門掛けのもみじ舞い散る冬支度

我が身に旅立ちの支度を教えているようで、寂しい景色です。
振り返ればいろんなことがありました。

夜泣く声の悲しさは

2007-11-16 09:29:33 | Weblog
今C型肝炎の和解にやっと辿り着きましたが、それはずっと以前いつの間にか
罹って苦しんだ例もあったのです。事務所を閉めて従業員や訪問者も居なく
なったのを見計らって、さあそれから始るのは延々と泣く妻の慟哭でした。
傍らに居てそれをじっと聴いている悲しみを厚生省のお役人さまには分かって
戴けないでしょうか。「何も悪いことしてないのになんで私が、、」それに
なんと答えたらいいのでしょうか。誰も嫁に来てくれない処に来て泣かせてしまったこの悔しさが心に響きました。それが3月毎日10時まで続き、それから家に
帰り食事をしました。肝機能のマーカー数値が3月目の強力ミノフアーゲンの
注射で下がってから、土日には温泉に必ず行き心の平静を取り戻すことが出来ました。それからもう何十年2~3ヶ月間隔で肝臓ガンの恐怖に脅え検査を欠かさずしています。もうボツボツ危ないよさりげない医師のシグナルに脅えながら、、、
家内も父母を亡くし、もう頼れるのはあなただけと言われたとき、このC型肝炎
発症の大きな壁に立ちはだかり、私と結婚しなければこんな不幸は回避出来たのにと悔恨の涙を密かに流しています。のらくら上等兵

まさかにタナボタも

2007-11-15 08:54:20 | Weblog
まさかの起源を辿れば、この世にオギャーと生まれたとき、
早くも発生していました。
父は目方が630匁の待望の男子出生に喜びこよなく愛してはくれたが、
半分諦めて海のものとも山のものとも分からんが口癖の中に
何故かママのおっぱいを吸う力だけは抜群に強く生き延びたのでした。
そんな私の応援団長の父と副団長の母もお前の嫁さん見て死にたかったと
今際の際に言って旅立ちました。(泣)
年頃になって数多くお見合いをしたのだったがダメでしたね。
私が相手の女だったらやはり断ったでしょう。
金なく体格も男前もイマイチでいいとこなしでしたから。
そして最後に破れかぶれで写真を送ったのを見て遠方から
見合いに来るとの返事にビックリ。
縁は異なもの味なもの。
ちょうちんに釣鐘が釣り合わぬのに結ばれたのでした。
なんでなの?
それはこわくて未だに訊いていません。
まさか私がきむたくに見えたのでは 

私のまさか

2007-11-14 13:30:41 | Weblog
小泉さんが言った「まさか」のまっさかさまが私にもありました。
それは一本の電話から、、、
ワーンワーン!いきなり飛び込んだ泣き声にそれこそ耳を疑いました。
それは正しく家内の声だったのです。そして途切れ途切れに訊いた訳は
大腸癌でその翳で真っ黒、すぐ手術だと。
便に血が混じってるので念の為に行った病院のレントゲン検査で
医師にそう言われ腰が立たぬのをやっと自宅まで辿り着いて怖さが爆発した
耳をつんざく電話だったのでした。仕事場から帰って慰めようにも私も頭が
真っ白で言葉がでませんでした。病院に行って医師に確かめると、すぐ入院して
手術すること。その為にスタッフが今打ち合わせしていると聞いて、
セカンドオピニオンの選択肢が浮かび待ったをかけました。図書館に行って
大腸癌手術の名医を調べそこにすぐ電話したら引き受けるとのことで
その希望を言って写真や所見を預かり遠方でしたが某大学病院で
再検査しそこで手術を受け無事成功し現在は10年経過しています。
いまは名医が居なければどこまでも全てを捨てても追いかけていくそんな
バイタリテイをもって当たれば鬼神もこれを避くですね。
仕事も辞めてましたが、お蔭で事業に幕を引く時家内が癌なのでの一言で
取引先や関係者がみんな納得してスムーズに辞められました。
順風満風でしたが翌年から業種の締め付けが厳しく続けていたら
倒産していたかも。塞翁が馬の危機一髪でした。
のらくら上等兵