戦後の復興は日本本土が優先され、沖縄は後回し、
離島などは日本とは思われていなかったそうだ。
そこで海人のオジィ達は、密貿易や遠く台湾やフィリピンの方まで
海人草などを密漁しに行ったと言う。
沖縄本島では米軍基地から物資を横流したり盗むことを
「戦果をあげる」と表現する。
離島では密貿易や密漁も「戦果」と呼んだらしい。
密貿易や密漁でその時代をかけてきたオジィ達は、
当時を振り返り、「そんなに悪い事ではなかった。
もちろん逮捕されれば捕まったけれど、いつも警察は満員で
すぐに帰してくれたさぁ」と昔を懐かしんで、当時の武勇伝に
尾ひれをつけて面白おかしく話してくれる。
密貿易が盛んに行われていた頃は、
「本土の事は知らないが、みんなが助け合って、それほど
食べるものには困らなかった。」という話をする人もいる。
こんな小さな島にいて、長らく会っていないが、
以前作業船の船長をしていたオジィは元海賊!
「オジィは海賊だったのか?」と直接聞けば、肯定も否定もせず
笑ってごまかされる。そのオジィからも
「あの当時は、刀の下で金は稼ぐもの」という言葉を聞いた。
少々危ない橋を渡らなければ金は稼げない。
そんな意味なのだろう。
私は、子供の頃、親に無理やり、剣道と柔道を習わされた。
その反発もあって日本拳法という道場に通った。
少しかじった技で回りに迷惑をかけることがあり、
道場の先生に「技は刃の下で磨くもの」と諭されたことがある。
「刃の下・・・」と続く言葉は意外に多い。
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