Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

旅番組は人

2014-01-25 22:52:17 | テレビ
だらだらしていると調子が落ちてくることがあるので、今日はさっさと更新してしまおう。

旅番組をよく見るのですが、最も肝心なのは行き先でも企画でもなく、出演者だと思います。いくらおもしろい企画でも絶景でも、出演者がひどいコメントを連発すると、ものすごくつまらなくなる。退屈になる。もちろん演出も重要ですが、やはり出演者の方が大事。

景色に対するコメントというのは、料理に対するコメントより難しいというのがぼくの持論。料理は食べてみないと全く分からないですから、コメントがどんなに単純であっても(たとえ「美味しい」だけでも)、僅かなニュアンスくらいは視聴者に伝わってきます。しかし景色というのはテレビに映されていますので、「きれい」とか「すごい」というような視聴者にも分かる情報は、かえって鑑賞の邪魔になってしまうのです。キャーキャー大声で騒いだり、何を見ても「ヤバイ」を連発したり、そういうのは興冷めしてしまいます。

テレビに映されている景色に対し、どれほど含蓄あるコメントを与えられるか。目には見えているけれども気が付かないようなことを述べられたら、最高なのだと思います。例えば遠くに山脈を臨んでいる。日が暮れようとしている。その景色をカメラが押さえている。このとき「キャーきれい」と叫んだり、「ヤバイ」と連呼するのは最悪です。そうではなく、「山の端に日が沈むね」とか「日が落ちて急に肌寒くなったね」とか、些細なことでいいのでもっと人間らしい言葉を喋ってほしいです。

景色を見て叫び咆えるだけだったら、何の芸もありません。盛り上げようとしているんだと思いますが、ただ叫んだって盛り上がりません。もし盛り上げたいんだったら気の利いたジョークでも飛ばした方がいい。

旅番組は、景色より人が重要です。

分からなかったこと

2013-12-30 23:02:16 | テレビ
テレビで『あまちゃん』のダイジェストを見ながら、ダイジェストだけどやっぱおもしろいなあと感嘆。今放映中のごちそうさんの方が視聴率がよいみたいだけど、その理由が分からないなあ。個人的には、あまちゃんの方が断然おもしろい。この作品で朝ドラを見直した人がごちそうさんを見ているから、視聴率が高いのか、それとも単純におもしろいと思う人が多いから視聴率が高いのか。アキちゃんの後では妖怪人間にしか見えない、などと放映前は揶揄されていたヒロインだったけど、始まってみればドラマは大健闘している。

それにしても、もしもこちらの作品の方をあまちゃんよりもおもしろいと感じている人が多いのならば、人の心ってよく分からないな、と思う。ベストセラー小説や大ヒットドラマって、作るのが難しいんだろうな、と改めて思う。

今世紀の朝ドラの中では、『ちゅらさん』、『純情きらり』、そして『あまちゃん』が3トップですね、ぼくの中では。それくらいあまちゃんよかった。

ところで、このブログを更新するのも今年はこれで最後になりそうな予感がしています。明日の夜中に更新するかもしれませんが、それはもう「来年」ですので。あれ、そうだよね?

というわけで、今年は皆々さまに色々なご心配をお掛けしてしまいましたが、どうもすみませんでした。来年こそよい年にしたいものです。それでは。

雪上の焚き火

2013-12-19 23:53:02 | テレビ
昨日テレビでスウェーデンを紹介していたけど、よさそうな国だなあ。ぼくは外国に行きたいなんて普段は全然思わないんだけど、スウェーデンにはちょっと行ってみたくなりました。別に観光したいわけじゃあないんですが、雪の上で焚き火をしてソーセージを焼いたり鮭を焼いたりしているのを見ていると、ああいいなあって思えてきます。前にも書いたことがありますが、ぼくは焚き火というものに憧れている・・・。しかもそれが雪の上で! いいなあ。この焚き火への憧れがどこから来ているのか判然としませんが、でも少し思い当たるのは、『森は生きている』。幼時に読んだこの本の中には雪上の焚き火のシーンがありますが、このシーンへの強いこだわりが、今でもぼくの憧れになっているんじゃないだろうか・・・。

森の中、雪の上、焚き火。日本でも可能な気がしますね。憧れちゃうなあ。

教養と花火

2013-07-28 00:15:22 | テレビ
中止になるかもしれないから見よう、という意地悪な動機から隅田川花火大会の中継にチャンネルを合わせました。すると、案の定土砂降りの雨と強風で花火大会は中止。花火師を始めとする関係者には誠にお気の毒なことで、また楽しみにしていた人たちにとっても残念な結果となりましたが、しかし中継を続ける番組のゲストたちの様子がおもしろかった。

とりわけ樹木希林がよかった。豪雨の中、久保田万太郎の花火を詠んだ俳句を次々と読み上げていったのです。花火大会にゲストとして招かれたので、事前に準備してきたのでしょう。大御所と言っていい女優ですが、下準備をぬかりなくやっている。こういうハプニングでもなければ全ての句を紹介する機会はなかったかもしれないのに、しっかりと調べてきている。しかもそれが久保田万太郎というのが憎い。

樹木希林は文学座の女優ですが、その文学座を立ち上げたのが久保田万太郎であって、彼は小説家・戯曲作家としてのみならず、俳人としても夙に知られています。ぼくも10年くらい前は少しばかり彼の小説を読んでいましたが、こんなにも花火に関する句を作っているとは知りませんでした。久保田万太郎は浅草生まれの江戸っ子ですから、隅田川花火大会の中継中に彼の句を紹介するのはいかにも相応しい。

彼の『三の酉』という短い小説は、ほとんどが会話の応酬で構成されている、やや特異な体裁を取っているのですが、この機会にこの短編をさらりと読み返してみて、その軽妙な語り口や末尾の儚さに、外国語文学ではなかなか味わえない感興を覚えました。三の酉というのはもちろん酉の市のことですが、一の酉は賑やか過ぎて嫌だ、行くなら二の酉か三の酉がいい、という意味の台詞が小説中に出てきます。さりげない台詞ですが、酉の市を知らない外国人にはたぶん分からない、日本人にしか分からないこういう微妙な部分が滋味深いですね。

久保田万太郎は戯曲を書いているし、文学座を立ち上げているし、何かの芝居の演出もやっていると思うのですが(もしかしたら勘違いかもしれませんが)、そういう彼の趣向が『三の酉』のような会話体小説を書かせたのだろうな、という気がします。プイグなんかとすぐ比べたくなってしまうのは外国文学が好きな人間の悪い癖ですが、久保田万太郎の小説は会話の妙に比重が置かれています。

さて、今回の中継は樹木希林のプロしての心構え、そして教養が垣間見えて、とても興味深かったです。

カラマーゾフの兄弟

2013-01-06 23:48:30 | テレビ
1月12日から毎週土曜日、フジテレビで『カラマーゾフの兄弟』が放送されるそうですね。日本初のテレビドラマ化みたいです。あの物語を現代日本に舞台を移し替えてドラマ化。やはり気になるのは配役ですが、イワン役に市原隼人かあ。原作を知っている人の多くは感じると思うのですが、イメージと違う。市原隼人は、やはり『ルーキーズ』なんかの熱量溢れる演技が印象的で、知的なイメージはないんですよね。翻ってイワンと言えば、頭の切れる冷厳な若者。ドラマでも、司法試験に一発で合格した頭脳明晰な人間という設定ですし、市原隼人のイメージとは合わない・・・。でも、そこが役者の演技のしどころなのでしょう。従来のイメージを覆すような演技を期待したい。

『カラマーゾフの兄弟』はキリスト教がベースになっていますから、日本を舞台にするのは難しい気がするのですが、そこをどう脚本家が料理するのでしょうね。「大審問官」をいかに描くのか。不安材料は、公式HPの「イントロダクション」の俗っぽさ。原作は基本的にミステリ/探偵小説の趣きがありますから、俗っぽくしようと思えばできてしまうのが怖いところ。しかしやはり、ドラマは重厚且つ情愛に満ちた作品に構築されていることを望みます。

まあ、自分はまもなくモスクワに旅立ってしまうので、見られるかどうか分かりませんが。

しじみのダンス

2012-08-06 23:34:29 | テレビ
このあいだNHK『みんなのうた』を久々に見たら、「しじみのダンス」という歌がかかっていて、その映像制作をしている人がYKBXと関和亮だった。初め目を疑いました。NHKって目敏いよな。ちなみに、大桃洋祐が別の歌でやはり映像を制作していた。NHKって目敏いよな。・・・という、驚愕の事件でした。

それにしてもYKBXが「しじみのダンス」って・・・意外な組み合わせだなあ。

雨月物語と清盛

2012-08-05 03:09:43 | テレビ
大河ドラマの再放送を土曜日に観ました。予告編で既に予想されたように、これは上田秋成『雨月物語』の「白峰」という話に材が採られていました(それとも『雨月物語』以外にこういう伝説があるのか?)。

西行が怨霊となった崇徳上皇を鎮める「白峰」は、小学校の低学年のときに読みましたが、全くおもしろくなくて、ほとんど記憶していなかったのですが、今回のドラマをきっかけにもう一度読み返してみたら、やはりそれほどおもしろくない・・・。よく知らない平安時代の政争のことが話の主なので、これは小学生にはきついよなあ。今なら、ドラマのおかげで政争や戦の推移は分かるのですが、しかしそれでもおもしろいかと言えばそんなこともないわけで。

大河ドラマの方は、けっこうおもしろいと思いますよ。どっかの知事(どこの知事だったか本当に失念)がドラマをけなしたせいだかどうだか分かりませんが、視聴率は低迷しているものの、おもしろい。知事がけなそうが、視聴率が低かろうが、おもしろいものはおもしろいので仕方がないですね(ドラマのスタッフは可哀想です)。とりわけ今回(7月29日放送回)は、『雨月物語』を知っていると尚おもしろいですね。ドラマでも本当に崇徳上皇が異形の姿に変じていたので驚きました。鎮めたのは西行一人の力ではないように描写されていましたが。

かつて『雨月物語』中の一篇「吉備津の窯」がアニメ化されたことがあって、あれは怖かったなあ。「白峰」はそんなに怖い話ではないのですが、ドラマでは特殊メークが恐ろしかったです。

それにしても、今年に限って大河ドラマの視聴率が低い理由が確とは分かりません。例年と比べて質的に劣っているわけでは全くないと感じますが。やはり知事の批判が遠因か・・・? 彼は「白峰」を読んでいるのかなあ。どうでもいいけど。

NHKアーカイブス

2012-04-22 23:49:47 | テレビ
昼間のNHKに、なんとなく見入ってしまった。
かつて「新日本紀行」が放送した浪江町の当時と今。1973年と1981年の浪江町。

上映していたホールのお客さんが、自分の旦那や母親が映っていたことに喜んでいる様子は、涙ぐましかった。原発事故どうこうではなく、そこには普通の人の普通の反応があって、いや、普遍的な人々の普遍的な反応があって、その余りの普遍性に、涙を誘われた。そういえば、『ぽんぽこ』のラスト近くにもこういうシーンあったよな。あの頃にはもう戻れない、というのはだから普遍的な寂しさであるんだけれども、でも浪江町の場合は、それが単なる寂しさや切なさ、感傷ではなく、悲劇になってしまっている。

かつて、浪江町は東北電力の原発を誘致しようとしていて、一方でその反対派もいて、結局のところ浪江町に原発はできなかったのだけれども、その隣町に東京電力の原発ができて、そしてその甚大な被害を被ることになったのは、町長も言っていたように、皮肉なことだと言わざるを得ない。

いま「新日本紀行」の映像を見ると、自分の故郷でもないのに、ひどく懐かしい気がする。サーカスの滑稽な場面は、それを眺める笑顔ともども、とてもよかった。

映像の力

2011-12-25 23:43:21 | テレビ
TBSで一日中放送していた番組、14時25分からの報道特集だけ見ました。これは、震災の記録を現在の時間と同時進行で流す、という興味深い企画で、実際、今日の14時46分に震災記録映像がスタート、それからキーとなる時間を設けつつ、様々な場所の「そのとき」を映像で追って行きました。

昨日か一昨日くらいに、日本テレビでやはり震災のドラマを放映していましたが、こちらが「1000年後に残したい」と銘打っていたにもかかわらず、安っぽい三文芝居を垂れ流していたのに対して、今日のTBSは多方面で起きている「事実」を実直に報道していたように思います(それにしても日本テレビは、震災記録と震災ドラマの合間にネット詐欺事件をねじ込んでいて、意図が分からなかった、なんであんなしょうもない事件を震災と同列に置いたのか)。

放映は5時間に亘っていたので、全てを視聴できたわけではありませんが、改めて今度の震災の凄まじさを思い知らされました。この度はぼくも帰宅困難者となり、早稲田大学の大隈講堂で不安のまま夕飯(近くのコンビニで僅かながら辛うじて調達できた)を食べました。

大隈講堂では、前方のスクリーンにNHKのニュースが流され、そこに被災地の惨禍が大写しにされていました。今どのようなことが起きているのかを初めて知って、ぼくは息を飲みました。そして・・・これは既にブログに書いたことかどうか記憶が定かではありませんが、枝野官房長官の記者会見も映し出されました。彼は次のような意味のことを言ったはずです。我が日本国の力を結集させて、事に当たります、と。ぼくはそのとき一人きりで、携帯の電池も切れてしまい、とても心細い状況でした。そういうときに、官房長官のこの言葉を聞いて、ぼくは素直にうれしかった。ほっとした。力が湧いた。そうだ、日本の底力を見せようじゃないか、と馬鹿みたいに思った。政治のことなんか普段はこれっぽっちも関心がないのに、官房長官の言葉で、ぼくは確かに勇気づけられたのです。

官房長官含めその後の政府の対応がどうだとかを言うつもりはありません。でもぼくは、極めて私的な理由から、枝野氏に感謝しているのです。この感情は、本当のものです。

番組がつまらなかったので

2011-09-09 23:24:38 | テレビ
さっきまで高校生クイズを見ていたのですが、あまりにつまらないので途中で席を立ち、こうしてパソコンの前に。

以前のように、肉体も駆使した、よりバラエティ向けのクイズの方が楽しかったんだけどなあ。近年は妙にマニアックになってしまって、答えを聞いても「はあ、そうですか」という気分にしかならない。これが一つ。

もう一つは、やたら高校生たちを番組が持ち上げるのがどうも気に食わない。更に、「東大」「東大」と連呼する様子もうんざり。

偏差値80を超えたら「天才」ですか?あ、そう。東大合格者数が全国一位ってのはそんなに名誉なことなんですか?あ、そう。じゃあ東大生ってどんだけ偉いんだよ・・・

出演している高校生たちは健気だと思いますよ、はい。たぶん勉強したり暗記したりするのが好きなんでしょう。好きなことを一生懸命やるのは素敵なことです。

でも、番組がそういった純朴な部分を駄目にしてしまっている。やたら持ち上げて持ち上げて、持ち上げたまま。「東大」を異常なほど意識した番組作りの中で、「天才」を拵え、騒ぎ立てる。

これほど悪劣な番組は他にございませんよ。偏差値がどうとか、東大がどうとか、学歴がどうとか、そういうことって取るに足らないことなのに、番組がひとりでそれらをクロースアップして、やたら大袈裟なものに見せかけている。一部の視聴者にとっては害でさえあるんじゃないでしょうか。とにかく以上のようなことが鼻について、不愉快な気持ちになりました。純粋に、「わあ、この高校生たちって物識りだなあ!」と楽しめればいいのかもしれませんが、そんなナイーヴな人はいるのか・・・

色々と書きましたけれども、一番の問題は、この番組がつまらない、ということ。まあ好きで見ていた人もいるでしょうからあまりこき下ろすつもりはなかったのですが、ついつい。でもねえ、偏差値が80を超えていたって、別になんでもないことなんですけどねえ。そういうのを持ち上げているのを見ると、単純に「馬鹿みたい」と思えてきますよ。「阿呆か」でもいいけど。以前「笑っていいとも」で、偏差値80を超えているけど東大に落ち続けている人集まれ、という企画があったのですが、こっちの方はユーモアがあっておもしろかったんだけどなあ。

クイズ番組

2011-05-22 23:31:40 | テレビ
新しくなった平成教育学院は問題が簡単になり過ぎました。
以前は難しかったのに、今では素朴な問題が多くて、本当に小学生向きというか。それもフツーの小学生向き。いわゆる難関中学を目指す小学生のための、彼らにしか解けないような問題ではなく、小学校で勉強しているだけでできるような、そんな。賛否あるでしょうけれども、個人的にはちょっと物足りなくなったかな。

今日の午後に放映されていたクイズ番組について。宇治原が出ているので見てみたのですが、途中からだったので、もう出番が終わっていたのか、彼がクイズを解く場面を拝めなかった。無念。

で、東大のスーパーエリートとかいう学生が出演していて、「クイズ番組を見ていて、どうしてこんな問題が解けないんだろうといつも不思議に思っていた」とか「自分が負けることはあり得ない」とか言っていた割には、案外ミスが多かったのには、ザマーミロと思ってしまった。まあ、彼の発言は番組側の演出なんだろうし、テレビに出た緊張が本来の実力を発揮させなかったのでしょうけれども、それにしても、なんとなく感じが悪かったので、ザマーミロと思ってしまった・・・。包容力がないなぼくは。ところで彼がやっていたようなクイズは、知識とスピードと正確さが要求される、クイズの王道のような問題だったのだけれど、一緒にやっていたら彼よりも余程できたので自分でもびっくりしましたよ。真面目にやったらけっこうできるんだよな、ぼくは(珍しく強気)。要は精神面なのだ。

ちなみに、スピード二択問題に出ていた人は、本当は凄い人らしいけど、見ていて可哀想になってしまった・・・やっぱりテレビは緊張するのかな。

記憶力クイズは、あれは幽白だろ。

それにしても、ちょっと気に食わない解答者がいると、宇治原にコテンパンにのされてしまえ~~と思う自分がいる。

明日は朝が早いです。おやすみなさい。

スタジオジブリ物語

2011-03-22 23:03:39 | テレビ
きのうテレビでやっていたので見ました。
前半は、いわばジブリ前史で、後半はやはり宮崎駿が中心。

前半が興味深かったですね。まだほとんど無名の頃の宮崎駿のテレビ出演映像は初めて見ました。あと、パクさんというのはアンパンをパクパク食べていたからそう呼ばれるようになった、というのは初めて知りました。かなり前から理由が気になっていたのですが、これでやっと謎が解けました。しかし小学生のあだ名みたいだな。

50年くらいを一気に2時間に短縮したので、かなりすっ飛ばした感があって、もっと詳しく知りたいのに、と思わざるを得ませんでしたが、でもこれは仕方ないのかなあ。とりわけジブリ時代のすっ飛ばし方はすごかったですね。高畑・宮崎両監督以外の作品は内容に触れることさえしませんでしたし。後期は「千尋」で紹介終わってるし。「千尋」は「水と記憶」の映画である、みたいな紹介の仕方は、まあ叶精二さんが制作に関わっているから出てきたものなのでしょうが、これはぼくの持論と一致するのでちょっと公民権が得られたようでうれしいのであった。もっとも、それだけに収斂される映画ではないんですけどね。で、宮崎駿と水、というテーマがありうることを番組は示していましたが、これもぼくにとっては前々から興味深いテーマなので、ちょっとうれしいのであった。もっとも、このテーマは既にかなり論じられているのかな。

そうそう、『雪の女王』における目の描き方が、その後の日本のアニメにおけるそれに決定的な影響を及ぼした、という指摘は非常に興味深かったです。なるほど、そうなのか。誰か検証してください。もう検証済み?

ついでなのでナウシカについて。
ナウシカって、いま思えば原発の物語として解釈できるからすごいですよね(核兵器をめぐる物語だという指摘は最初からあったと思いますが、原発の物語に限定することもできる)。文明の利器を用いて自然を克服しようとする者、自然と共生しようとする者、という対立ないし融和は、原発というワードを中心に回っているような気さえします。その意味で、(特に漫画版で)クシャナが非常に魅力的に描かれているのは、やはりすごい。文明の利器/核を利用しようとする人間が、あまりに人間的であることを暴きだし、彼女を善悪の彼岸に置いている。

だからぼくは、「もののけ」でエボシが死ななかったことにやはり感心しています。鈴木敏夫は、エボシを殺したらどうですか、と提案したらしいですが、しかし宮崎駿は結局エボシを生かした。エボシというのはクシャナ的な、最も人間的な人間。彼女を殺してはいけなかった。ぼくらの過去を、今のぼくら自身を否定することになるから。ぼくらが悪だったと断罪することになるから。でも、誰にもそんな資格はない。人間が清濁併せ持つ存在だということを宮崎駿はナウシカやもののけで描いたのだから、もし最後にエボシを死なせていたら、ものすごく薄っぺらな映画になっていたと思います。

それにしても、鈴木敏夫はけっこう映画に口を出すみたいで、宮崎駿や高畑勲はそれに対して、「何をっ」とその指摘を乗り越えてゆくのですが、力のない監督は、唯々諾々と従ってしまっているような傾向があるようなないような。ないですか?

前半で近藤喜文さんがあんなにクロースアップされていたのに、肝心の彼の監督作品には触れずじまいだったのはかなり残念でした。それにしてもきのうの蒼井優は妙にかわいかったな、とそれが印象に残った。

駅伝を見る

2011-01-23 22:22:22 | テレビ
昼間やっていた男子駅伝を見ました。

1区でゼッケン4番の宮城が突然ロングスパートして、ぐいぐい前に出てきたのには驚きました。最後はかわされてしまったけど、おもしろかった。で、次の2区のランナーについてなのですが、タスキが来るのを待っているとき、ゼッケン28番の兵庫が、4番の宮城を手で押してるんですよね。28番→→4番。中学生なのですが、すごい力で4番を押しまくって、列に並ばせようとしないんですよ。4番は必死にこらえていただけで、押し返そうとはしていませんでした。明らかに4番が速いのに、28番はその4番に先にタスキを渡してなるものかと、受け渡し地点で邪魔しているんですよ。

これってどうなんでしょう。駅伝を見ていると、しょっちゅうこういう場面に出くわすのですが、今日はこの中学生たちだけでした。強豪の中学校では、生徒にこういう指導をしているのでしょうか。タスキの受け渡しも、バトンのそれと同じで重要なのかもしれませんが、相手選手を押しまくって邪魔することで勝利しようとする根性は、少々浅ましい。勝利が大事なのはよく分かりますが、あれは反則なんじゃないかと思うのです。もっと正々堂々やれよ、と素人は思ってしまう。卑怯だと視聴者に感じさせるようでは、スポーツとしてまずいのではないかなあ。これは「高度な駆け引き」なんてものじゃないですよ。

ところで宮城は途中1位にまで上がったのに、最終区で8位に落ちてしまいました。残念。でも勝った栃木は初優勝らしいので、それはおめでたいですね。28番じゃなくてよかった(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というやつです)。

スリムクラブ

2010-12-26 22:41:06 | テレビ
なんだこれ!?
なんなんだ、これは。
いったい、なんなんだろう・・・

と、自問し続けています。スリムクラブって一体なんなんだ。左の方の人は、昔エンタで怪物フランチェンをやっていましたよね。さっきwikiで調べてみたらやっぱりそうだった。

それにしても、この漫才は、漫才と呼べるのかどうかもよく分からないですが、とにかくおもしろかった。誰かが言っていたように、漫才ってやっぱり二人の掛け合いが基本だと思うのですが、彼らのそれは、「しゃべり」よりも「間」の方が長いと思えるような、かなりユニークなもの。しかし、そのあまりにも「長すぎる間」とあまりにも「ゆっくりとしたしゃべり」が、漫才ではほとんど体験したことのないような種類の笑いをもたらしてくれました。変化球どころか、ある意味で反則技、でも猛烈におもしろい。

ジャルジャルのネタもユニークだったのですが、少々笑いが不足していたかな、と。スリムクラブはユニークだし、笑えるし、革新的でおもしろい、というのはすごいことだと思う。

あの声では彼らは早口の漫才はできないだろうし、右の方の人はしゃべり方がいかにも素朴で洗練されていなかったので、彼らは漫才がひょっとしたら下手なのかもしれないけど、でもおもしろい。もしM-1が漫才の上手い人を決めるのではなく、その日最もおもしろかった人を決めるのであれば、間違いなくスリムクラブが優勝だったと思いますよ。また、とにかく規格外で実力が未知数の彼らに投票することは、躊躇われたのかもしれないし(ぼく自身が審査員だったら、やはり彼らを優勝させていいんだろうか、と悩むと思う)、笑い飯に同情票というか功労賞的な票が入ったのかもしれない。パンクブーブーの一発目のネタはちょっと飛び抜けていて、正統的な漫才でここまで上手く且つおもしろくできるのだ、と見せつけられましたが、二本目がやはりまずかった。なぜ同じネタを入れるんだ、と多くの人が思ったはず。二本目もきちんと揃えてくれば、二連覇もあったかも、と思わせるほどの完成度の高さでした。笑い飯とパンクブーブーはだから二本目のネタの差かな。共に実力も爆発力もあるだけに、どっちが優勝してもおかしくはなかった。後者は去年の覇者だし、その意味では笑い飯が獲ってめでたしめでたし、かも。スリムクラブがいなければ。これが何度も言うように、とにかくおもしろかったのでねえ。

う~む、スリムクラブ。もう一度見たいですねえ。超絶におもしろかったです。笑いのレベルが、色々な意味でケタ違いだった気がします。

いわゆる字幕テロについて

2010-11-29 17:40:26 | テレビ
龍馬伝の最終回、しかも龍馬暗殺シーンにおいて、まさかのテロップ。愛媛県知事選の当確のニュースでした。これに対してNHKには批判が殺到、らしい。

ぼくもこれにはさすがに憤った。暗闇の中での緊迫の攻防が、でかでかと出たまっ白いテロップ(いわゆる字幕テロ)で台無し。NHKは○○で××じゃないのかと、ドラマが終わった後一人で毒づいておきました。

龍馬と中岡が和解し、打ち解けた瞬間、突如として押し入った幕府派による惨殺劇。まるでソローキンばりの急転直下!一瞬にして暗闇になり、無言の惨劇はやけにリアルで、ただ切りつける音と物が倒れる音だけが聞こえる。それまで元気だった主人公が突然襲われ、絶命する。この理不尽さがちょっと恐ろしかった。あ。テロップだけは皓皓と輝いていました・・・

龍馬伝は、全体を通しての視聴率はいまいちだったみたいですが、けっこうおもしろかったです。役者陣の奮闘が目立ちました。福山サンも思ったよりずっとよかったですが、何より大森南朋と香川照之。特に後者のいわば「怪演」。すごかったです。竹中直人に匹敵するんじゃないかと個人的には思っておりますが、とにかくものすごい役者だ。上川隆也はあまり出番はなかったけれども、最後の最後の「龍馬ーーーー!!!」という咆哮で魅せてくれました。さすが。いい役者がいい演技をすると、それだけでドラマはおもしろくなります。『龍馬伝』は色々なところでリアルな描写にこだわったみたいで、その関係かどうか知りませんが長回しを多用してカット数を大幅減、それが役者の自然な演技、というか、演技力を引き出していたように思います。

それにしてもあの惨殺シーンは迫力がありました。リアルな描写の集大成ではないかと。暗殺の理不尽さ、死への恐れ、希望が消尽することの無念、生の儚さ、そういったことが殺しの恐怖にくるまれて無言の映像からひしひしと伝わってきて、『龍馬伝』の中でも屈指の名シーンだったと思います。それだけに、制作陣はあのテロップに怒髪天を衝く思いでは・・・。何より視聴者の気が殺がれてしまった事態を無念に思っていることでしょう。NHKの罪は重いぜよ。