うんたま森のキジムナー

携帯

95年(平成7年)に起こった阪神淡路大震災の1年後に
神戸港復興工事のオファーが来た。
そのときに手渡されたのが携帯電話。
市販の電池を入れることもでき、充電も可能な携帯電話。

工事を終えて宮古島に戻ってくると、当時は携帯電話の手続きを
しなければならなかった。NTTに行くと返ってきた答えは
「現在基地局を建設中で、まだ使えません」と言われた。

翌年から市内で使用できるようになった。
つまり私と私と一緒に工事に行った二人が
宮古島携帯電話1号2号ということになる。

急速に携帯電話が広まって、
それでも「俺はそんなもの絶対持たない」と言い張っていた
人まで携帯電話を持つようになった。

「後、10年もすれば、この携帯電話を誰もがポケットに
入れて持ち歩くようになる。」と言ったら、誰も本気にしなかった。
宮古群島全域で今は使用可能になった大きなきっかけは、
当時、オリックスのキャンプで宮古島に来ていたイチロー選手が
「携帯の電波がつながらない。」と言ったことから
宮古島全域で使用できるようになったといわれている。
(ホントかウソかわからない)

今では畑仕事をしているオジィ・オバァまでメールや
lineを使いこなしているくらいだから、驚いてしまう。
このあいだ漁師仲間がスマホに機種変更してスタンプ付きで
lineが来た。歳は私より20歳上!
「スマホに変えたからよ。(^_-)-☆」
こんな感じ・・・


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