バイク訪問は初めて郡上市の八幡城。
永禄2(1559)年、遠藤盛数が現在の城山に陣営を敷いたことが城の創建とされています。3代城主格稲葉貞通は天正16 (1588) 年に山頂を本丸とし天守台を設け、山腹の平地を居館とし、二之丸としました。
明治4(1871)年の廃藩置県により郡上藩は廃藩し、翌年から石垣を残して城は順次取り壊されました。城の石垣は古くは天成期、慶長期、寛文期、文久期のものがあります。八幡城跡は昭和31 (1956) 年に岐阜 県史跡に指定されました。
昭和初期の経済は低迷していましたが、失業救済のた め、八幡町長 仲上忠平が建設を決定しました。地元郷土 振興のため水谷藤兵衛を大工棟梁とし、昭和8(1933) 年に大垣城(昭和11年国宝指定、同20年焼失)を参考にした木造四層、入母屋造、桟瓦葺の模擬天守を城山の天守台に建設しました。
昭和8年2月11日に上棟式を行い、5月20日に模擬天守 が竣工しました。第二期工事として櫻之丸に門と土塀、 櫻之丸と松之丸に隅櫓各1基を新築し、10月28日に完成。11月3日に落成式を行いました。模擬天守は昭和62 (1987) 年に郡上市重要文化財建造 物となりました。八幡城は近代以降に建てられた天守の中で、最も古い木造天守の一つとなっています。
そして、日本真ん中センターへ。このセンターは何の真ん中なのかを調べてみた。
人口重心地を表したモニュメントにもなっている世界最大級(37.3m)の日時計が組み込まれた施設外観など、美並町の主要な観光施設として人気がある。