もちろんクレムリンにも行きました。
手荷物検査がやたら厳しくて、ここにはバッグを持って入れません。通ろうとすると、受付のおばさんに「ノー、バッグ!」と叱られてしまいます。でも小さいのならOKだと思いますが。他の人たちはそのくらいのは持っていたので。
金属探知機の検査だかなんだか知りませんが、検問所みたいなところを通るとブザーが鳴る仕組みになっていて(無論そういうものを身に付けていれば)、音が鳴ったら中に入れてもらえません。それで、バッグやポケットの中味を出してくぐりぬけなければならないのですが、ぼくはこの検査の仕組みが分からなくって、「パラジーチェ」と繰り返されたのにもかかわらず、キョトンとしてしまい、後ろの人たちにかなり迷惑をかけました。「パラジーチェ」っていうのは「置きなさい」という意味で、ポケットの中のものを側の台に置いて、それから検査を受けなさい、と言っていたんですね。日本ではこういう検査を受けたことがほとんど皆無だと思うので、手順がわからず非常に戸惑ってしまいました。でもね、ロシア人だって、ほとんど全員がブザーを鳴らしていたので、彼らもいまいち仕組みが分からなかったんじゃないかって思いますよ(説明しろよ)。うん、きっとそうだ。
さてと。クレムリンの見所っていうのはだいたい一箇所にかたまっていまして、寺院が集合しているのです。ある建物の中には、古い時代の時計やイコンが展示されています。とりわけ時計は特筆もので、極めて豪奢な飾り付けがなされています。ほとんど時計が見えないくらいで、ゾウが人の座った籠を乗せて歩いている時計、などがありました。あと金の鹿とか、金器・銀器ですね。
また、ある建物の中は吹き抜けになっていて、そこには一面イコンが描かれています。天井の一番高いところ、つまり天辺にはキリストの姿が描かれています。これは聖ワシーリー寺院でもそうでした。これほどの宗教画を見ると、宗教心のないぼくなども一種荘厳な風に打たれますね。数々の殉教の様子を描いたイコンなどもあり、見応えも十分。なにより所狭しと描かれたこれらのイコンは、当時どのように壁面を飾ることになったのか。その思想的・技術的背景にも興味を持ちました。
これらの建物は外壁は白に塗られていることが多く、そして幾つもの塔を有し、先っぽの「たまねぎ」は全て金で塗装されています。宮殿や城そのもので、これを見ただけでもロシアに来た甲斐があるというものです。
クレムリンはかなり広大で、天候も落ち着かなかったために全てを回ることはできませんでしたが、主要な箇所は回れたのように思います。ただ、武器庫は行けませんでした。行列も長かったですし、別段興味があるわけでもないのでまあいいんですけどね。
日本に帰ってきてみて、新聞の投書欄を流し読みしてみると、こんな投書が。民間では優秀な人材でもリストラされるのに、公務員はいくら無能でも首を切られない。これはおかしい、と。やれやれ。優秀な人材が仕事を無くすのは確かにありうべからざることではありますが、けれどもだからといって「無能」な人材から(この「無能」という言葉を平気で使用してしまう神経が既に理解できないのですが)仕事を奪ってよいかと言えば、そんなはずはない。仕事が人よりもできなくっても、それでもそんな人たちだって笑って食べていけるような社会が望ましいではないですか。悪いことをして仕事しないのはけしからんですが、「無能」という理由で首を切られるような社会は御免です。学校だって、勉強のできない子たちでも楽しく過ごせるところがいい学校です。公務員を「無能」と切り捨てるこういう傲慢な意見を目にすると、ロシアのあの厳しいようでいて融通無碍で、おおらかな、だらしない、いい加減だけど人情味のある国が懐かしい。
手荷物検査がやたら厳しくて、ここにはバッグを持って入れません。通ろうとすると、受付のおばさんに「ノー、バッグ!」と叱られてしまいます。でも小さいのならOKだと思いますが。他の人たちはそのくらいのは持っていたので。
金属探知機の検査だかなんだか知りませんが、検問所みたいなところを通るとブザーが鳴る仕組みになっていて(無論そういうものを身に付けていれば)、音が鳴ったら中に入れてもらえません。それで、バッグやポケットの中味を出してくぐりぬけなければならないのですが、ぼくはこの検査の仕組みが分からなくって、「パラジーチェ」と繰り返されたのにもかかわらず、キョトンとしてしまい、後ろの人たちにかなり迷惑をかけました。「パラジーチェ」っていうのは「置きなさい」という意味で、ポケットの中のものを側の台に置いて、それから検査を受けなさい、と言っていたんですね。日本ではこういう検査を受けたことがほとんど皆無だと思うので、手順がわからず非常に戸惑ってしまいました。でもね、ロシア人だって、ほとんど全員がブザーを鳴らしていたので、彼らもいまいち仕組みが分からなかったんじゃないかって思いますよ(説明しろよ)。うん、きっとそうだ。
さてと。クレムリンの見所っていうのはだいたい一箇所にかたまっていまして、寺院が集合しているのです。ある建物の中には、古い時代の時計やイコンが展示されています。とりわけ時計は特筆もので、極めて豪奢な飾り付けがなされています。ほとんど時計が見えないくらいで、ゾウが人の座った籠を乗せて歩いている時計、などがありました。あと金の鹿とか、金器・銀器ですね。
また、ある建物の中は吹き抜けになっていて、そこには一面イコンが描かれています。天井の一番高いところ、つまり天辺にはキリストの姿が描かれています。これは聖ワシーリー寺院でもそうでした。これほどの宗教画を見ると、宗教心のないぼくなども一種荘厳な風に打たれますね。数々の殉教の様子を描いたイコンなどもあり、見応えも十分。なにより所狭しと描かれたこれらのイコンは、当時どのように壁面を飾ることになったのか。その思想的・技術的背景にも興味を持ちました。
これらの建物は外壁は白に塗られていることが多く、そして幾つもの塔を有し、先っぽの「たまねぎ」は全て金で塗装されています。宮殿や城そのもので、これを見ただけでもロシアに来た甲斐があるというものです。
クレムリンはかなり広大で、天候も落ち着かなかったために全てを回ることはできませんでしたが、主要な箇所は回れたのように思います。ただ、武器庫は行けませんでした。行列も長かったですし、別段興味があるわけでもないのでまあいいんですけどね。
日本に帰ってきてみて、新聞の投書欄を流し読みしてみると、こんな投書が。民間では優秀な人材でもリストラされるのに、公務員はいくら無能でも首を切られない。これはおかしい、と。やれやれ。優秀な人材が仕事を無くすのは確かにありうべからざることではありますが、けれどもだからといって「無能」な人材から(この「無能」という言葉を平気で使用してしまう神経が既に理解できないのですが)仕事を奪ってよいかと言えば、そんなはずはない。仕事が人よりもできなくっても、それでもそんな人たちだって笑って食べていけるような社会が望ましいではないですか。悪いことをして仕事しないのはけしからんですが、「無能」という理由で首を切られるような社会は御免です。学校だって、勉強のできない子たちでも楽しく過ごせるところがいい学校です。公務員を「無能」と切り捨てるこういう傲慢な意見を目にすると、ロシアのあの厳しいようでいて融通無碍で、おおらかな、だらしない、いい加減だけど人情味のある国が懐かしい。