだというのは
誰が考えても当然でしょう。
ただ、住宅着工数は近年は変化が「なだらか」な推移を見せる傾向。
マクロの人口動態より、むしろ景気対策とかによって影響を受けることが多い。
また、住宅は新築需要だけが存在するものではない。
基本的に人口問題との関係は冷静な視点で見る必要があると思える。

マクロ視点では上智大学経済学部教授・鬼頭宏氏の歴史人口学の研究では
江戸時代は戦国終結での開始期1600年ころに約1,400万人から
120年後に3,100万人口に到達して、幕末まで平衡状態で推移した。
では幕府は人口政策を持っていたのかというと、
そういった自覚的な政策はなかったのだろうと思う。
安定社会存続という志向から人口増加よりも平衡型の方向性が選択されていた。
それに対して、明治期以降は国民国家としての帝国主義国際情勢に対応して
殖産興業と、相次いだ戦争から基本的に人口増加が志向された。
で、第2次世界大戦での日本の戦死者数が310万人と巨大だったことで
戦後、一気にベビーブームが社会を覆った。
そこから1億2,000万人まで人口増加が続きそしていま人口減に直面する。
人口動態の推移では上のようなグラフが常識的に参照されます。
いわゆる「合計特殊出生率」を先進国で国際比較した資料。
現代は先進国では人口は平衡的状態にある趨勢。
わたしの両親は戦争中に結婚して、合計6人のこどもを産んだ。
それに対して子ども世代であるわたしの兄弟はおおむね2〜3人だった。
合計特殊出生率は低下しているけれど、図を見れば
多くの先進国ではいずれ、このような推移をするものなのでしょう。
こういった人口平衡というのは平和時の人類傾向のように思う。
逆に言えばビッグバン的な「人口増加」の方が特異なケース。
悲しいかな、戦争という事態が人口増減の決定的な誘因なのではないか。
戦争による出生増の特殊要因と国民健康向上での高齢化の相互作用で
明治以降と戦後の特殊な「人口増」があったというのが実態に近いのではないか。
国際外交の活発化や「国際世論」による緊張緩和バイアスの向上で
先進国間での大きな戦争が今後考えにくいとすれば
人口問題というものは自然にバランスしていく可能性も高いとも思える。

平和な時代には、おおむね2人の親から2人程度の子どもが生まれるのが平常。
経済と人口問題は関係はあるけれど、相対的には独立的な事象。
現代では経済政策、その運営が一番のキモ。
そこを安定させることが、人口動態変化に対応する最良の道なのでしょう。