Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

ネタは幾つかあるけれど・・・

2010-09-29 23:32:09 | Weblog
けいおん映画化決定とか、まとめてけいおん観たこととか、おもしろいアニメーションを観たこととか、百鬼園随筆集を読んだこととか、ロシアでの生活とか、専門と隣接領域のロシア語の本を買ったこととか、幾つかネタはあるのですが、明日は朝が早いので、今日は少しばかり。

前々から、文学における不死というものにちょっとだけ関心があって、輪廻転生を繰り返す詩を書いている作家についての研究書を今日買ったのですが(それが上記のロシア語の本です)、その作家はぼくの現在研究している(ことになっている)作家と近しく、当然時代もかぶっていて、どんどん勉強していきたい作家ではあるものの、日本語ではたしか一切読めないので、残念ながらなかなか手を付けられないでいます。

しかし、今期は大学でロシアの宗教の授業を取ろうと思っていて、そのさいに必ず出てくるであろう不死の思想を唱えた哲学者のことを勉強して、それから今日買った不死を巡る詩の論考を読んで、レポートを仕上げてやろうと、こういうことを考えました。授業の始まる前から学期末のレポートを考えるなんて、どうかしてるような気もしますが、ぼくはそういう性格なのです。

で、このレポートが正式な論文に発展、ないしは応用できたらいいなあと思うのでありました。考え方がせこいな。

カラフル

2010-09-27 23:19:53 | アニメーション
ロシアに行っていたせいで見られなかったアニメーション映画、『カラフル』を見てきました。
いま色々なレビューを見て回っていたのですが、意外と厳しい評価も多いようですね。けど、そういう見方があるだろうなあ、というのは予想はしていました。

自殺の理由が弱い
展開が甘い
山場がない
実写で撮った方がいい

などなど、たくさん否定的な意見を想定することは可能です。でも、ぼくにとってこの映画は非常におもしろかった。感動的だったと言ってもいい。山場がない、という人は、ハリウッドのドンパチを見ていればいいのだと思います。しかしそれでは満足できない人は、この『カラフル』を見てください。確かに最後にもうひと山くるのが映画の常套なのでしょうけれども、それをしなかったところに「演出」がある。この映画の核心があると思う。

モノクロからカラフルへ。映画は、この一本の縦軸に貫かれています。最初に暗部が描かれ、それから次第に光が描かれる。もっと光を。もっと光を。だから、映画の後半にもう一度暗部を見せて映画を盛り上げることはしてはいけなかったのです。大衆に媚びようとする監督ならそういうこともするかもしれない。けれど、原恵一は映画としての一貫性を重んじ、大衆的な虚飾を捨てた。残ったのは、光を目指す道程。これは、主人公の小林真が描く絵画の風景としても印象的にぼくらの前に提示されている。暗い海中から、明るい水面を目指して浮かび上がろうとする馬の絵。この絵にこの映画の構成が描き込まれていると言っていいと思います。こういう手法は文学でも紋中紋の手法として古くから知られていますが、絵画として提示されるとき、やはりアニメーションならではの非常に印象的な効果を発揮していますね。

光を目指す映画だというのがこの作品の一つの大テーマだとすれば、もう一つの大テーマは、許す映画だということ。たぶん、家族再生の映画だ、と思った人は大勢いると思うのですが、ぼくはそれを「許す映画」だと言い換えたい。真の自殺をきっかけに、家族が自分自身を省み、お互いのことを気遣うようになって、それぞれが歩み寄ってゆきます。たぶんこれだけならば、普通の家族再生もの、という評価が不動のものとなることでしょう。でも、ぼくはそれだけではないと思った。カラフルというのは、白も赤も黄色も青も黒も、人は全てを持っているということを認めるということではなかったか。人間の白い部分や赤い部分、どす黒い部分の存在を認め、そしてそれを許すこと。人間や世界のカラフルさを許容するとき、家族もまた再生への道を歩むことができるのだと思います。

家族や身近な人の黒い部分を許すのは並大抵のことではありません。愛が深いゆえにそれが傷つけられたとき、反動として憎しみもまた深くなるから。真が母親を完全に許したのかどうか、それは正直分かりません(ぼくは、許したと思った)。けれども、少なくとも母親のカラフルさを認めた。母親でさえカラフルな存在であることを、はっきりと承知した。この前進はとても大きいと思う。

最大のクライマックスはあの家族での食事のシーンだと思うのですが、極めて日常的なシーンでここまで感情を盛り上げられるというのは、すばらしい。この映画では、最初の設定を除いて特別なことは何も起こらない。でもものすごく感情を揺さぶられる。何げない風景のカット、何気ない台詞、何気ない日常、そこには人を真に感動させる美しさや優しさが溢れていて、余計な仕掛けなんていらないんだということがよく分かる。

日常の中の非日常がどうだとか、そういうのは、もういい。日常の中の日常、これを美に昇華させ、そればかりでなくカラフルなものに見せたことに、ぼくはいま戦慄しています。これほどの力量、これほどの省察。

日常描写を好む監督ではありますが、そんな彼のフィルモグラフィーの一つの頂点に君臨しているかもしれません。

それにしても、早乙女くんはいい奴だなあ。肉まんを分けるところは感激してしまった・・・

スピーチ!

2010-09-26 00:40:44 | Weblog
ちょっとけいおんっぽいタイトルになりました。
まあそれはいいとして、友達の結婚式が今日あって、それに出席してきました。

で、ぼくはスピーチをするという大役を仰せつかりまして、かなり前からうんうんと悩んで悩んで考えて考えて、これだ、ってやつを今日披露してきました。
考えつくまでに本当に迷いましたが、幸いスピーチの後で何人かから「よかったですよ」と声をかけられたので、目標通り印象に残るものに仕上がっていたのかな、とほっとしました。

目指したのは、とにかく「よい思い出としてずっと印象に残るスピーチ」。これは、決して「よいスピーチ」という意味ではなくて、あくまで新郎新婦側にとってよい思い出となるスピーチ、ということです。

煙を巻くような話から始めたのも、回想を反転させたのも、基本的には印象に残すため。あ、ちょっと変わったことやってるな、程度の認識でもいいので、とにかく印象に残ってほしかった。そして、最後にそれらを収斂させる。思い出話は、それ自体として楽しめるものですが、けれども同時に最後の収斂への伏線でもあるわけで、ここを大事に読み上げなければ、とぼくは事前に考えていました。

ところが、緊張しすぎて最後の最後で泣きそうになってしまって、自分の原稿読んで感動して泣いていると思われるのは恥ずかしいので必死に我慢して、あろうことか口が歪み顔が歪み、早口になってしまった!だから、せっかく考え抜いた構成が台無しになってしまったような気がして、そこが残念でならないのですが、原稿を新郎に渡しておいたので(本当は持って帰るつもりだったんだけど、友達に促されて渡してしまった)、あとで奥さんと一緒に読んでみてください。最後の部分は奥さんとご家族の皆さんに向けて書いたつもりなので(というか感情を共有しましょうみたいな)、是非どうぞ。

でも、あれは緊張で泣きそうになったんだろうか。とふと思う。実際は、本当に自分の原稿で泣きそうになったんじゃないだろうか、と。だって、あの最後の部分で泣きそうになったっていうのは、やっぱりちょっとおかしい。スピーチの重心、思い出の重心、全てがそこに向かって収斂する点で感極まったのではないだろうか。読み上げながら、そこに書かれてあることを実感として感じ、それでうっときたのでは。

でも、結局よくわからない。まあ泣かなくてよかったよ。

というわけで、結婚おめでとう。また近いうちに会いましょう。

ウォッカ責め

2010-09-24 23:37:54 | お出かけ
モスクワに着いた当日、頼んでいた車でアパートまで行き、そこでとりあえずシャワーを浴びて、軽い夕食を取ることになりました。機内で既に夕食は済ませていたのですが、成り行きで(ちなみにアエロフロートの緑茶は飲めたものではありませんね、出がらしっていうか、既にお湯ですよ、あれは)。

ウォッカはどうかね、と勧めてくるので、もちろん、とぼくは答えました。
小さなグラスにウォッカをなみなみと注ぎ、それでは飲みましょう、とおばさんとぼくはグラスを傾ける――と思った瞬間、おばさんはすぐさまグラスを空にしてしまったのでした。それに続いてぼくも急いでウォッカを呑み干します。すると、次のウォッカをグラスに注がれ、それではまた、ということになって、おばさんは今度もあっという間にグラスを空にしてしまいます。遅れを取るまいとぼくも慌てて呑み干します。そうしたらまたもやウォッカを注がれて・・・さすがにこれはまずいな、と思ったぼくは、ウォッカって言うのはその、あれですかね、こう、おばさんみたいにクイッといくもんなんですかね、と喋ること能わず、仕方なくそういう意味のジェスチャーをしてみせたら、おばさんは、「一気だ、一気だ」と初対面にもかかわらずかなりおっかない表情と勢いで断言すると、そのまま自分のウォッカをぐいっと一気飲みしてしまうのでした。こうなったらやむをえん、ということで、ぼくも少し自棄になって頭を後ろに反らして呑み干しました。そして再びウォッカを注いできたので、そのくらいで、そのくらいで、という(悲しいかな)ジェスチャーをしてみせたら、もう少し飲みなさいと言われて、グラスに7分目くらいのところまで容れられてしまったのでした。ええいままよ、とぼくはグラスを空にして、テーブルにポン、と置きました。まだ飲むかい、と聞いてきたおばさんに、もう結構もう結構と答えたのだったかジェスチャーをしたのだったか、とにかくぼくは断って、それで終宴となりました。

普段お酒を飲み慣れないぼくにとって、ウォッカを立て続けに何杯も一気飲みするのは少々きつく、頭がぐるぐる回って足がふらつきました。体がふわふわして雲の上を歩いているみたいで、さすがに酔っぱらったな、と久しぶりの感覚を懐かしみもしましたが、そのままベッドに直行し、横になったのでした。

それにしても、これが毎日続いたらちょっと困るな、と考えたのは杞憂に終わり、結局ウォッカを飲んだのはこの初日だけ、それから飲むことは一切ありませんでした。それも少し、寂しい気がしますけどね。

さてさて、お酒についてですが、大人は何かの集まりでお酒を飲むものだ、という暗黙のルールがいまだによく理解できていません。というのは、お酒を飲んでもぼくはあまり酔っぱらわないし、もし酔ったとしても、楽しい気分にはならないからです。別段辛い気持ちにもなりませんが。飲んでも飲まなくても、酔っても酔わなくても、気分に変動がないので、飲む意味がないんですよね。なんとかサワーとかは美味しいので好んで飲みますが、ビールは不味く感じるので進んで飲もうとは思いません。だから、基本的にお酒の強要は大嫌いで、飲み会の席などでの、皆お酒を飲むものだ、という雰囲気が苦手です。したがって、今回のウォッカの強要には非常に困惑してしかるべきところなのですが、渡航前から既に覚悟していたことなので、特に嫌な気分になることはなく、まあまあ平穏裡に済みました。

お酒というのは、何を飲むか、ということよりも、誰と飲むか、ということの方が大事だと思うので、心を許せる相手とだったら色んな種類のお酒を飲み交わしたいですね。そういうときにはウォッカもいいですね。お酒って高いですけどね。

プーシキン博物館

2010-09-23 23:59:32 | お出かけ
モスクワにはプーシキンやドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、レールモントフ、マヤコフスキー、ツヴェターエワなど文豪の博物館が幾つもあります。ぼくは去年はチェーホフの家博物館に行ったので、今年はプーシキン、トルストイ、ドストエフスキーの博物館に足を運ぼうと、渡航前から計画していました。

おばさん(おばあさん?)が一人だけ住んでいる古いレンガ造りのアパートの一室にぼくはホームステイすることになったのですが、このおばさんがちょっと凄い人で、なんというか、ちょっと過剰なのです。まあそのへんは追々お話しすることもあろうかと思いますが、ともかくどこに行きたいかと問われたので、ぼくはこう答えました。
「プーシキン、ドストエフスキー、トルストイの博物館へ行きたいです」
「ああ、プーシキン博物館とトルストイ博物館だね」
「プーシキン、トルストイ、ドストエフスキーの博物館です」
「ああ、プーシキン博物館とトルストイ博物館だね」
「それとドストエフスキーです」
「プーシキン博物館とトルストイ博物館だね」
「・・・はい」

この人はドストエフスキーが嫌いなんだろうか、と思ってこれ以上問答を続けるのはやめにしました。もっとも、ドストの本場はやはりペテルブルグであり、モスクワにあるのはちょっとこじつけのような博物館なので、まあ仕方ないかな、と諦めました。

さて、プーシキン博物館はモスクワにある文学博物館の中でも最大級の規模を誇っているそうで、確かに去年のチェーホフの家博物館に比べると、とてつもなくでかい!展示資料も多いのですが、何より博物館が大きいので、それでまずびっくり。ここでは、初版のオネーギンなどを見ることができました。あと、ホルストの絵画とか。

ぼくは大学院生だし、それに日本の院生なので、博物館には学生料金では入れません。けれども、ステイ先のおばさんはそこを押し切って、格安の学生料金でぼくを入場させてしまいました。そしてしめしめ、という表情を作って見せます。

ダンスホールなどもそのまま保存されていて、豪奢で煌びやかな博物館にぼくは満足だったのですが、おばさんはどうも気に食わないみたいで、ここは表面的よ、と言って、しきりにトルストイの家博物館を勧めます。あそこはすばらしいわよ、と。

ガイドブックによれば、プーシキン博物館にはミュージアムショップもあるらしいのですが、展示を見終わったらおばさんはもう帰ることしか考えていません。とにかく先を急ぐので、ゆっくりとこの豪華な建物でくつろぐことができないまま、博物館を後にしました。と書くと、ちょっと恨み節のようにも聞こえそうですが、そうではありません。このおばさん、ちょっと変わった人なのです。まあけれどもそのことはいずれ・・・

新海誠 in ロシア

2010-09-22 23:07:21 | お出かけ
しれっと全然関係ない記事でブログを始める、という計画を実行に移し、さて今日からちょっとずつ旅の思い出などをアップできたらいいなと思います。

記念すべき第1回は、「新海誠 in ロシア」。

新海誠とジブリの作品のロシア語版DVDを買ってきてくれと友達から頼まれて、ガルブーシュカという、「ロシアの秋葉原」と呼ばれる場所へ行ってきました。そこはロシアのあらゆる電気製品が揃っていると言われ、また日本のアニメのDVDも多く売られているらしいのです。

ホームステイ先のおばさん(この人については今後言及することもあろうかと思う)に案内され、バスでガルブーシュカへ。しかしながら、直前の週に警察の摘発があったらしく、そのせいかどうか、アニメ関連のお店は全て閉まっている!でも、シャッターの降りた店舗の前で、若い兄ちゃんと姉ちゃんに、日本のアニメーションはないか、と聞いたら、あるよと言ってシャッターを開けてくれました。何が欲しいのかと尋ねられたので、新海誠、と言ったら、「ああマコト・シンカイね」、と言って、ほしのこえ、雲のむこう、秒速を出してくれました。そして、ジブリも欲しいとお願いしたところ、「ジブリ?」と首を傾げられ、宮崎駿、と言い直したら、ああ、と言って出してくれたのがポニョだけ。どうやらロシアでは、というか少なくともガルブーシュカでは、新海誠はけっこう知られているらしい。ジブリという名前はあまり有名ではなく、宮崎駿の名前を出してやっと通じる。でも品揃えは悪い。

いつの間に新海誠はこんなにビッグになったんだろう、と思いつつ、どちらを購入しようかと迷う。どちら、というのは、ほしのこえと雲のむこうはなぜかセットになっていて、秒速だけが単独で売られていたのです。600ルーブルと350ルーブル。日本円にするにはルーブルを2~3倍すればいい。だから、極端に安いわけですが、両方買うのはちょっと手持ちのお金が少なすぎて断念。色々あって、あまり両替できなかったのです。で、雲のむこうなら日本でもロシア語吹き替え版が入手できるので、秒速にしました。

パッケージは少しばかり日本版とは異なっています。そこに書かれている紹介文も違っています。関心のある方もいると思うので、両者の比較。



日本版
小学校の卒業と同時に離ればなれになった遠野貴樹と篠原明里。ふたりの間だけに存在していた特別な想いをよそに、時だけが過ぎていった。そんなある日、大雪の降るなか、ついに貴樹は明里に会いに行く・・・・・・。
貴樹と明里の幼い恋心と彼らの再会の日を描いた「桜花抄」、高校生へと成長した貴樹に想いをよせる同級生、澄田花苗の視点で描く「コスモナウト」、そして彼らの魂の彷徨を切り取った表題作「秒速5センチメートル」。
”いま、ここ”の日本を舞台に、叙情的なビジュアルで綴られる三本の連作短編アニメーション作品。

ロシア版
「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」・・・
これは人間関係をめぐる平凡で精確な三本の物語である。
奇跡を信じる心は失ってしまったけれど、まだ夢見る心は奪われていない、我々の世界のスケッチ。

貴樹とガールフレンドの明里にとって、小学校卒業は巨大な幻滅であった。
両親の転勤により彼らは同じ中学校に入学することができなくなったのだ。しかし成長するのが人の常、その隔たりは、既に莫大であることをやめていた・・・
そのことが彼らの心の間で広がり続ける断崖を克服する手助けとなりうるのだろうか?




ロシア版では「桜花抄」に焦点が絞られていることが分かりますね。逆に日本版では全体を俯瞰している。どうしてでしょうか。
ちなみに、そのお店で、「第8回モスクワ・アニメ・フェスティバル」という冊子をもらいました。去年の秋にモスクワで開催されたアニフェスのカタログです。表紙がどういうわけかブレイブストーリーで記事も巻頭を飾っています。そしてポニョ、ラピュタ、秒速、と続きます。他にグレンラガンとかも上映されたようです。ちゃんと許可は取ったのだろうか、と変なことが気になりますが、ロシアといえどもさすがにこんな大きなイベントだったら大丈夫でしょう。

というわけで、新海誠はロシアでも大変注目されている、ということが分かり、ぼくは満足なのでした。

届かない手紙

2010-09-22 00:18:33 | Weblog
もしもこの世界に、幸せになるための資格があるのだとしたら、君は間違いなくその資格を持っているとぼくは思う。

ぼくは君の小学校時代と中学校時代しか知らない。そして、その期間を通じて多くの人たちからからかわれ、悪口を言われ、いじめに近いことをされていたことを知っている。君はしかし、決してくじけず、逆境にあっても欠かさず登校し、元気に気丈に振舞っていた。そういう君を見て、ある人が、あいつはものすごく心が強い、と話したのをぼくはよく覚えている。おれだったらとっくに不登校になってるよ、と。

どうして今、君のことを考えるのだろう。前にもそういうことがあったね。高校3年生のときに、ぼくは君に年賀状を出した。中学3年生のときに君からもらった返事としての年賀状。当時は受験を理由にぼくは年賀状を誰にも送らなかった。君からの年賀状にも返事を出さなかった。だから、それへの3年越しの返信として、ぼくは君に年賀状を出したのだった。

高校3年生のとき、ぼくはとても辛い日々を送っていた。毎日のように手首をハサミやカッターで切りつけ、暗い喜びに打ち震えていた。まだ、当時はリストカットという言葉さえ知らなかった。でもぼくはひたすらその行為を続けていた。そこからの救い、ぼくを誰か救ってくれ、という強烈で切実な願いが、その年賀状につながった。どういうことか。つまり、何か罪滅ぼしをすれば、少しは救われるのではないか、と考えたのだ。あの出さなかった年賀状を、3年遅れで君に返す。受験を理由に年賀状を出さないなんて、馬鹿げている。過去の自分をぼくは罰したかった。自分を罰することで、罪滅ぼしができるのではないかと思ったのだ。

その年賀状に何を書いたのかぼくは覚えていないけれど、この年賀状のことを何かの拍子に思い出すとき、ぼくはいたたまれず心の中で赤面してしまう。そしてこの赤面が、罰だと思うのだ。この恥ずかしさに、ぼくは罰の存在を認めた。

ぼくが辛いとき、ぼくはどうかして君のことを思い出してしまう。健気で、強気な君よ。そんなふうに強く生きられたら、と君のことを眩しく思う。

ああどうか、君に幸あれ。君は間違いなく幸福に値する人間なのだから。

それにしても、ぼくはいま辛いのだろうか?辛かったのだろうか?