Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

書棚の整理

2011-06-30 23:57:29 | 本一般
たまたま小ぶりのシルバーラックが手に入ったので、そこへ床に並べていた本を置いてみた。幸い全て収まり、あまつさえ余裕もある。書棚から文庫を引っ張り出して、ラックに移すことにした。ハードカバー10冊分以上の空間が生まれた。うれしい。

この作業の過程で、『予告された殺人の記録』がどうしても見つからず探し回っていたら、ようやく「今後読むことはないだろうコーナー」に仕舞い込まれているのを発見する。意外だった。なんでマルケスをこのような憂き目に遭わせてしまったのだろう。可哀相なので、『ペドロ・パラモ』や『砂の本』と一緒に空いた本棚に並べておいた。許しておくれ。

さあ、明日から忙しくなりそうだ。暑いけどがんばろう。
今日みたいに夜は涼しくなってくれるとありがたいのだけど。

東浩紀とソルジェニーツィン

2011-06-29 00:29:00 | 文学
一般にはあまり知られていないのかもしれませんが、東浩紀のデビュー作はソルジェニーツィン論です。学部の2年生のときに柄谷行人に論文を持ち込んで、雑誌への掲載が決まったのだとか。驚くべきは、その論文は東氏の初めて書いた論文であったこと。人生初の論文がいきなり雑誌掲載。

で、彼はその後『存在論的、郵便的』で論壇に華々しく登場し、それからいわゆるサブカル方面へと進出してゆき、今では小説も書いちゃったりしているわけですが、よく考えたらずっと陽の当たる場所にいるじゃないですか。彼の書いたものをそんなに読んでいるわけではないので、せめて『新現実』に載っている大塚英志との対談くらいは読破しておくか。

ずっと陽の当たる場所にいる人、日向から日陰へ行く人、日陰から日向へ行く人、ずっと日陰の人、日向と日陰を往復する人、色々なパターンが考えられるわけですが、でも実際のところ、日向と日陰というのはたぶんそれほど明瞭に分かれているわけではなくて、薄明かりの差しているところ(もやもやと薄暗いところ)にいることが多いのではないかと思います。

まあしかし、うまく行かないことが何年も続いたりすると、今は日陰にいるだけだから、と復活を期すことがあってもいいと思いますけどね。

それはいいとして、ソルジェニーツィンなんかは日陰と日向がくっきりと分かれた人生を歩んだ人なのかもしれませんね。そういうジェットコースター式の人生がいいか、それともより平坦な道を歩き続けるような人生がいいか、判断の割れるところですね。その判断は、性差や個人差よりも、年齢差によく表れるような気がします。つまり、歳を食っていればいるほど平坦な道を好み、年少であればジェットコースターを好む。ぼくなぞはもう前者に惹かれますね。かつては完全なジェットコースター派だったのに。

居心地のよい場所にいたいと思う。新海誠は、次回作として、どこか他所の場所にあえて飛び出す行為を肯定的に描きたい気持ちがある、と語っていますが、それはぼくの今の感覚に一種の石を投げ入れるかもしれません。ぼくもいずれはロシアへ留学しなければいけないかもしれない。地方で職探しをしなければいけないかもしれない。それはとても気の重い行為なのだけれども、しかしそういうことを肯定的に描いてくれたら、ものすごく気が楽になるんじゃないかと思うのです。

話が転々として収まりが付かなくなりました。オチなしで終了。

健康人間

2011-06-28 00:02:17 | Weblog
最近はこれと言って感情を揺さぶられるような事件は起きていないので、ネタがなくて困ります。だから、ここのところ早寝早起きを心がけている、ということを書いて健康人間であることをアピールしておくことにします。夜は0時台に寝て、朝は9時頃に起きます。なんて健康なの!

もともとは、朝の用事と寝苦しさが重なって早起きになったのですが、特別に用事がなく且つ涼しくても、今は早く起床しています。

せっかく早起きしているのだから朝勉強すればいいものを、何となくぼんやりと過ごしているので時間を無駄にしています。というのも、新聞を読んでいるとだるくなるような気がするから。朝起きる。顔を洗う。新聞を読む。だるくなる。だからそのままぼーっと昼まで過ごす。という習慣ですね。新聞を抜けば何もかもうまくいくように感じてしまいます。新聞にはぼくにとって大して重要なことは書いていないので、ざーっと目を通すだけでいいはずなのですが、なぜだか部分的にけっこう綿密に読んでしまう。新聞読む暇と集中力があったら勉強すればいいのにな。

お、もう0時だ。そろそろ寝ようかな。健康人間。

冬のプールに落ちた君は・・・

2011-06-27 00:29:34 | Weblog
冬のプールに落ちた君は、そのときは確かにがむしゃらになって泳いだのだと思う。

ドジで必死だった君はやがて中学生になり、高校生になり、大学生になり、父親の年齢の半分近くまで生きた。その折々に触れて君は思ってきた、どうしてぼくはがむしゃらになれないのだろう、と。中学校の友人に君は、我を忘れて勉強することはすごいことだと言った。自分にはできないことを、尊いこととして持ち上げた。本当にすばらしいのは、テストでいい点数を取ることではなくて、一生懸命に勉強することだと君は言った。勉強をすることができるというのは、とても立派なことなのだと。それでも君は、一方でやはり、勉強せずとも成績がよい人間を天才の類とみなしていたのではなかったかな。

しかし君は悩んでいたはずだ。懸命に何事かに打ち込めないことに。それは勉強だけではない。陸上競技の練習にも君は必死になって取り組むことができなかったね。例えば、50メートルを5本走るとする。君は必ず一本目は力を抜いて走ったね。体力を温存するために。「その瞬間」に真面目に向き合い、力を振り絞ろうとはしなかった。先々を計算して小賢しく行動するのだった。最初から全力を出し、最後は倒れ込む勢いで50メートルを駆け抜けることが、どうして君にはできなかったのか。なぜ、手を抜いてしまうのか。なぜ、無我夢中で走ろうとしないのか。

君は必死になろうと努力したこともあったね。部活の終わりに一人残って走っていたね。窓からは同級生が応援してくれた。でも、それは続かなかった。どうしてなのか、今では分からない。努力する姿を見せるのが恥ずかしかったのか、それともその一日だけで満足してしまったのか。あるいは足を痛めたのか。いずれにしろ君はその後陸上で努力することはなく、やがて腰を痛めてそのまま引退してしまったね。まるで逃げるように、運動からは遠のいた。

大学受験の勉強をすることは、君にとって夢中になって頑張るための一つの手段だった。けれども君が自分に課した規律は甘く、不徹底なものだった。勉強はそれほど苦ではなかった。それは一種のゲームに過ぎなかった。君はそれまでの自分に比べれば努力したと思う。それなりによくやった。でも、不完全燃焼だったね。

君は大学でよく本を読んだ。しかし何年も続かなかったね。それこそ不徹底で、綻びの多い読書だった。

いま君は、どうしてもがむしゃらになって何事かをやり遂げることができない。確かに、ある種の情熱を持つことはできるのだと思う。それにもかかわらず、その情熱を一点に集中させて、自らに厳しい試練を課すことはできないでいる。君は立ち上がらない。いや立ち上がれないのだと思う。このさい、もう一度冬のプールに落ちてみたらどうなんだい?

振り返ればアンナ

2011-06-25 22:52:22 | 文学
――『アンナ・カレーニナ』以上の小説はこの世に存在しない。だから、いかなる読書好きも『アンナ・カレーニナ』だけを読めばいい。けれども、残念なことに『アンナ・カレーニナ』の魅力を十分に理解するためには、多くの本を読まなければならないんだよ・・・。

今でも覚えていますが、ぼくが19歳の頃に友人に語った言葉です。何を偉そうにいい加減なことを言っとるんだ、という気がしますが、一理ある話だな、とも思います。至高の地点は、実はこれまで歩いてきた途上にあったのかもしれない。でもそのことは、その先をずっと歩き続けなければ分からなかったこと。そういうことは人生によくありそうですね。ああ、ずっとあそこに(ここに)あったんだ、という感慨は。

でもそうすると、その人の人生は、いったい未来に向かっていたのでしょうか、それとも過去に向かっていたのでしょうか。

ジブリ祭りだとか

2011-06-25 00:00:00 | アニメーション
7月1日はもののけ、次週が魔女宅、その次週はなんと、海がきこえる。同じ日にゲド。
という、3週で4作品というこのラインナップ。

特筆すべきは『海がきこえる』でしょうね。金曜ロードショーとしては一度も放映されていないはずですから、テレビでは20年近く前の子どもの日に放映されて以来ですか。ジブリの中では比較的マイナーな作品の放映ということで、世間ではどういう反応があるのか楽しみ。「ジブリ作品」という、いわゆる「国民的アニメ」の中では、意外と観ていない人が多いかもしれませんね。『おもひで』や『耳すま』もマイナーどころに数えられるみたいですが、『海』はその中でも頭一つ抜け出して認知度が低そうなイメージ。他にも『ギブリーズ』とか美術館の短編とか、あまり多くの人が観てなさそうな作品はありますが、一定の長さ以上のジブリアニメとしては、やはり『海』がダントツで知られていないのでしょうね。大傑作というわけではないと思いますが、それなりにおもしろいし、楽しめると思います。もっとも、大学生以上向けかな、なんて思ったりもしますけど。

思えば、遠くへ来てしまったものだ。心が躍らない。
『耳をすませば』との決定的な出会い、これ以上大切な作品にはもう絶対に出会えないと考え感じていたところへ、『ほしのこえ』というそれと同レベルの衝撃。この二作品はぼくの中で非常に重要な位置を占めているのですが、この二作品が三作品あるいは四作品となることなどありえるだろうか、と思ってしまう。これらに匹敵する出会いなど、訪れるのだろうか。というより、最高の出会いとなるべき作品とは、どういうものでなければいけないんだろう。

『耳すま』は、当時のぼくの置かれていた状況やぼく自身の感慨にフィットしました。そしてそれが最高の出会いである限りにおいて、ぼくにはそれ以上の出会いはありえないはずだったのにもかかわらず、まさにそのような状況にあったぼくにストレートに響いたのが、『ほしのこえ』でした。・・・かなり抽象的な言い方なので読んでいる人には「?」という感じだと思いますが、つまり両作品とも当時のぼくの状況や感覚と最高の形で響き合ったということです。いま、もしもこれらに劣らない出会いがあるとたら、それはやはりいまのぼく自身の状況や感覚にマッチしたものでなければならないんだと思います。

だから、いまのぼく自身というのはどういう存在なんだろうな、と考えるわけです。新しい作品と出会って、それに感応することで、ぼくがいま何者であるのか、ということを教えてもらいたいな、というふうにも感じます。

何か、書きたいと思う。まだ何か。踊らない心について。流れ落ちる汗のようには言葉は容易に湧いてこないものだなあ。

秋を待つ

2011-06-23 23:11:11 | Weblog
夏は暑いし冬は寒い。春は花粉だ。だから秋がいいです。秋を待ちたいと思います。

既に、暑い。暑すぎる。
ちょっと前までは、ずいぶん寒い6月だなあと少し寂しささえ感じていたのに。きのうから一転して、猛烈に暑いです。

それにしても、赤城しぐれとガリガリ君は同じメーカーの商品だったのか。どちらもおいしいですよね、すごく。

そうだ、夏は暑いと言っても、アイスをガリガリ食べたり、夜風に涼を感じ取ったり、嫌なことばかりではないですね。クーラーできんきんに冷えた部屋に寝そべるのが極楽と感じる人もいるのかもしれませんが、うちはあんまりクーラーつけないし、つけてもそれほど冷やさないので・・・。この夏は節電と言われていますが、列車の冷房はいつも強すぎます。この機会に全て弱冷房車くらいでもいいのに、と個人的に思っていたら、列車は設定温度を応急的に変えられないんですかねえ、そうするとラッシュ時も弱い冷房になってしまうみたいですね。ラッシュ時に弱冷房だと確かに辛いかも。いやしかし、いまの冷房は強すぎるんだよなあ。乗った瞬間はうれしいけど、5分も乗っていれば寒くなってくるので。

夏にもそれなりの風情はあるけれど、悩みも多いので、やっぱり秋が一番かな。

本をよむということ

2011-06-21 23:30:26 | 文学
明日はリョサの講演会が大学であるのですが、これ、予約制だったのか。ぼくは別にスタッフでもないのに行けば入れてもらえるものとばかり踏んでいた。仕方ない、聴講は諦めよう。

さて、無聊を持て余して渡辺一夫のエッセイをパラパラと捲っていたら、おもしろい文章にぶつかりました。「今日は朝から、フランスの古い作家の本を開いて、その一頁と睨めくらをしている。こう進まないと、今日は、この一頁と討死することになろう。註解がいっぱい附いた本なのだが、ある註釈にラテン文の引用があり、それがよく判らないと、本文の意味もよく判らないという箇所で停滞しているのである」。

むかし大学の先輩から、太宰治は小説の執筆中に適切な表現がどうしても見つからないときは、終日屋根の上でその言葉を考えていた、という話を聞いたことがあります。それが事実かどうかはさておき、文士たるものの理想の姿だね、というその人の感想に、ぼくはなるほどと思ったものです。

その伝で行けば、渡辺一夫は研究者の理想の姿でありましょうか。一日に何ページ読めた、などと一喜一憂しているうちは、まだまだひよっこですね。いくら量をこなしても、それを自分の脳内できちんと咀嚼できていないといけない。そしてそれができぬうちは先へは進まぬぞ、という姿勢は、ぼくにしてみればほとんどストイックであり、恐れ入るばかりです。

こういうふうに本を読んでゆけば、大学者になれるのでしょうか。だとしたらぼくにはとても無理そうです。だって理解できない箇所などあり過ぎてしまって、いちいち留まっていては、何物も読み通すことなど到底叶わないからです。

いま、ある詩論を読んでいるのですが、詩に関する専門用語が多くて、やや苦戦しています。詩の勉強なんてこれまで碌にしたことがなかったものですから、日本語とロシア語の参考書を交互に参照しつつ、遅々たる歩みで読書しています。ですが、どうしても分からない箇所は仕方なく素通り。仕方なく?いや、ここで踏ん張る努力をしないといけないのかもしれないなあ。

というわけで、本を読むということについて色々考えさせらてしまいました。

書棚

2011-06-21 00:13:46 | お出かけ
金曜日はひどく具合が悪くなって、学校を休んでしまいました。正直言うと昼間はそれほどでもなかったのですが、夜になると頭痛やら悪寒やらで倒れ込む寸前でした。でも一晩寝たらかなり改善していて、まだ少し残っていた頭痛は薬を飲んで治しました。

さて、ぼくの部屋はとても小さいので、もう蔵書を収容するスペースがほとんどありません。本棚を設置するスペースも当然ありません。そこで悩んでいたのですが、このあいだ通信販売の折り込みチラシに回転式の書棚が掲載されていて、いいな、と。コート掛けのような大きさでそれほど場所を取らない割には回転式ですのである程度の量を収められます。しかし、この商品は自分で組み立てなければならないのでそれが面倒ですし、あとまだ懸案事項もあったために、もっといい商品があるかもしれない、ということで、ちょっくら大きな家具屋へ足を延ばしてきました。

ところが、書棚はあまり置いてないですね。まあ巨大なものはありますけれども、あんなのは部屋には置けない(というか家に置けない)。一品だけ、幅44、奥行き16というミニサイズの書棚があったのですが、たしか2万円近くしたのかな。高さを天井までにすると3万円超だったので、諦めました。

そこでやはりチラシの商品を買おうと思ったのですが、ここにきて例の懸案事項が一層気になり出しました。地震が来たら倒れるぜ?

というわけで、まだ書棚を買う決心がつかないのでした。切迫しているんだがなあ。

夢だった

2011-06-19 15:24:51 | Weblog
ぼくは誰かに殺されていた。
けれども自宅の居間で横になって泣いていた。
それからぼくは母の前で言った。
「お母さん、せっかくの自分の生を全うできなくてごめんなさい・・・」

目が覚めたら、窓が群青色に染まっていた。
夜明けだった。

ジブリ社屋

2011-06-17 23:56:08 | アニメーション
ジブリの第1スタジオ屋上に、「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」と書かれた横断幕がいま掲げられているそうです。
高畑監督も原発には一貫して反対してきたというし、宮崎監督はOn Your Mark でチェルノブイリを思わせる光景を撮っているし(現在はナウシカも原発についての物語だとみなせる)、こういう意思表示がなされるのは「さもありなん」という気がしますね。ただ、この二人の大御所はいいとしても、スタッフの総意は得られているのかな?色々な立場がありうるでしょうから・・・
まあ、宮崎駿が一喝したら済む話なのかな。そういうのを嫌う人もいるでしょうけれども、傍から見てるとおもしろいです。確かに上司にはしたくないけど、でも人間としてはぼくは好きだな。近年は発言力が大きくなりすぎているような気もする宮崎駿ですが、どうかこれまで通りパワフルな言動が見たいものです。

2011-06-16 23:42:33 | Weblog
今日は所用で大学まで行って、歩き回りました。気温は24度程度だったそうですが、ムシムシしていて、汗をかいた。だいたい予報では22度って言ってたじゃないか・・・くっそう。明日こそ本当に予報通りの22度であってほしい。いやでも日中は19度とかって言ってたな。うむ、それでいい。長袖にするか半袖にするかの(自分にとっての)境目は25度くらいなので、今日は長袖で出かけたら失敗した、という話でした。

ところで、大学には大きな樹が何本も植えられているのですが、総合図書館の前にある巨木が二本、大々的に枝打ちされて、ほとんど丸裸にされているんですよね。で、樹の周囲は掘り返されているようで、どこかに植えかえられるのでしょうか。それとも虫や病気対策?
数年前にもこの大学では並木をばっさりと伐ってそこに新館を建てましたが(今回は場所的にそんな大規模な工事ではないはずですが)、そういう説明って、いつどこでなされていたのでしょう。無断で断行してしまっている気がして、なんか我慢ならない。学生や教職員向けの説明会とか、必要じゃないのか・・・というか、ぼくが知らないだけなのか・・・あまり掲示板見ないし、そうなのかもしれないなあ・・・いやしかし、そもそもこのキャンパスでは掲示板は必見というものではないので、見ない人もたぶん大勢いると思うんだけどなあ。

樹を伐採して新しい建物を建設するとか、あるいは巨木をどこかに移すとか(今回の措置は目的を知らないのですが)、そういうことはちゃんと周知して皆の了解を得られてから始めるべきだと思うのですが、違うのかなあ。いつも何の予告もなく急に始められると、非常に重大なことまでがお上の一存で進められてしまうようで、少し怖い。破壊するのが歴史的建造物や樹齢何百年という樹ではなく、ただの木々であったからよいと言うのでしょうか。なんか勝手にやられてしまっているような気がして、不満だ。

そういえば有名なイチョウ並木も枝打ちされていましたが、秋になれば元通りになるのかな?

風の谷へ

2011-06-15 01:00:31 | Weblog
やる気が出たのが6月6日である。やる気が薄れたのが6月13日である。
今日は何もしていないのにほとほと疲れ果てた。だるい。
でもそれでも、約20ページ読む。途中に長い長い休憩をはさんで、なんとか目標のところまで読み通す。はあ、だるい。

「今日の放射線量」を毎日報道するNHKニュース。まるで「今日は曇りでしたね」というふうに。そんな日常になりました。そんな日常になりました!

池澤夏樹が書いているように、人間にはどこか原理的に制御できないものを使用することはたぶん間違っている。いま宮崎駿の言葉を思い出す。人間が自分の手で再び創り出せないようなもの(つまり自然環境)を破壊するのは、非常に野蛮な行為だと。二人の発想に共通しているように見えるのは、人間は自らの身の丈に合った生き方をしなければいけないんだということ。池澤夏樹の思想についてはぼくはよく知りませんが、宮崎駿はよく人間の傲慢さを非難します。

そういえばこの間の新聞のコラムで池澤夏樹はナウシカを持ち出していました。これは非常に正当な連想であって、いまや『風の谷のナウシカ』は原発の物語として観る/読むことが可能です。ただ、とりわけ漫画版で興味深いのは、『ナウシカ』が文明の利便さを求める人間の業をも許容している点。巨神兵のような怪物はどんな理由があろうとも生み出してはいけないし、使用してもいけない。それは分かっているけれども、それでも、ナウシカは巨神兵を従える。しかしながら、その上で、人間の業の深さを認めた上で、ぼくらは生きねばならない、と漫画は描いていました。もちろんこれは巨神兵を肯定する物語ではありません。そうではなく、巨神兵を生み出した人間をも肯定しなければならない物語です。原発に引き付けて言うならば、当然原発を肯定する物語ではありません。しかし原発を求めてしまう人間の業の深さを許容してしまう物語です。そういう傲慢な心が人間にはある。それは仕方ない。でもそれを切り捨てて生きることはできないから、それをひりひりと感じながら生きていかねばならないんじゃないか。ぼくらは美しい人間ではありえないけれども、汚れたままで生きていくしかないのなら、その生き方を肯定しようじゃないか。でもだからといって、ぼくはトルメキアの道を選ばない。それは修羅の道だ。森の人と共に生きることも恐らくできない。だから、風の谷を選ぶ。これは戦う道だ。しかし殺す戦いではなく、生きる戦い。

原発の問題というのは、たぶん非常に深遠な問題に直結するのだと思う。それは人間の業の深さ、文明のあり方、人類の進歩について熟考させる。それらを描いた漫画版ナウシカから、ぼくらは一歩先に進まないといけない。そういう時代になりました。

よし、業の深さは認めた。ではその次は?やはり、風の谷を選ぶべきだと思う。巨神兵を復活させてはいけない。それは「巨大すぎる火」だから。・・・確かにこれは抽象的な夢想にすぎないかもしれない。でもこれは、これから人類が選択しなければならない思想の一つです。「悪魔の発明」は拒否したい。最初は甘い顔をして、しかしこちらがしくじると態度を豹変させる悪魔。

アヌシー

2011-06-14 00:02:22 | アニメーション
アヌシーで原恵一監督の『カラフル』が長編部門の特別賞と観客賞をW受賞したそうですね。近年アヌシーは商業的になりつつある、と聞きますが、商業的になってもならなくても、いい作品が受賞するとうれしいものです。『カラフル』、以前にレビューを書いたことがありますけれども、非常にすばらしい映画でした。短編部門では日本の作品はダメだったみたいですね。amazarashiのMVがたしか出品されていたのでしたっけ?もともとコンペティションの枠内なのでしたっけ?忘れてしまった。まあ日本でも日本でなくてもいい作品が選ばれていればそれでいいのです。来年のメディア芸術祭で視聴できることを期待。

今日はロシア語の本を22ページ読むことができました。最高記録を更新です。ただやっぱり、本によってかなり差がありますね。一概に何ページ読める、と言ってもあんまり参考になりませんな。しかし、この本は2年前に別の個所を読んだときは一日で10ページちょっとが限度だったので、けっこう進歩しているのかも。単純計算で倍ですからね。でもそれにしては依然としてロシア語ができないのはどうしてなんだろう・・・昔はもっとダメダメだったってことか。いや、というか、たんに時間のかけ方の違いなのかもしれないな。今日の方が長く机に向かっていたので多く読めているだけという・・・ああ、なんでこうマイナス思考なんだ・・・

ええと、アニメの話。7月22日の金曜に新海誠の秒速が地上波で放映されるとかいう情報がネット上に一時飛び交っていたようですが、デマみたいですよ。監督本人が否定していました。新海監督の作品は地上波ではお目にかかれないのです。今のところは!

シャツとキウイ

2011-06-13 00:10:24 | お出かけ
持っているシャツの丈が短いことに前々から不満だったぼくは自転車をこいで近所のユニクロまでシャツを買いに行ってきました。

すると、ユニクロの前でキウイを野外販売している。自転車を停めたそばから売り子の女性にキウイを勧められ、既に自転車を降りている途中でそれを予期していたぼくは、躊躇う様子を微塵も見せることなく、優雅にキウイを受け取ったのでした!半分にカットされたキウイをスプーンで掬い、しかし食べ過ぎて皮がすけすけにならないように用心深く、ぼくは全てを食べ終えました。

ユニクロの中は想像していたほどの混みではなく、休日にしてはいくらか空いているほどでしたので、ぼくは悠々と店内を闊歩し、目当てのシャツを吟味し始めました。チラシに掲載されていた安いシャツ!どの色にしようか少々迷いましたが、結局赤と紺に決めて、買いました。ついでにズボンも買いました。翌日キウイも買いました。