Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

松本清張『疑惑』

2009-01-25 00:29:37 | テレビ
ドラマ、観ました。原作は未読。ただ最近は松本清張の初期小説を立て続けに読んでいたので、興味がありました。

先に全体の感想から言わせてもらうと、とてもおもしろかったです。まず容疑者が逮捕され、それから事件の真相を調べていくうちに過去の出来事が挿入される、というプロットの組み立て。それがなかなかスリリングで、特にラストのクライマックス、水の中での夫婦の攻防は見応え十分でした。台詞を一切排し、音楽だけをバックに流す手法は効果覿面で(「てきめん」って難しい漢字だな)、感動的でした。

ピカレスクものかなと思っていたら、どうも単純にそうとも言い切れない展開になってきて、逆転無罪という判決結果そのもののように、最後に被疑者の人間性が鮮やかにひっくり返される。その一方で、室井滋演じる記者の低劣っぷりが憎々しいほどで、マスコミの象徴のような存在になっていました。松本清張の原作にこういうマスコミ批判があったのかどうか知りませんが、この点は非常に現代的なテーマですね。その反面、少し手垢にまみれすぎたテーマだとも言えるわけですが。

沢口靖子演じる被疑者の悪女ぶりは堂に入っていて、とりわけその目付きは恐ろしいほどでした。それに対する田村正和はさすがの風格で、舌鋒鋭く核心に迫る様子はまるで古畑。そう言えば、この二人は古畑任三郎で競演したことがあり、そのときは沢口靖子は犯人役でした。たしか「嘘をつかない女」とか、そういう題名だったと思います。彼女はシスターで、非常に落ち着いていて寡黙、おしとやかで信心深い女性の役を演じていましたが、今回の『疑惑』では一転してものすごい悪女役。幅が広いですね。

おもしろかったので、原作が読んでみたくなりました。

ザ・ドリームマッチ

2009-01-04 01:23:44 | テレビ
2005年から毎年一度だけ放映されていたようですが、ぼくは今年初めてこの番組を見ました。いやあ、おもしろいですねえ。若手の一分ネタよりも、よっぽどおもしろいです。芸人が普段とは違う別の相方を選び、その人と漫才なりコントなりを披露するという番組。今夜の注目はなんと言ってもダウンタウンの松本とウンナンの内村の豪華・新カップル。相方が決まってから本番までのネタの打ち合わせの時間は僅か3時間。それまでにどれくらいネタを練り上げられるかが勝負だな、と思って見ていたら、控え室に入ってすぐにネタを考え出すカップルもいれば、まずは食事をとる余裕な人もいて、それぞれですね。

全体的な感想ですが、3時間でここまでできるのか、というのが正直なところ。もちろん褒めています。台本は用意していても、たぶん完璧に覚えている人はいないはずで、うろ覚えの人がほとんどだと思うのですが、そういう弱いところを見せず、どんどん笑いを取っていくところはさすがです。皆場数を踏んでいますね。こういうのが得意な人はフリートークもいけるんだろうな。最初に登場したブラックマヨネーズの吉田とキャイーンの天野は唯一の正統派漫才で、このカップルは台本どおりに進行しているような雰囲気がありました。3時間のうち最初はネタを作り、残りの時間でそれを暗記したのでしょうか。すごいですね。でも、番組収録の前の日にもう大体ネタを考える人は考えていたのかもしれませんね。相方が決まるのは本番中ですが、相手が誰になろうととりあえず自分は考えておく、みたいな。けどそれにしたってその相手はその台本をやはり3時間で覚えなければいけないので大変か。でも3時間あればいけるのかな?

それはそうと、個人的に特におもしろかったのは三組いました。先に挙げた松本と内村のコンビもその一つです。このコンビは結局ナンバーワンに選ばれましたが、ぼくとしては、2番目でしたね。ただ確かに、意表を突く内容と、繰り返しで笑いを誘うベタな手法が完全にシンクロしていて、番組で投票しろと言われればこの組を選んだかもしれません。最初はちょっとマンネリ化しそうな流れになりそうだったのが、互いの役割を交代して観客の気分も一新させ、そのとき奇抜でしかも絶妙なネーミングで笑いを取ったとき、これはキターと思いましたね。「七転び八起き」は傑作でした。

で、もう一組はホリケンと宮迫のコンビ。宮迫も本番の後に言っていましたが、これは絶対練習どおりではないなあと思いながら見ていました。ホリケンの突拍子もない行動に宮迫が見事に対応していて、さすがにベテランですね。ホリケンのパワーをどうセーブしてどう解放するかが相方の力の見せ所だと思うのですが、それが急場のコンビとは思えないくらいはまっていました。めちゃくちゃになりそうなぎりぎり一歩手前で踏みとどまっていて、このバランス感覚を覚えてしまうと病み付きになってしまいそうです…

さて一番おもしろかったのは、意外にも(と言うのは誰にとっても、そしてぼくにとっても、そうだからなのですが)ウド鈴木と次長課長の井上のコンビ。実はこのコンビが決まったときから、彼らは本番でちゃんと笑いを取れるのだろうかと心配だったのですが、おもしろかったです。ウドがいるから何とかなるかも、とは思いましたが、でも暴走してしまったら井上に彼を操縦する力はないだろうし、井上が一人で笑いを取れるとは思えなかったし。イロモネアのモノボケでは井上は河本にばかり任せることなく自分だけでもけっこうできるところを見せていますが、それでもやっぱり不安でした。そしてネタが始まってしばらくしたとき、その不安が的中。ウドのよく分からないボケに井上が対応しきれず、まごついたまましばし沈黙というシーンがありました。ところが、そこから思いがけない巻き返し。もうどうしようもなくなった井上の片言をウドが反芻することで本日最高の笑いが。個人的にはこんなに笑ったのはちょっと記憶にないくらいで、文字通り腹がよじれるほど笑いました。おもしろいシーンが過ぎても、筋肉が痙攣したように笑いがおさまらず、お腹が自然にひくひく言って、笑い茸を食べたらこんなふうになるんだろうな、というくらいの笑い地獄。いやあ、おもしろかったです。

それほどでもない組もありましたが、総じてレベルが高くて、こんなスペシャルな番組を正月以外にもまた見たいですね。

紅白の感想とか

2009-01-02 01:29:38 | テレビ
新年明けましておめでとうございます。

新年というのは、人との付き合いについて色々考えさせられる時期ですね。小学生や中学生だったら、もらった年賀状の枚数が10枚だ20枚だと言って一喜一憂し、あいつからは来てない、とか送ってない人から届いちゃったよ、とか大騒ぎですね。もっとも、それは社会人にとっても大体同じことなのかもしれませんが。

疎遠にしていた人から年賀状が届いたらうれしいですが、お互いに何となく距離感を感じていた人から結局何も連絡がなければ、「ああ、そういうことなのかな」と悟るような気持ちになりますね。悲しく、寂しい悟り。でもそれがあるいは大人になってゆくということなのかもしれません。

ぼくは、そういう寂しさから逃れたくて、年賀状というものを書かなくなってもう大分経ちます。寂しさはありませんが、喜びもありません。たぶん、10の喜びよりも、1の寂しさを恐れているのだと思います。

仲のよかった人と疎遠になってゆくのは悲しいものです。小学校、中学、高校、大学、と卒業するたびに別れはありますが、年を取れば取るほど別れは辛くなりますね。もっと強く、一人で生きていけるように逞しくならなければ、と心に誓ったはずなのに、関係が絹のように薄くなってしまうのは怖い。どうかもっと強く、もっと、もっと強く。ああそうか、ぼくはきっと愛されたいんだな。ふとそう思った。

年初から物悲しい話題でしたが、気分を切り替えて先日の紅白の部分的感想。まずしょっぱなの大橋のぞみちゃん開会宣言ですが、ものすごく緊張してましたね。唇を何度も舐めているのか、震えさせているのか、細かいところはよく分かりませんが、かなりおどおどしていましたよ。10歳には大役過ぎたのかも。それにしても藤岡藤巻の藤巻さんは紅白も欠席。もう2ヶ月ですよ。体調不良で休んでいるのは。いったいどうしたんでしょうか。かなり重い病気なのではないかと、心配。白血病とか、あるいは聞いたこともない難病とか。元気になったらもう一度テレビでその姿を見たいです。早く元気になってくださいね。

で、ポニョの歌ですが、その前にミニ・ジブリコンサートみたいな演出があって、楽しめました。あれは去年の久石譲のコンサートの再来みたいで、よかったです、ものすごい大掛かりで。そういえば去年はNHKと宮崎駿の結びつきは強かったなあ、と気付きました。インタビューとか多かったですからね。NHKホールが宮崎駿一色になるのは少々の違和感がありますが、宮崎駿はいまや国民的監督ですからね、そういうのもアリなのかな。

さて羞恥心のシーンはフジテレビによるNHKジャック的な様相でしたね。フジテレビのマークの付いたシャツを着ていたりそういう旗を振ったり。アナウンサーまで前面に飛び出すのはやりすぎという気もしましたが。それにしてもフジワラはやっぱりアラジンのメンバーではないんですね。

あと、曲の合間にある歌手と司会者との短いトークが相変わらず寒い。なんとかならないものか。

総じて、今年は意外性がなかったですね。歌番組に意外性を求めてもないものねだりかもしれませんが。

さて、正月はテレビ漬け。本を読まなきゃ…

篤姫が最終回

2008-12-15 23:52:00 | テレビ
最終回だった『篤姫』、見ました。平均視聴率は1996年の『秀吉』以来の高さだったそうです。『秀吉』は30%もあったそうです。『篤姫』は30%の大台にはついに達しませんでしたが、最後の一ヶ月はそれに迫る勢いでした。今回の最終回も28%台。

それはそれとして、一年間、毎週欠かさず見ていましたが、おもしろかったです。特に最終回は、万感の思いと言うのでしょうか、見ていて泣きそうになるシーンが二箇所ありました。一つ目は、母娘の対面。離れ離れになり、もう二度と会うことは叶わないと思われた人たちに再び会えるシーン。なんというか、ぐっときましたね。二つ目は、ラストの篤姫がゆっくりと瞳を閉じるシーン。ここは、思いがけず、本当に思いがけず、嗚咽が洩れそうになりました。こんなことってあるんですねえ。

視聴率もよかったし、おもしろいと評判なので、今回の大河ドラマが特にいい出来だったと思われる方もいらっしゃるでしょうが、でも個人的にはそれほど突出していたとは思っていません。前田利家や山内一豊(漢字はこれで正しいの?)や義経は篤姫と同じくらいおもしろかったです。特に『義経』ではカメラが凝っていて、場面場面が一幅の絵のようで、光と影のコントラストが強調されている、美しいカットの連続でした。だから、どうして今回だけこんなに評判になったのか、ぼくにはよく分かりません。女性の心をつかんだ、なんて言われ方をよくしますけれど、そうなのでしょうか…。

けれどそうは言っても、やっぱりおもしろいことには変わりありませんでした。本当に数奇な運命だったのだなあ、と感慨が残ります。それに、和宮も似たような人生を送ったのですね。その運命における偶然の対比も興味深かったです(演出で対比させているのではなく、もともとの運命が対比的だということ)。

話は戻り、1996年の『秀吉』について。これは竹中直人のものすごいエネルギッシュな演技がとにかく強烈で、非常に楽しめましたね。
話は進み、来年の大河『天地人』について。またしても武田と上杉の時代のようですが、それは去年やったばっかじゃないか!と思っている人はたくさんいるはず。あの時代はどうも暗くて田舎臭くて、ちょっとなあ。信長と秀吉が活躍する少し前なんですよね。その泥臭さを不潔だと思われないように演出して欲しいです。
更に次の大河は『竜馬伝』。あの福山雅春が主演。竜馬って感じじゃないけど、大丈夫かなあ。

スタジオパークに宮崎あおい

2008-12-13 02:01:25 | テレビ
今日、12日金曜日のスタジオパークに宮崎あおい(以下あおいちゃんでいいよね)が出演していました。ぼくは彼女が前から好きで、と言っても『純情きらり』で彼女のことを知ったのでそれほど年期は入っていませんが、とにかく好きなので大変驚き且つうれしくなりました。スタジオパークでは、普通、ゲストがインタビュールームに行くまでに一般のお客さんたちの間を通るのですが、その際、お客さんたちからたくさんの握手を求められることがほとんど恒例となっていて、それで歩くのがどうしても遅くなってしまいます。ところが、今日のあおいちゃんの場合、誰も握手を求めようとはしませんでした。どうして?こんなに人気がある(はず)なのに…と初め訝しく思いましたが、ああそうか、予め規制がかかっていたんだ、と考えました。つまり、たぶんお客さんが握手を求めていつもよりゲスト(あおいちゃん)に殺到することが予想されるので、そういうことはしないで下さい、という禁止のお達しがあったのだ(たぶん)!

さて、インタビューは当然『篤姫』のことで、自分と篤姫とは同じようでいて、でも違うという客観視もできている、というようなことを言っていました。以前、同じスタジオパークで、橋爪功から「役者というのは役になりきってはいけないんだ」とアドバイスされたという話を柊瑠美がしていましたが(『すずらん』の頃ですが)、それを思い出しました。

それにしても、あおいちゃんは本当に可愛くて、『純情きらり』のときはそのあまりの可愛さゆえに彼女がアップで映っているときはテレビ画面をぼくは正視できなかった、ということを以前このブログに書いた覚えがありますが、それほど可愛くて、『純情きらり』以来一遍に好きになってしまったのでした。

今日のあおいちゃんはとても涙もろくて、インタビュールームに入るなりもう泣いていました。『篤姫』の撮影が終わってから、涙もろくなってしまい、大変に感じやすくなっている、とのこと。番組の最後でも泣いていました。泣きっぱなし。今は蓄える時期なのだそうです。この感じやすい時期に、なるべくたくさんの本を読み、お芝居を見て、勉強しそれらを吸収するのだと。立派な心掛けですね。

ところであおいちゃんは『篤姫』で一番印象に残ったシーンとして、前回の放送の小松帯刀との会話シーンを挙げていました。彼は自分のかつての恋心を打ち明けた後、篤姫に尋ねます。もし養女の話がなかったら、自分と結婚してくれましたか、と。このシーンは前前回の放送の予告でも出てきていたので、ぼくはそのとき篤姫の答えを予想しました。彼女はこう答えるはずだ、いえ、家定様と結ばれる運命だったと思います、と。実際には、篤姫はこう答えました。夫・家定と相談いたします、と。なるほど、これしかない、と今なら思えます。あおいちゃんは、この応答を帯刀との関係の集大成だと呼んでいましたが、そればかりでなく、家定との関係の、そして篤姫という女性の生き方の集大成であるように思えます。好きになった人をいつまでも想い続けることは、一本筋の通った真直ぐな生き方の反映だからです。しかも、はっきりと否定せずに、やんわりと否定するその答えは、品があり、成長した篤姫の姿を印象付けます。

そういえば、先日の朝日新聞の投書欄に、今の若い人たちにはかつて日本人の持っていた鼻濁音の発音が見られず、ドラマで篤姫もまた鼻濁音のない発話をしているのを聞くのには軽い忍耐を要した、という意味のことが述べられていましたが(ちなみにこの投書は別に『篤姫』を攻撃するものではなく、鼻濁音のなくなった現代を嘆くものです)、こうした事態を憂慮するのは「私だけだろうか」と結ばれていて、ぼくは即座に思ったものです、「あなただけだ」と。まあ色々な人がいるので実際には他にも憂慮している人が大勢いるのかもしれませんが、そのせいであおいちゃんの声を聞くのに忍耐を要するのでは、ちょっと可哀想な気がします。でもしかしこれは、完全な脱線でした。

あおいちゃんは、映画、NHKのドラマ、CM等に出演して、民放のトレンディドラマには出ませんが、こうして大女優になっていくんだなあ、と思います。来年には舞台があるそうです。40年後、どんな女優になっているんだろうなあ。

芸能人歌がうまい人王座決定戦

2008-11-15 00:48:07 | テレビ
芸能人ってのは歌が上手い人が多いですね。
特に今回優勝したつるのはすごい。
生で聞いているわけでもないのに、感動してしまった。
心を震わすような、叫び。
決勝戦は僅差になったけど、つるのは圧倒的だったと思う。
音を外さずに的確に当ててきて、しかもよく伸びる。
高音なのに、かすれない。
独特なハスキーな部分もあるんだけど、かすれているとは言えなくて、
力強い、ピンと張った声。
本当に、どこかのプロのバンドのボーカルみたいだった。
前回よりも、上達しているような気がする。
羞恥心で歌う機会も増えて、
ひょっとしたらプロの指導を受けているのかもしれない。
惚れ惚れとするような歌声だった。

あと、スピードワゴンの井戸田は、
どういうわけかこの番組ではあまり評価されてないように見えるけど、
実はすごく上手いと思う。

しかし、やはりつるのだ。
本当に、他の歌手の曲をカバーしたアルバムを出せばいいと思う。
人気もあるし、売れるんじゃないか。
何より、彼の歌声で数々の名曲を聞きたいと思う。

鬼平犯科帳

2008-10-18 23:45:41 | テレビ
きのう、鬼平犯科帳がやっていましたね。

小さい頃は毎週やっていて、当時のぼくはそれほど好きではなく、むしろ銭形平次の方が好みだったのですが、あれから月日は流れ、ときおり放送される鬼平犯科帳が楽しみになってきました。当時そんなに好きではなかったというのには理由があって、このドラマには艶めかしいシーンが必ずあったからです。その点、銭形平次は陽気な雰囲気で、こちらの方が子供向けだったと思います。しかし、2時間のスペシャルドラマとして放映される鬼平犯科帳には、そういう家族で見るにはちょっとためらわれるようなシーンがなくなりました。その方がいいだろうと思います。

さて、今回は「引き込み女」。引き込み女というのは、盗賊の一味で、その盗賊の狙う店に予め雇われて、盗賊が押し込みをする手引きをする役割の女のことです。その女が、店の旦那と恋に落ちて、このまま盗賊の手引きをするか、それとも旦那と共に駆け落ちするかで思い悩む…

毎度のことですが、役者が揃っていましたね。猫八は死んでしまいましたが、代わりの長門裕之もなかなかいい味を出していると思います。中村吉右衛門は言うに及ばず。あの、ときに重厚ときに軽快な演技は他の追随を許さないのではないでしょうか。そして、今回の主役と言える引き込み女には余貴美子。年増だけれども美貌の女、という設定ですので、普通のドラマだったら、もっと綺麗どころを起用するのではないかと思うのですが(例えば黒木瞳とか)、余貴美子。彼女が不器量だというのでは決してないのですが、この起用はシブい。

ただ残念だったのは、市川染五郎の起用。親類同士の共演という話題性を先行させたのかな、と勘繰りたくなります。というのも、その役どころが余計なものに見えてしまったので。最後の弓を持っての登場シーンは、なんとなく水戸黄門を連想してしまい――彼だけ現実離れしている――妙に浮いていました。落ち着いたトーンの鬼平犯科帳に、そういうヒーロー的に登場するキャラは必要ないでしょう。

このドラマには甘さがありませんでした。悲劇で終わるところもそうですが、何より鬼平の盗人への台詞、「生きながらのこぎりを挽かれて苦しんで死ね」には、山椒太夫を思い出しました(もとの説教節版)。この、残酷さをビブラートで包んだりしない、偽らないところが好きです。

そして、鬼平犯科帳を語るなら忘れてはいけないのが、食。このドラマの、というか原作者の池波正太郎の食へのこだわりは夙に知られています。今回は、ナス。味噌をぬっているようでしたが、あれ、美味しいんですよね。このブログでもずっと前に書いたことがありました。

また見たいなあ。

オールスター感謝祭

2008-09-28 01:54:26 | テレビ
また今年もこの季節になりました。
5時間の生放送。全部見る人はどれくらいいるのでしょう。暇な人は見るのかな。ぼくは見ました。

ぬるぬる相撲は今回はなくなり、ぬるぬるハンマー投げに。たぶん、前回、河本の肋骨にひびが入って、そのせいだろうと思われます。でもあれは、ぬるぬる相撲が悪いというよりは、素人と格闘家とを戦わせるのが無謀だった気もします。

そして恒例の赤坂ミニマラソン。今回はワンジルが優勝。ぼくはこの番組でこのマラソンが一番好きです。それにしても猫ひろしってなんであんなに速いんだ?

今日のブログはここまで。いままでで最短かも。
実は、さっきまで別の記事を書いていて、タイトルは「犯罪と文学」。別に道徳的に問題な内容を書いていたわけではないのですが、一般に公開しているブログですし、怪しげなものはよすことにしました。たぶん正解。で、それを書いていて、消去したので、もう時間も遅いし、新しい記事は少なめに。ああ、でももうすぐ2時かあ。今日は1時前に寝ようと思ったのにぃぃぃ。

ハモネプと山崎まさよし

2008-09-24 00:54:32 | テレビ
ハモネプがやってましたね。
優勝したのは一橋の学生グループ「どんぐり」。
彼/彼女らはジブリソングだけを歌うという、ちょっと変わったグループ。
予選は「崖の上のポニョ」を見事にアレンジした歌で突破し、決勝は「もののけ姫」で勝負。「ポニョ」を歌った女性はかなり可愛い声をしていて、決勝も彼女が当然ボーカルを務めるのだろうと思っていたら、なんと別の女性が担当。その人はどちらかと言えば硬質な、非常に綺麗な声をしていました。個人的には「君をのせて」を期待していたんですが、やはり知名度で優るこの二曲を持ってきたか、とまあ納得。でも「もののけ姫」は上手い人が歌えばかなり聞き応えがあるということが分かりました。下手な人が歌えばもうギャグですが。
それにしても、「ポニョ」のアレンジは斬新で、こんなことができるのかと感心。

ただ、予選で惜しくも敗れた、あのヤンキーの歌が一番印象に残ったのでした。前回もよかったけどね。たしか前回はしーちゃんがものすごくて、彼のグループが優勝したことには文句はないのですが、今回はそういうずば抜けた人(グループ)がいないこともあり、あのヤンキーに勝たせてあげたかった。

さて、いま山崎まさよしのライブCDを聴いています。彼の声はとてもなめらかで、喉から噴水のように次々と溢れ出てくるようで、その一方でまるでダンスをしているかのようなリズム感が心地よいです。素早いステップを踏むかのような歌あり、ゆったりとしたリズムを刻む歌あり。ハモネプの出場者にはさすがに彼ほどの歌唱力の持ち主はいないようでしたね。

山崎まさよしの代表曲は「One more time,One more chance」ですが、この歌は映画『秒速5センチメートル』の主題歌として使われています。歌詞の内容は、好きだったけれど好きだとは言えなかった「君」のことを想い、その人の姿やその痕跡を捜してしまうどうしようもない気持ちを歌っています。その内容が見事に『秒速』にリンクしていて、まるでこの映画のために作られた歌ではないか、と錯覚してしまうほど。また、別の歌「振り向かない」では、別れた女性ともしすれちがっても「振り向かない」ことを決意する気持ちを歌っています。これもやはり『秒速』のラストとかぶります。

以前、NHKの「Songs」に山崎まさよしが出演したとき、南海キャンディーズのしずちゃんがコメントを寄せていて、「One more time,One more chance」で歌われている気持ちはすごくよく分かる、私も理想の人の姿をいつも捜してしまう、というようなことを言っていましたが、それはちょっと違うんじゃないか、と思ってしまいました。まあ、人がその曲に入れ込む理由を非難する権利は誰にもありませんが。

歌って、本当にいいものですね。

高校生クイズ

2008-09-09 02:46:53 | テレビ
この間「高校生クイズ」がやっていました。
この番組は小学生か中学生くらいの頃から毎年見ています。
例年だと21時開始だったんですが、今年は19時から。どうしてでしょう。
ちなみに、もっと以前は8月中にオンエアされていました。

今年の高校生クイズは例年と大幅に違っていました。いつもは知力と体力とがバランスよく備わっていなければ突破できないクイズが出題されていましたが、今年は、体力や運など「知」以外の要素を削ぎ落とした問題ばかりを出題。また、例年ならどこかへ旅をして自然に触れ合う機会が設けられるのですが、今年は全てスタジオで収録。総じて、より普通のクイズ番組に近づいたと言えます。

ただし、問題のレベルが非常に高い。素人の目からはかなりマニアックな問題が出題されていました。世界で三番目に高い山や、星座の形状から「御者座」を答えさせる問題など。他にも、「毳毳しい」の読み(正解=「けばけばしい」)とか、数学オリンピックで実際に出題された問題など。

高校生たちの正答率がかなり高くて驚いたんですが、早押しクイズを見ていて思いました。たぶん、問題のパターンというのがあって、彼らはそれを覚えているのだ、と。早押しだから、問題の本当に最初の部分を聞いただけで答える人がいるわけですが、ぼくからすれば、後半の問題がどのようになっているか、想像がつかないわけです。もちろん想像が可能なものもありましたが、「AはBですが、Cは何でしょう」みたいな出題の場合、彼らは「Aは」の部分を聞いただけで、「Dである」を答えてしまうのです。どうしてCが問われたのか、というと、やっぱりCというのは問われやすいからなんだと、そういうパターンだからなんだと思います。彼らはそのパターンを知っているわけです。

あと、星座の問題担当という人もいましたが、これは、クイズでは星座が問われやすいというある種のパターンを熟知していたからこその配役です。実際に、今年の高校生クイズでは、星座の問題が2題も出題されました。

問題の多くは雑学と呼べるものです。あるゲスト(東大生)が、こんな問題が解ければ東大になんか簡単に入れるよ、と言っていましたが、それは恐らく間違いで、こう言い換えなくてはならないでしょう、「こんな問題が解けたって、東大には入れないよ」と。

しかし、彼らの多くは学校の勉強もできるようで、開成や灘を始め、いわゆる偏差値の高い学校の生徒が参戦していました。純粋に数学の問題もあり(ちなみに解き方をオンエアしなかった)、偏差値がクイズの出来に反映されることもあったようです。

彼らは「頭が良い」と一般にはみなされるのでしょうが、それは、彼らがこういう問題を解けるからです。数学ができて、星座の知識もあって、漢字も読めるし国旗も分かるからです。でも、他の知識(要するに「勉強」とはされない知識)はあるのか、というと、それは分かりません。例えばアニメおたくは、アニメや声優、音楽などについて膨大な知識を持っているでしょうが、彼らは「頭が良い」とはみなされません。仮に持っている知識量が同じだとしても、その種類が異なれば、一方は「頭が良い」とみなされ、他方はそうとはみなされません。結局「頭のよさ」というものは「学力」に直結していて、「学力」というものは、あくまで「学校の勉強」のことだからです。知識がなくても非常に頭の回転の速い人がいますが、学校のテストが赤点ばかりなら、「頭が良い」とはなかなか認めてもらえないでしょう。

要するに、彼らは学校で習う事柄(及びその発展)が得意なわけです。社交術はゼロかもしれません。もちろん、それだって器用にこなす人がいるかもしれませんが。ただ、社会が「これができたら優秀だ」と決めている事柄を得意にしているというだけで、その人を「優秀だ」と持ち上げるのは、少しおかしい。それは限られた社会の枠内での論理であって、普遍的なものではありえません。そもそも「学力」の定義など普遍的でありえないのだとしたら、やっぱりそのことに常に懐疑心を抱いていた方がいいと思います。

テレビで高学歴者を持ち上げるタレントを見るにつけ、本当にそう思いますね。
ちょっと理屈っぽいことを書いてしまいましたが。
高校生クイズからはちょっと離れてしまいましたね。

久石譲in武道館onTV

2008-09-01 01:06:05 | テレビ
八月の初めに武道館で行われた、久石譲による宮崎アニメの音楽の合唱と演奏が、8月31日NHKで17時から一時間、放送された。

この「久石譲in武道館」には色々あって行けなかったので、放送を楽しみにしていた。想像以上に大規模なコンサートで、オーケストラ、合唱団など、人数にまず圧倒される。観客席は超満員で、テレビ画面からも熱気が伝わってくる。

演奏はナウシカからポニョへ、と順番に行われたのではないようで、最後にやはり定番のトトロの歌が歌われた。

さて、この中でも特に感動したのは、ラピュタとポニョとハウルの歌。「君をのせて」の、「さあ出かけよう」から男声・女声混交の合唱になるところは、「おお~」って感じでぐっときた。それまでは児童合唱団の抑え目な歌声だったので、いきなり力強い大人の声が混じったことで、壮大さが一気に増した。あの演出はよかった。

そしてポニョの、ひまわりの家の人たちを歌った歌。これはイメージアルバムに収められていて、曲名を忘れてしまったが、この歌を聞いて宮崎駿が涙を流したことは有名。これまで何度も聞く機会があったんだが、今回改めて聞いたとき、ぼくもうるっときてしまった。これはお年寄りの気持ちを歌ったものだから、ぼくのような20代の人間が感動するような歌ではないはずなんだけど、こみ上げてくるものがあった。もう一度思いっきり走りたい、お掃除したい、料理をしたい、という気持ちに、どうしてだか非常に共感してしまった。たまたまこの歌を聞いていたぼくの母は、後で「いい歌ね」と言っていた。死んだ母のことを思い出していたらしい。母の母(つまりぼくにとっての祖母)はリウマチにかかり、死ぬ前の何年かは寝たきり状態が続いていた。死ぬ前に、もう一度元気に歩き回れたら、どんなに幸せだっただろう。祖母の介護をしていた母は、この歌を聞いて、祖母の叶わぬ気持ちに思いを馳せたのだと思う。

この歌を歌ったのは久石譲のお嬢さんで、実は彼女はナウシカのあの「ランランララランランラン」を歌った人でもある。当時はまだ四歳。今ではもう立派な歌手だというから、成長したものだ。

ハウルのCave of mindはぼくの大好きな曲で、実際の映画の中では「星をのんだ少年」にバージョンアップして使用された。この曲をハウルの映像(カルシファーとの契約、溢れる星の光、それを見たソフィーが時空の狭間のようなところを落ちてゆく)を見ながら聞いていると、まるで周りの時が止まったように感じ、体も硬直してくる。この音楽とシーンは本当にめちゃくちゃ好きで、ハウルという映画はこのシーンがあることで傑作になっている、とさえ思う。

ああ、こんなにすばらしかったのなら、なんとしてでもコンサートに行くべきだったかもしれない。テレビを見ただけでも、ものすごくよかった。

北京オリンピック閉幕

2008-08-25 00:09:07 | テレビ
オリンピックが閉幕しましたね。
閉会式を全部見てしまいました。ただ、開会式での様々な「偽装」が明るみに出た後なので、少し冷ややかな目で見ていました。開会式は、単純に「すげー」とか思いながら見ていたのですが。

花火が上がれば、「どうせCGでしょ」
誰かが歌えば、「どうせ口パクでしょ」

こんな感じ。
一部の花火は、本当に音と映像がずれていたし、また有名なテノール歌手の歌声は、口の動きからして妙に不自然でした。といっても、これは先入観で見ていたからかもしれません。
しかしながら、人海戦術はさすが。
個々の人間の肉体の躍動感や集合となった人間の肉体のうねりは見事でした。

ところで、今回のオリンピックの目玉は、個人的には陸上短距離のボルトでした。100と200の世界新は圧巻でした。それとリレーも非常に速かった。足の運びとスピードが他の選手と明らかに違っていましたから。
でも他の短距離選手の足の動きも信じられないくらい速く、足も高く上がりますね。見ているだけで感動があります。

また、水泳のフェルプスは超人ですね。日本では、北島が連覇で二冠になったことを喜んでいますが、フェルプスは8冠(!)ですからね。しかも前回大会は6冠。すごすぎます。
陸上では10種競技なんていうものがありますが、多くの種目を一人でこなすのはかなりの運動能力とセンスが必要であることは、素人でも分かります。まさに選ばれた者にしかできないのでしょう。

ぼくも中学時代に陸上をやっていたので、基本的に走ることは好きですが、今考えると平凡な選手でしたね。確かに学校では走るのは速い方でしたし、跳躍も得意でした。でも、ぼくの学校のあった区域全体から見れば、ぼくくらいの選手はたくさんいたはずだし、全国レベルで考えれば、それこそ腐るほどいたのです。
小学校のときは、リレーでアンカーを任せられて、学校で1、2番の速さでしたが、他の小学校にはもっと速い奴がいて、井の中の蛙だったな、と思い知らされたことを今でも覚えています。

ぼくはもっと速く走りたかったし、もっと遠くへ跳びたかった。
でもその願いは叶いませんでした。
オリンピックに出場した選手というのは、その願いを叶えた人たちなんですよね。ぼくが果たせなかった夢を、果たしてしまった人。すごいなー。

ぼくはぼくの役目を果たすだけなのでしょう。でも、その役目がいまだ見つからない…
オリンピック選手は、やっぱりうらやましいなあ。

200メートルで世界新&精神薬について

2008-08-21 00:49:27 | テレビ
ジャマイカのウサイン・ボルトが100メートルにつづき200メートルでも世界新で金メダルを獲得。しかも両方とも驚異的な記録。特に200メートルは、不滅といわれたマイケル・ジョンソンの19秒32を破っての達成。記録は19秒30。

100メートルは後半に両手を広げて明らかに減速していたけど、200メートルは最後まで全力疾走。100メートルも全力で駆け抜けていたらどこまで記録が伸びていたんだろう。ものすごい選手だ。

話は変わって。
新しい薬ジプレキサの副作用で、体全体が非常にだるい。この薬を服用して体のだるさや眠気を訴える人は大勢いるそうで、自分もその一人らしい。全身の脱力感が酷くて、昨日は一日中寝ていた。ただ、今日は昨日よりもよくなっていて、先生の話では、だんだんだるさに慣れてくるらしい。慣れるだけで、だるさはなくならないのか?と聞いたら、いや、なくなってくる、という返事。それならばいい。期待しよう。

それにしても、ルーランを飲むのを止めた途端、もう3年程ほとんど毎日苦しめられていた胸の重みが解消された。胸の重み、と書くと全然たいしたことなさそうだけど、これがとんでもなくつらい症状で、本当に地獄を見た。だるさだけなら横になれば落ち着くけれど、胸の重さは横になっても消えない。それにそわそわした感じが伴い、このそわそわ感と胸の重苦しさのダブルパンチは、ぼくに絶望を与えるのに十分だった。本当につらかった。ぼくはこれまでの人生で人を傷つけたことがたくさんあったかもしれないけど、それにしたって、その報いにしては巨大すぎるような気がしていた。ぼくはこれほどまでの苦しみを味わわなくてはいけないのか?そう何度も問うたものだ。

しかし、ルーランを止めた途端に、その症状が消え失せた。まだあと一週間くらい様子を見ないと分からないけど、このままであってほしい。ルーランという薬はそういう症状を発生させる薬ではないらしいのだけど、薬の効き目には個人差があるらしく、絶対にないとも言い切れないようだ。とにかく今はルーランを止めジプレキサを試し始めた時期で、体の調子がいつも通りじゃない。願わくは、胸の重みがこのまま消え、だるさも次第になくなっていってほしいものだ。

もしルーランが胸の重みの原因だったとしたら、ぼくはこれまでわざわざ具合悪くなりに病院へ通っていたことになる。医療費にもう10万円は費やした。これでは笑うに笑えないし、泣くに泣けない。神経衰弱の症状を改善するために病院へ行っている、と考えれば慰められるけど、その代わりにあの胸の重さを得ていたとしたら、その代償はあまりに大きい。早く、ルーランが原因だと気付くべきだった。3年間、自分も医者もそのことに気付かなかった。それは、医者からすれば、ルーランにはそういう副作用はもともとないからだし、自分からすれば、薬というものがそれほど劇的な効果を持つことを知らなかったからだ。体の具合を悪くする薬があるなんて。情報としては知っていたかもしれないけど、まさか自分がそういう薬を飲んでいるとは夢にも思わなかった。

初めは、幻聴だった。それがきっかけで病院へ行ったんだけど、幻聴は結局二回しか聞こえず、あとは胸の重みとの戦いになった。幻聴が聞こえた頃、精神的に非常にしんどかったので、それで脳の神経がすりきれていて、そういうことになったんではないかと思っている。状況さえ改善されれば、なんともない、と。しかし病院ではなぜか対人恐怖症と診断され、恐怖を和らげる薬ということでルーランを処方された。でもぼくは人に対しても社会に対しても人並み以上の恐怖を感じたことはほとんどないし、その診断には納得がいってなかった。

ところが今日、別の精神科を受診して、その先生から、ルーランというのは対人恐怖症の薬ではなく、幻聴などを抑えたりする、神経衰弱に効く薬だという説明を受けた。それなら納得がいく。二つの病院で薬に対する解釈が違っているが、後者の説明の方が、ぼくとしては安心できる。だって、もしルーランが対人恐怖症のための薬だったとしたら、ぼくは自覚もしていない病気のために薬を飲み、そのせいで具合が悪くなっていたことになるから。それではあんまりだと思う。わざわざ高いお金を払って具合を悪くしていたとは!馬鹿丸出し。でも、ルーランが神経衰弱のための薬だったとしたら、いちおうその症状は改善されたわけだし、たしかに割には合わないけど、まあ少しは効果があったということになる。

それにしても、ぼくは異常なのか、正常なのか。ルーランを飲んでいたときは、たしかに異常だった。ジプレキサを服用している今も、異常だろう。でも薬をやめたらどうだ?薬をやめたら、すっかり正常になるんではないのか?幻聴が聞こえたのはたまたまそのとき神経が擦り切れていたせいで、言うなれば転んで怪我をしていただけで、もうその傷口は癒えたのではないのか?薬をやめたらどうなるんだろう…

まだ何も分からない。とにかく今はジプレキサを飲んで経過を見ることにしよう。

フジテレビのオリンピック中継って

2008-08-16 03:31:28 | テレビ
今日はもうだいぶ遅いので簡潔に。

フジテレビで陸上競技を中継するというので、チャンネルをあわせたんだけど、なかなか中継しない。で、ようやく男子100メートルの予選を放送し始めたんだけど、日本人の出番が終わると、急に画面が切り替わってスタジオへ。そして、日本女子のバドミントンの試合へと転換。なんだこれ?
陸上を放送するんではなかったの。バドミントンをやるのはいいが、ちゃんと陸上を放送してからにしてくれ。予選とはいえ、パウエルもボルトもまだ走っていないというのに、中継を切り上げるのはどうかしている(いや、本当におかしいと思う)。日本人の試合だけが大切なのか。

更に、柔道や水泳も部分的に放送。陸上はどうしたの?世の中には陸上ファンという人もいるわけで、別に日本人が出場していなくても、陸上競技を見るのが好きなんですよ。世界のトップ選手が出るなら尚更。
それで、フジテレビは、その陸上を放送する、とはっきりテレビ欄に書いているわけだから、それを真に受けて、陸上だけをたっぷり放送してくれるんだな、と楽しみにして、チャンネルを合わせる人がいるのです。それが、なんだこれは、日本人の出ているレースしか放送しないじゃないか。NHKは全部やるぞ。

陸上以外の競技を中継だかなんだかした後で、パウエルとボルトのレースをオンエアしていたが、当然録画だった。せっかくライブでできたのに、なんでわざわざ録画を流す必要があるんだ。臨場感が台無し。

結局のところ、フジテレビは、日本人の出ている試合だけを全部細切れにして放送して、その競技の全体を放送するということをしない。これでは競技への理解が深まらないし、トップレベルが実感できないし、お好みの選手も発見できない。
陸上はNHKがやってほしいよ。

オリンピックの開会式

2008-08-09 03:11:43 | テレビ
テレビで見ました。
長いですね。途中で見るのをやめてしまいました。一時間と少しセレモニーをやって、あとは各国の入場行進でした。

セレモニーは凄かったと思います。技術が凄いですね。演出面も、ああいうのを考えるのは誰なんだろう、と思っていたら、映画監督だそうですね。日本だったら誰が担当するんでしょうか。
最初の太鼓とか太極拳(?)とか、一糸乱れずに動いていて、ああいうのは社会主義国家だなあ、と妙なところで感心。
歌を歌った9歳の少女は非常に可愛かったです。「ポニョ」の大橋のぞみ以上。
ピアノを弾いていた(?)少女は、なんだかぼけ~っとしているように見えました。
人が空中を飛ぶシーンは、青天井なのにどこから吊っているのかなあ、と気になりました。
あと、全体的に綺麗でしたね。
紙を発明したのは中国なんですね。恥かしいことですが、知りませんでした。反省。

各国の入場行進はあまりにも長かったですね。さすがに飽きたので、見るのをやめました。でも、国の名前を中国語の発音で聞いていると、とてもおもしろかったです。それにしても色々な国があるんだなあ。

聖火は誰が灯したんでしょうかね。どうせ知らない人でしょうけど。ま、明日のニュースで丸分かり。