今朝7時頃に何時もの場所より猿渡川の上流まで足をおばしてみた。
と言うのはこの時期になると鴨たちが、猿渡川に居るはずなのに鴨も鵜の姿が見当たらない・・・
中ノ島の残土処理で重機が凄まじい音を立てて残土の処理をしている関係だろう・・・・
少し上流え足を伸ばしてみたら、鴨、鵜も干潟と浅瀬にソコソコの数がいました。
途中初めて見る記念碑に出会い何の碑だろうと先ずはシャッターを切って帰りました。
朝から雲行きが悪かったので、傘を持って出かけましたが、
あたりが暗くなり雷が強く鳴り、ポツポツ落ちてきたかと思う間に強い降りになって、
我が家に着いた時には濡れネズミ(爺)になってしまいました。(カメラだけは濡れずに済みました)<ホッ
途中で見た記念碑の事ですが、「猿渡川改修記念碑」でした。
何処かで見た記憶がある?・・・10月1日号かりや市民だより「歴史散歩」に載っていました。
☆先人の地域を守る意気込みが理解出来ますが、やはり資金面でおよそ8年のあいだ苦労された事でしょう、
先人の努力があってこそ猿渡川沿岸の住民がいま安心して暮らせるのだろうと思う。
猿渡川は以前からたびたび洪水にあい、堤が切れ沿岸の地はそのたびに浸水にあうという状態でした。
このような中で、大正14年秋にまた洪水にあい、堤防は決壊しその時の収穫は皆無でした。
そこで、元刈谷、重原、半城土、高須、小垣江の人達が「耕地整理組合」を設立し、河川修理をしょうとしましたが、
巨額の経費がかかるため予定は進まず、昭和8年になって愛知県直営の河川改修工事になり同10年に完成しました。
当時の金額で30万円以上もかかったとされています。
これらの経緯が示された碑が猿渡川の堤防上に建てられています。
「かりや市民だよりより」
1画は、猿渡川三叉橋上流に鴨たちが羽を休めて居た。
2画は、クリンセンターとJR 8時26分撮影、
JRもヘットライトを付けて走っている。
3画は、猿渡川改修記念碑、(猿渡川三叉橋上流堤に)



と言うのはこの時期になると鴨たちが、猿渡川に居るはずなのに鴨も鵜の姿が見当たらない・・・
中ノ島の残土処理で重機が凄まじい音を立てて残土の処理をしている関係だろう・・・・
少し上流え足を伸ばしてみたら、鴨、鵜も干潟と浅瀬にソコソコの数がいました。
途中初めて見る記念碑に出会い何の碑だろうと先ずはシャッターを切って帰りました。
朝から雲行きが悪かったので、傘を持って出かけましたが、
あたりが暗くなり雷が強く鳴り、ポツポツ落ちてきたかと思う間に強い降りになって、
我が家に着いた時には濡れネズミ(爺)になってしまいました。(カメラだけは濡れずに済みました)<ホッ
途中で見た記念碑の事ですが、「猿渡川改修記念碑」でした。
何処かで見た記憶がある?・・・10月1日号かりや市民だより「歴史散歩」に載っていました。
☆先人の地域を守る意気込みが理解出来ますが、やはり資金面でおよそ8年のあいだ苦労された事でしょう、
先人の努力があってこそ猿渡川沿岸の住民がいま安心して暮らせるのだろうと思う。
猿渡川は以前からたびたび洪水にあい、堤が切れ沿岸の地はそのたびに浸水にあうという状態でした。
このような中で、大正14年秋にまた洪水にあい、堤防は決壊しその時の収穫は皆無でした。
そこで、元刈谷、重原、半城土、高須、小垣江の人達が「耕地整理組合」を設立し、河川修理をしょうとしましたが、
巨額の経費がかかるため予定は進まず、昭和8年になって愛知県直営の河川改修工事になり同10年に完成しました。
当時の金額で30万円以上もかかったとされています。
これらの経緯が示された碑が猿渡川の堤防上に建てられています。
「かりや市民だよりより」
1画は、猿渡川三叉橋上流に鴨たちが羽を休めて居た。
2画は、クリンセンターとJR 8時26分撮影、
JRもヘットライトを付けて走っている。
3画は、猿渡川改修記念碑、(猿渡川三叉橋上流堤に)


