三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【IHヒーター部経年劣化故障➡交換】

2020-07-26 07:29:44 | 日記


わが家のキッチン加熱調理器具はIHヒーター採用。
かれこれ20年ほどの使用状況でしたが、
最近、加熱時に「煙・ニオイ」の兆候を感知しておりました。
どうやら、ほぼ密着していると判断していた調理台平面とIHヒーター接合部ですが、
どうしても「すき間」ができてしまって、そこに空気対流が発生して
ほんのわずかな空間に「油分」が浸入して長い年月わずかずつ積層し、
それが「油墨」となってしまっていた。それがヒーター加熱時にその熱で
ニオイを発生させて、徐々に「わずかな煙」まで引き起こしていた。
調理台平面は毎日清掃していたのは当然なのですが、
やはりミクロの単位のスペースでは、掃除も行き届かない。
そしてその「加熱時」の「熱漏れ」はやはりヒーターの劣化が原因。
毎日加熱調理に使い続ける機器では、やはり劣化は避けられない。
そのニオイの中に、ヒーター本体の疑いを感じるものも発生したので
IHヒーター本体の「交換」をお願いした次第。
万が一、それが火災原因になることも最悪考えられたので、予防的回避。

もう20年近い使用状況ですが、
JISなんかで寸法などの「規格」は定められているので、サイズ的には
以前のものとまったく同様でした。
ニッポンの平均的家庭の使用状況を平均化して、そこから加熱調理の
共通規格をずっと維持し続けている様子がわかります。
こういう部分では「メーカーの独自規格」などは迷惑の元。
それが一方では諸外国からの「市場参入障壁」にはなるけれど、
体格寸法基準などは、東西では違いがあっても自然でしょう。
ユーザー側としては、故障とか交換の必要がないに越したことはないけれど、
やはり経年劣化を考えたとき、このような規格的バックアップが
しっかり機能していることは、安心感につながる。

ということで、入れ替え工事ってどれくらい時間もかかるかと
身構えていたのですが、ものの30分ほどで終了。
ただし、20年の時間経過は「使い勝手」の部分で大きく変化している。
コントロールパネル、操作パネルがまったく様相を変えていた。
っていうか、以前の物はIH導入初期のもので、
たいへんシンプルな操作方法でしたが、今回のものは
調理の仕方でも「通常加熱・揚げ物・鉄板焼き」みたいに分かれている。
そのそれぞれでコントロール方法が細かく設定可能。
しかもそれらを「音声案内」で知らせてくれるようになっている。
「・・・うるさいなぁ」って言う感想は、へそ曲がり中高年オヤジだけのものか(笑)。
まぁ設定で音量を小さくも出来るし、無音にも出来るということですが、
さてその「方法を忘れたら」というこれもへそ曲がりの内語が響き渡る。
どうにも模範的消費者ではなく、研究探査型の感想を持つタイプ。
メーカーにはあんまり歓迎されないタイプなのでしょうね(笑)。
とりあえず、簡単な使い方で考えすぎずに扱いたいと思います。ふ〜〜。

【北海道木造住宅「出窓」デザインの歴史系譜】

2020-07-25 05:47:31 | 日記

北海道で一時期、戦前期から昭和20年代の木造住宅で、
写真のような「出窓」が重要なデザインコードであったことはあまり触れられない。
わたしの不勉強であることは間違いないのですが、気になっている。
わたしの3歳からの札幌生活スタートの最初の家は
この出窓が特徴的な木造住宅だった。
いまの札幌市中央区北3条西11丁目、北大植物園に東側が面した建物。
その植物園に向かって、その緑を取り入れるように大きな開口が開けられ、
この写真のような出窓が風景を切り取ってくれていた。
どういう設計意図でか、この出窓の手前側は「土間」であり、
ちょうど屋根のある「縁側」状で、手前側の居室に一段段差がついていた。
開口部としてまことに印象的な仕上げであり、
子供心に、その空間の「魅力的な佇まい」がこころに強く印象されていた。
であるけれど、親からは建築自体は当時の「建売住宅」だったと聞かされ
購入先の不動産業「木下藤吉」という人を食った命名会社の記録とともに
いまもわたしの探究を逃れナゾのママに放置されている(泣)。
しかしあきらかに注文建築ではなく、建売であることはわかったので、
そうするとこの「出窓」デザインというのは建築当時(戦前期から昭和20年代推定)の
札幌市内での一般的建売住宅に普遍的な、いわば「流行」のスタイルと思える。
いまとなっては、その空間性を確かめる術はないけれど、
その「流行ぶり」はこの写真の「北海道開拓の村」に、数軒こうした「出窓」を持つ
住宅空間が保存されていることからも容易に類推できる。
わたしは建築史の専門学究ではない、ただの住宅ジャーナリストなので、
事実そのように「流行」していたかどうかの特定はどなたかに譲るけれど
なぜこのような「出窓」がポピュラリティを持ったか、強く興味がある。

で、ここからは個人的な類推でしかないのだけれど、
1 欧米の木外壁下見板張り住宅デザインでは「陰影感」が重視されたか?
2 開口部の「結露被害」は容易に想像できるのでそれへのなんらかの「対応」か?
という大まかには2つの可能性を想像しております。
そのどちらにも蓋然性があるように思っている。
下見板張り住宅はそれ自体、陰影感があるけれど、それをさらに強調して
「いかにも、モダニズム」という印象を人に惹起させるデザインとして
みた目重視の建売住宅顧客層に「お、なかなかいいね」と思わせる象徴として
効果的な外観位置にこの出窓を配置して、「見せびらかした」可能性。
一方は、当然のように多発する冬期の「窓面結氷」に対して
室内生活環境への否定的波及を抑制する意味合いで「張り出させた」可能性。
このように張り出させれば、結氷が溶解したときの水分処理が
より容易かった可能性が想像できるのですね。
窓辺の「カーテン被覆」も毎日濡れないで済む効用もあったか?
と考えると、その後の窓ガラスの複層化、耐候性向上進化方向の初見、
その最初期段階であったという想像も出来るのでは、と。
そしてその両方の要因が絡み合うように「ブーム化」したのか?
さらに、本州地域のこの時期同種住宅デザイン傾向はいったいどうであるのか、
北海道のオリジナルな「寒冷地デザイン」の初見ではないのか?
などなど、湧き上がる妄想はふくらんで止まないのであります(笑)。
おまけに建売不動産業者で「木下藤吉」屋号もまた、いかにも北海道的(笑)。
こういう業者の跳梁跋扈もきわめて興味深い北海道的特殊性の初見ではないのか。
新型コロナ禍で、このような寒冷地デザイン論議も進まないので、
ひとり勝手に妄想と疑問を膨らませ続けている次第。
再度、好事家(?)の反応・ご指摘を期待(笑)。

【北海道神宮:岩木山神社ほぼ同じ注連縄(笑)】

2020-07-24 02:17:42 | 日記



わたしの孤独のグルメ、ではない、孤独の神社注連縄探究。
ついにオモシロい発見に出会うことが出来ました。
上が北海道神宮の注連縄で、下が青森県津軽の「岩木山神社」注連縄であります。
おお、そっくり(笑)。
先日のブログでも書きましたが、神社の注連縄ってほとんど姿カタチを
記憶しているっていうことの少ないもの。
「ああ、あるよな」で済まされて、そのデザイン系譜をたどることはほぼない。
ちなみにWEBで検索してもはかばかしい進捗はない。
たぶんそんなことに興味を持つのは奇人変人の類だけなのか(笑)。悲しい。
なんですが、宗教建築というカテゴリーは建築の出自からの
営々と永続的なテーマであり続けてきている。
そして現実に全国の神社にはそれぞれ独特の注連縄がオリジナリティを
主張するように建築の表層を彩っている。
このデザイン的意味合いは、なにもないというようには言えないと思われる。

その全国の注連縄の中でも、北海道神宮のそれはかなり特徴があって
なんといっても注連縄上部に米俵が乗っかっている。
また、柱に巻き付けられた細い端部は「組紐」のように編み上げられている。
わたしは知らなかったのですが、これは「フラヌイ注連縄」と言われて、
富良野の人々からの「奉納物」であるとのこと。
奉納物であるので、神社側にはそのデザインを云々する意図は存在せず、
奉納者のデザイン意図だけが存在するというのです。
・・・っていうのは、いつもブログを激励してくれている方のご意見。
しかし、であるならば奉納者が代わるとデザインも変わるのかどうか、
また古来からの、たとえばきわめて特徴的な出雲の重厚な注連縄は、
いかにも、燦然とオリジナリティを放っていることはどう説明できるのか。
まことに奥行きが深いので全国の神社にアンケート調査する必要があるかも。
ところが、ひょんなことから写真の岩木山神社の注連縄を再発見。
わたしも2回くらいお詣りさせていただいているはずなのに
この注連縄はまったく初見の印象。
で、デザインがまったく北海道神宮とニアヒア。
ここまで似ていると、やはりデザインコードとして奉納者には意図があったのでしょう。
まぁ岩木山神社には本州社会の最北端の著名神社としての伝統もあるでしょう。
北海道神宮は、その流れからいわば「北のデザイン」として継承したのか。
ただよく見ると、米俵が3俵が2俵になっていたり、
注連縄の「ねじれ具合」が北海道神宮の方がより少ない。
また、端部の組紐状部分も、45度角度が傾斜しているなど、
ディテールでは違いが演出されてもいる。
さらに、北海道神宮は明治天皇との関係の方がはるかに強く、
明治神宮との同一性を追求させるべきという気もする。
で、明治神宮では神木を繋ぐような注連縄では、細めの出雲大社という
そういった印象のデザインがほどこされている。

このように検証してくると、この岩木山と北海道神宮の注連縄の酷似は
やはり奉納者にその意図を確認するしかないようですね。
とくにわざわざ「フラヌイ注連縄」とアイヌ語感の命名をなぜしたのか、
探究すべきテーマは沸き起こってきて止まないのであります。眠れない。
このテーマ、もし情報をお持ちの方はなにとぞよろしくお願いします。う〜む。

【北海道は「核家族化」ニッポン最先導地域】

2020-07-23 05:14:55 | 日記

当社では毎朝、ミーティングがあります。
そこで毎日1分間スピーチとして誰かが「コメント発信」することを義務づけています。
自己表現力を鍛錬することはこういう「情報製造業」の場合、欠かせない部分。
で、全国各地から(一部隣国韓国も)集まっているスタッフ構成で
いろいろ「生活風習・習慣」についての違いにそこで気付くことがある。
たまたまこども時代の「七夕でのご近所めぐり」の話題を提起の函館出身スタッフ。
「唄を流しで歌い練り歩いてご近所家庭からお菓子を供出させる」という「風習」。
子どもたちの集団がかわいい徒党を組んで練り歩くのだという。
「◎●▲◇、●◎▲◇、」って、わたしの道南函館では歌うんですけど、
みなさんの地域ではいかがですか? という問いであります。
というか、意図的仕掛けでスタッフ間「差異」を探究確認するのが狙いの様子。
スタッフは北海道内はそれこそ全域、道南、道央、道東、札幌周辺バラバラ
という構成なのですが、ごく一部からしかそういう「歌」への反応がない。
みんな「え〜。そういうの、ないよなぁ〜」という顔、顔。
というか、七夕の風習として、そういう「押しかけ集団」自体記憶がないという。
本州、仙台出身者や、東京世田谷、長野県などでも
「聞いたことがないし、歌ったことはない」。
あ、韓国では七夕自体ちょっと違う習俗のようです(笑)。ま、これは置いときます。
かと思ったら、札幌出身者約1名から「え〜、だれもいないの?」と驚きの叫び(笑)。
・・・かく言う最年長のわたしは、3歳から札幌中心部での暮らしでしたが、
そのような子ども同士の「コミュニティ」集団体験は記憶にない。
子どもコミュニティでは「石合戦」というまことに危険で暴力的な「徒党」経験は
怖ろしげな記憶としてあるけれど、集団で歌い練り歩く平和的な光景記憶はない。

北海道は日本全体各地からの「移民」社会がその本性であり、
しかもその出身地域から「仏壇背負って」来たような人はそう多くはない。
比較的に「村落」においては出身地域が共有されているケースがあるけれど、
より広域になってくると、そういう文化共有は薄まらざるをえない。
道南地域は、それでも北海道内では歴史経過時間が長いので、
「日本の一地方」意識も高くなって、地域性という生活文化のマユが育ったのか。
とくに札幌などの都市部に入所した人間の場合、
たとえば自分たちは瀬戸内海地域から来ているけれど、そのお隣さんは
北陸から来ていたり、その隣は東北から来ていたりとバラバラなので、
それぞれの「生活風習」にDNA的な違いがある。
いわば現代の「核家族」が超先導的に日本に導入された地域であって、
日本各地で違いがある「生活風習」は地域に根付かなかった可能性が高い。
いつも拙ブログに貴重なご意見をいただくTさんから以下のようなご意見。
「地域ごとの日本の伝統・趣ですが、ブログの通り北海道は、
習俗的なものに対して、ドライですね。
ドライになってゆく理由はいろいろ想像できますが、まず、気候。
習俗をやろうとするとき、現実のミスマッチが著しいですからね。
七草がゆ、ひなまつり、彼岸などもそうですが・・・。
七草は雪の下ですし、ひなまつりの唄の桃の花・梅の花はどこ?。
春の彼岸は、お参りというよりは除雪作業。神社で使う榊も生えていない。
さらに、家族が核家族が多いですから、習俗が地域に帰結していかない。
しかし、とはいえ一方で新しい習俗が生まれやすいもの確か。
食べ物の場合、石狩鍋、甘納豆の赤飯だったり、ちゃんちゃん焼きetc。」
といったご指摘がありました。まことに言い得て妙であります。

北海道はやむなく伝統を破壊し、一方で合理的な「新伝統」を産みやすい。
全国から人が集まって過密で3密な都会になっているのが東京で、
同じ全国集合でソーシャルディスタンスが極端なのが北海道なのかも知れません。
住の新しい合理性、暮らしやすさへの積極性なども北海道の特徴かも。
北海道「伝統」の全国混合スタッフで新しい生活感受性、発信したいですね。

【暴走覇権国家・中国の国際戦略での危機】

2020-07-22 05:26:21 | 日記

中国共産党独裁は、いったいどこに向かおうとしているのか?
〜本日はちょっと危うい現在の国際情勢・時事。非住宅ネタですがご容赦を。〜

今中国は全方位に敵を作り、目に余る剥き出しの「侵略国家」のふるまい。
世界中の迷惑・中華思想的な独善主義で「戦狼外交」に邁進中。
香港に対しては独裁専制国家そのものの暴政で強権の牙を剥き出し、
インドに対しては、国境で対峙するインド軍兵士を鉄棒で撲殺してきている。
新疆ウィグルでの「民族圧殺」への国際的非難にはウソと強弁の喚き声。
イギリスのテレビ放送での中国大使の居丈高な居直りはすさまじいばかり。
南シナ海での南沙諸島の軍事要塞化、国際司法裁完全無視の「行政区画」設定。
そして東シナ海では日本の尖閣諸島に対しての「侵略行動」。
ついには日本の漁民に対して、強権行使を脅迫してくるにまで至った。
さらに、日本領土の最南端・沖ノ鳥島に対して「島ではなく岩礁である」として
公然とした領海侵犯行為、測量行為を行ってきている。
まさに第2次世界大戦を引き起こしたナチスドイツと寸分違わない。
このふるまいのどこが、マルクスの唱えた人類的普遍思想の実現なのか?
孫子を産んだ兵法の国として、いまのかの国の国際戦略はまったく不可解。
ふつうに国家戦略を考えれば、主要敵性国家を絞り込んで
それ以外の国家群との「協調関係」を作って敵の孤立化をはかる、
「近攻遠交」〜遠い国と親しくし近くの国を攻略するのが戦略の基本。
そういった「理性的」戦略判断に基づいているとは思われない。
まぁ香港への対応について、一帯一路で手懐けた一部発展途上国群からは、
「中国の内政問題だ」という「強制された応援の声」もあるということなので、
かれらなりに、国際的戦略を立てて実行しているという思い込みはあるのだろうか?
しかし、ドイツ以外のヨーロッパ主流を含め世界の主要先進国は押し並べて
足並みをそろえて反中国の国際戦線が構築されてきている。
南シナ海ではアメリカ海軍艦隊が、暴走する中国艦隊に対峙する抑止行動を開始。
英国の空母も同調してアジアに派遣されるとしている。
対中貿易とロシア天然ガスエネルギーに深く依存しているドイツだけが
別行動を取りつつある、というのが当面する世界情勢。
ことしはアメリカ大統領選挙の年で、この世界最大の武力国家の帰趨が
不透明な状況であり、しかもいまのところトランプ政権継続には
黄色から赤信号が点っているとされているので、
中国としては「やれる範囲の限界まで」手を伸ばそうと考えているフシがある。
「どうせいまは、アメリカは大きな手は打てない」という足下見定め。

こういうのが中国を巡っての世界情勢ということでしょう。
そうした国際関係の中で先述のように日本も中国の侵略行為にさらされている。
第2次世界大戦での「敗戦国」という十字架から、占領連合国軍が強制した
「連合国絶対善・史観」への拝跪が根強い日本主流メディア論調だけれど、
しかしいまやその戦勝連合国体制そのものの「国連」すら機能不全に陥っている。
主要国であるアメリカが、世界の警察国家であることから撤収しようとしているし、
そもそも戦勝国ではない「中華人民共和国」が常任理事国を台湾から背乗り簒奪し
ロシアと結託することで利己的な利益追求をして、安保理が機能不全に。
そのロシアも「戦勝国」とはいえない。戦後世界体制は欺瞞に彩られている。
いまや国連事務総長・グテーレス自身がこのことを指摘している。
この流れからトランプは国連の一組織であるWHOからの脱退を宣言したけれど、
しかし民主党大統領候補バイデンは、就任したらすぐにそれを撤回と宣言。
世界はアメリカ大統領選挙の帰趨が決するまで、どうしても不透明状況が続く。
この間隙で中国の侵略の実験地域として尖閣や沖ノ鳥島がピックアップされ
侵略行為が現実化され既成事実化される危険性は高まっている。
戦前の「関東軍」のような「戦狼」跳ねっ返りが中国内で暴発する可能性はある。
そういう事態を抑制するような姿勢は習近平体制からは見えない。
いまとなっては危険極まりない「習近平国賓来日」カードは、むしろ
このような中国の侵略行為のなかで日本の行動制約要素になってしまった。
自民党若手による対中非難の動きは、現政権内での路線闘争といえる。
中国の侵略姿勢は、コロナ情報封鎖への不満と経済苦境から目をそらさせるため
対外的緊張を高めているという側面が大きいといえるけれど、
巨視的には中国はこのタイミングで対日侵略カードを切ってくる可能性はある。

国連体制、第2次世界大戦後の「戦後体制」が、
最終的に崩壊するタイミングが迫っていると思っていた方がいいかもしれない。
その時を考えて日本の進路を見定める必要があるのではないか。