けにーやじま (旧無礼講ロッカーズ)

信濃三十三観音札所NOW!
令和以降は長野県内外の札所めぐり、古刹名刹訪問記が主です。

信濃三十三番札所 第九番蓑堂:蓑堂山観音堂の今・その2(須坂市米子)

2024年04月15日 | 信濃三十三番札所霊場

信濃三十三観音札所めぐり 公式サイト

令和6年4月現在の蓑堂観音堂参道

・みのどうトンネル脇からの本来の参道であろう一帯は、身の丈の笹薮にミッシリ覆われて歩行できない。一旦藪に入ったら最後、身動きがとれなくなる。
・この笹薮エリアは延長100mほどだろうか。それを抜けるとはっきり道とわかる広葉樹林の遊歩道的な山道となり、尾根に出ると大正天皇「御即位記念碑」がある。
・尾根は幅広く、山道は尾根向こうの標高627mのピーク、米子城址に通じる。
・尾根が岩場に差しかかったところに三界萬霊の石塔、その奥の
岩上に石仏(念仏供養塔)がある。いよいよ岩登りのはじまりである。
・参道の標識は無く、歩けそうなところを歩いていく。ところどころ岩塊が階段状に削られ、観音堂への道標となるが、鎖やロープもなく、捕まる樹木も少ない。
・よそ見したら落ちる。とても「べべ出し」などと呑気に妄想する状況でない。


観音堂は当然「もぬけの殻」。でも、これが歴史を物語る。
・お堂は基礎部分が地震の揺れに耐えられず崩壊し、傾いた模様。
・崩れた基礎コンクリートに、施工時に混入された多量の瓦の欠片が見られる。人力施工は大変だったでしょうが、脆過ぎた。
・落下物、倒壊物で頭部を無くした石仏が哀れなり。下の集落に落石被害が及ぶのを食い止めたのだと思いたい。
・完全倒壊でなく幸いでしたが、余震の中での本尊十一面観音の救出は、大きな緊張が走ったことでありましょう。



・修験場の雰囲気を醸し出す岩尾根の先には米子不動。加えて断崖絶壁上から見る下界に、いにしえの人はここに補陀落浄土を重ねたか。

・参道にある石碑、石仏


(上左)みのどうトンネル脇、参道入り口「蓑堂山九番 観世音 寛政三年四月米子村」(1790)
(上右)尾根鞍部:「御即位記念碑 大正四年十一月十日 米子青年會」(1915)
(下左)尾根が岩場に差しかかったところに灯篭型の三界萬霊円柱。左奥の岩上に石仏(念仏供養塔)
※三界とは、「仏教でいう過去・現在・未来を示す」とのこと。
(下右)念佛供養塔「下米子村 明和三年 念佛供養塔 二月吉日」(1766)

・3月にチャレンジした東尾根を塩野地区から眺めたら、明らかな凹部が。(写真右が観音堂方向。)
こりゃ橋かけるか、梯子かけるか、本格的なクライミング装備でないと絶対に超えられないね。





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