けにーやじま (旧無礼講ロッカーズ)

信濃三十三観音札所NOW!
令和以降は長野県内外の札所めぐり、古刹名刹訪問記が主です。

上州三十三観音札所霊場第12番(その2) 観音山北野院 万徳寺(石山観音) 令和六年縁日

2024年01月22日 | 上州三十三観音霊場


当札所の概要 石山霊園(石山観音)のウェブサイト
石山観音のX(Twitter)アカウント
場所:群馬県伊勢崎市 赤堀町下触町(しもふれいちょう)4

真言宗豊山派 本尊:馬頭観世音菩薩

・年に一度、毎年1月第3週に行われる観音縁日。本尊、北関東随一の馬頭観音で一名「師子無畏観音」と、弘法大師作と伝わる秘仏、石山観音像の拝観へ。

令和6年1月20日(土曜日)
7:15 長野市内出発 長野真田線 地蔵峠~上田菅平IC
8:50 松井田妙義IC下車~下道
10:25 万徳寺(石山観音)着

・駐車場は満車、参拝客の多くはお焚上げの達磨を持参。境内は飲食屋台も出て賑わっている。
・今日は沢山お客さんが来るから、ネコチャン達は別の場所へ隔離!だそーです。(どうやって集められたのかは?知りません)

縁日法要(9:00~15:00)
10:00、11:00 観音堂(馬頭観音、秘仏聖観音石像) 
12:00 観空苑(本堂):(阿弥陀如来)
13:00、14:00 観音堂(馬頭観音、秘仏聖観音石像)

・観音堂内にて護摩焚き読経。南無家内安全・無病息災・交通安全・学業成就。
・堂内には馬頭観音像の他、如意輪観音、十一面千手観音、聖観音の像がおわす。
・観音堂の裏へ回り、正に「石山観音」の所以たる、嵯峨天皇代(大同四年(809)~弘仁十四年(823))、弘法大師がこの地を巡錫した折に岩頭に刻まれた「秘仏」聖観音石像を拝観。岩頭の聖観音像は堂の内部に突き出す形で、扉で保護されている。線香を上げ、御真言を唱える。

法要の合間、参詣者からの問いに住職が丁寧に答えてくださいました。

・「秘仏」聖観音石像の写真撮影はご遠慮ください。
元来の馬頭観音像はいつかの昔に盗難されてしまい、代わりの像となって久しいとのこと。
・かつての万徳寺は、この地の西(現地ではペヤング工場の方角)の農地の中にあり「下のお寺」と呼ばれ、石山観音は下触の住民がお守りしていた。
・万徳寺は江戸時代に焼失してしまい、その後ここ石山観音に移る。(「仁王門に安永五年1776年の棟札があった」ブログを拝読)。歴代住職は現在の竹藪の辺りに庫裏を建て暮らしていた。
・先代万徳寺住職の逝去後、親戚筋である現住職の兼務体制となり8年がたつ。縁日は以前より盛んである。
・現在の万徳寺には本堂が無いので、観空苑(石山霊園納骨堂)を本堂代わりとして阿弥陀如来をまつり、法事を行っている。
・「蒋総統 謹謝重恩の碑」(昭和55年建碑)は霊園の頂上、八海山大神石像の元にある。


札所としての歴史は?(書籍「上州の観音札所」を読んで)

・群馬県内に江戸時代から記録がある観音札所霊場を詳しく調べた「上州の観音札所(みやま文庫:平成3年)」に、嵯峨天皇代と伝わる石像観音がおわす万徳寺(石山観音)の名がないのは意外であった。万徳寺と石山観音が昔は別個であったからかも知れない。ここが札所となったのは、平成11年に新上州三十三観音霊場(現在の上州三十三観音霊場)が発足してからのようである。



 



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