あなたの黄門様は❓️
フォロワーさんに刺激され、日本真ん中センターにやって来ました。ブラブラと館内を散策しても沖縄を含む真ん中なのか九州上部なのか分かりませんでした。
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ロンドンからのたよりを紹介します。そして、私が返信した通信文は
「イギリスでもじつは、桜の歴史は長い。ヨーロッパ原産の「ブラックソーン」は、田舎でよく見られる桜で、初秋に小さな青い実(スロー)をつける。低木で丈夫なので、昔から生垣などに利用され、実はジュースにしたりジンに入れたりして飲用されてきた。次に、ローマ人が紀元前後にイギリスに持ち込んだといわれる、食用の赤い実をつける「サクランボ」の木。人々はサクランボをデザートやジャムに広く利用するようになり、この桜はイギリス人の暮らしに深く根づいた。チェリー・プラムもこの種類である。また、200年余の鎖国を終えて世界に姿を現した極東の日本から、浮世絵や陶器、根付けなどとともに、美しい桜がはじめてヨーロッパに紹介されると、「日本ブーム」が起きた。イギリスに来た桜は、「アサノ」、「ヒサクラ」などと日本の名前がつけられ、愛好家のあいだで熱狂的に受け入れられた。こうして「ジャパニーズ・チェリー」は各地に植えられるようになり、イギリス人の暮らしに馴染みのある木となっていった。」
5回で1500円の水彩画講座を受講した。黒板に、講師の描いた一枚の絵が貼ってあって、それを見て描くだけのこと。殆んど想像だけで自身が描く。葉っぱもどんな形や大きさがわからない。葉っぱの大きさは講師のものは花より大きいが確か小さいはず。作風はどんよりぼやけていた。まあ、私も見てのとおり下手くそな絵しか描けないが、こんなものかなぁと勝手に納得した。
スイカは、安土桃山時代(1560年代)にポルトガル人が持ち込んだという説。また、江戸時代の農業全書や本草図鑑にスイカの記述があり、天保年間の絵馬にはスイカの切り売りの様子が描かれていますが、無地皮になっています。現在のスイカは、緑の地に濃緑の縞模様が一般的ですが、こうした品種が広まったのは、昭和初期以降で、それまでは黒皮、無地皮が一般的でした。私の子供の頃は「鉄カブト」といっていました。
「天の母 藁を引きせし 鉄カブト」百握
これ、落語に出てくる“ うんなんまつ ”
ウソっぱち、落語「寿限無」は “ うんらいまつ ”
【寿限無寿限無、五劫のすり切り、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのやぶこうじ、パイポパイポパイポのシューリンガン、グーリンダイのポンポコピーの、ポンポコナーの長久命の長助さん】
「歩進め 生きる辛さ 青松葉」百握
朝のウォーキング足跡でリーフ(葉っぱ)を描こうとしたがGPSとの相性が良くないのか、ぐちゃぐちゃの軌跡となった。いつもより速く歩いて1km余分に歩いたのに❗️因みに真ん中の茶色線は加筆した。ナスカの地上絵は難しい😅😅😅