人間的意識とは、自らとの関わりが他者と関わるものである。
自らとの関わりとは、人間に限らない意識一般を指す。一般的意識が他者と関わることで、初めてそれは人間的意識となる。
キェルケゴールは、絶望の進化の弁証法が人間を自らの意識の内奥に導くことを示した。それだけではなく、それがさらに他者への積極的関わりに転化するのを示した。当然といえばそれまでなのだが、自らの意識の内奥をいくら検索しても、たどり着くのは産まれてきて生かされているという事実だけである。人間の内奥は、空っぽなのである。内が駄目なら、外へ向かうしかない。マルクスが最初から外へ外へと向かったのに対し、キェルケゴールは遠回りをしたことになる。しかしこの遠回りは、後にハイデガー以後の実存主義を産んだわけで、無駄だったわけではない。
さて人間的意識なのだが、なかなかその意識の意識たる状態を実現できない。自らと関わるにしても、他者と関わるにしても、そのための時間的余裕が必要である。簡単に言えば、庶民は生活に忙殺されており、ただの機械人形になってしまう。これはマルクス的表現なら労働疎外であり、ハイデガー的表現なら堕落である。つまり庶民は、人間の形をしただけの物体になっているわけである。ただし現代の庶民は、マルクスの時代の庶民と違い、朝目覚めてから夜寝るまで仕事をさせられるわけではない。だから物同然に近いながら、庶民には意識を復活させる瞬間がある。
ハイデガーの予測では、その瞬間に不安が庶民を襲うことになる。ただしこの予測は、いい加減なものである。もし庶民がすでに目的意識をもった行動を自ら決定済みであれば、不安に陥ることなくその目的行動に移るはずである。むしろその場合、不安に浸ることなく、庶民は大喜び状態にいるはずである。もちろん大概の庶民は、生活不安を抱えているはずだが、実存主義が論じる不安とは種類が違う話である。
話を戻せば、人間的意識が単なる意識一般ではなく、また人間的意識という比喩表現ではなく、人間の意識となるためには、生活維持行動からの離脱が必要である。その状態に至ってようやく、自らとの関わりを通じた他者との関わりが始まることになる。
人間存在の本質は自由である。人間の自由は、上記のように生活維持行動からの離脱を必要条件にする。この必要条件を満たせば、ひとまず人間は人型物体から脱皮する。しかしそれだけでは十分ではない。自らとの関わりを通じた他者との関わり、という本来の人間の姿への脱皮という課題が残っている。
急に世俗的になるが、この脱皮はもっぱらお金がかかる。お金のかからない脱皮方法もあるはずだが、現代の庶民には文無しで他者と交流を企てるような度胸は無い。自慢ではないが、少なくとも筆者はそうである。冗談っぽくなってしまったが、まじめに私的所有は自由の十分条件なのである。
ここで言う私的所有とは、洗濯機や掃除機のような生活資材の話ではない。生活資材の私的所有は当たり前の話であり、当たり前ついでに公共機関がそれらを庶民に無期限無料リースしても良いくらいである。重要なのは、自らとの関わりを通じた他者との関わり、これに必要な資材の私的所有である。この私的所有の必要な対象は、端的に言うと、言論表現のための物的資材である。
ひとまずアメリカを中心にした資本主義社会に求められているのは、庶民の福利厚生の実現であり、生活維持行動からの離脱という人間的自由の一般的課題の実現である。欧米資本主義では、リーマンショックのせいで資本主義的所有関係が経済発展に翳りを落とし始めているが、それでも支配体制側に余力はまだまだ十分にある。どのみち発展途上国の経済発展が完了するまでは、日本を含む欧米資本主義で、資本主義的所有関係への懐疑も生まれてこないように見える。したがってこのあと１００年の日欧米資本主義は、共産主義への移行はもちろんとして、体制的なモデルチェンジをしないであろう。
それより重要なのは、北朝鮮やミャンマーのような圧制国家の廃止である。旧ソ連より前の独裁国家では、少ない私的所有物を武器に反体制活動が可能であった。しかし旧ソ連は、私的所有の廃止という美文のもとに、庶民から言論表現手段を奪った。これが旧ソ連にもたらしたのは、人間そのものの破壊である。同型の人間破壊は、まだまだ世界のそこかしこに存在し、自称先進国でさえ言論表現手段の国家管理を模索しているのが現状である。
そんなこんなで残念ながら、マルクスが言うような人類前史は、当分続くようである。
ちなみに元手なしでも、本来の人間の姿への脱皮を行う人たちは存在する。命をかけて他者のために人生を捧げる人たちである。そのような人たちは、生まれついての人間なのである。
すばらしいことである。
(2011/01/08)