「アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言」ゲストブック&ブログ&メッセージ

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飯田日中友好協会のホームページ

2022年08月28日 09時09分31秒 | 中国残留婦人
 ずいぶん前に、飯田日中友好協会のホームページに、元満蒙開拓平和記念館設立準備室の事務局長で、現理事長の小林勝人さんが、私の4冊の本を紹介してくださいました。

 それが残念なことに、以下の3冊については、現在在庫がほとんどありません。

『不条理を生き貫いて  34人の中国残留婦人たち』津成書院 2019.7.13 A5版 552頁 定価2,500円。
『あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち―北海道・東北・中部・関東編―(上)』津成書院 2020.07.12 A5版 579頁 定価2,500円。
『あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち―関西・山陽・四国・九州・沖縄・中国の養父母―(下)』津成書院 2020.07.12 A5版 454頁 定価2,500円です。

 売れない売れないと思って献本も頑張っていたのですが、じわじわと気づかないうちに在庫がなくなっていました。
 それで、急遽、順番に増刷予定です。ただ、あまりにも誤字脱字、勘違いなどのミスが多いので、改訂版を準備しているところです。
何事もなくうまくいけば、
 1冊目の『不条理を生き貫いて  34人の中国残留婦人たち』は、9月20日を目途に書店に出回る予定です。
 2冊目、『あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち―北海道・東北・中部・関東編―(上)』は、11月中旬。
 3冊目、『あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち―関西・山陽・四国・九州・沖縄・中国の養父母―(下)』は、12月中には重版できると思います。
 9月27日は、日中国交回復50周年にあたります。日中関係が微妙な時期ですが、新聞やテレビなどでも特集が組まれるのではないでしょうか。9月24日(土曜日)夜10時、NHKスペシャルでは残留婦人の番組が予定されています。これまで取り上げられることの少なかった残留婦人を、この時期に取り上げる意義は大きいと思います。最後の最後の機会だったと言えるかもしれません。私も取材協力いたしました。34人に連絡を取ると、亡くなった方、施設・病院入所中の方が多く、ほんの一握りの方としか繋がりませんでした。テープが癒着してデジタル化できなかった古い8mmビデオテープが、NHKのおかげで甦りました。そこには懐かしいお顔が、、、。
 是非たくさんの方に見て頂きたいと思います。きっといい番組に仕上がっていると思います。そして興味を持たれたら、9月20日頃、書店に出回る予定の『不条理を生き貫いて 34人の中国残留婦人たち』改訂を手にしていただきたいと思います。校正、頑張ります。

なお様へ

2013年10月25日 22時09分18秒 | 中国残留婦人

2013年10月25日 (金)
[コメント] : コメントありがとうございます。確かに重すぎますよね。PCリテラシーのない私は、どうしたらいいのかわからなくて、友人に聞いてみなした。「写真を小さくするといい」と言われたので、ふたまわりくらい小さくしたんだけれど、まだまだ重い。写真を削除してしまっては味気ないし、、、。どうしたらいいのかしらん?どなたかご存じの方、教えてくださいませ。
>いつか集大成しようと思われていた、、、
いえいえ、のほほんと生きてきたの。目の前の課題をクリアしながら、、、。でも、いろいろな出会いが今に繋がっている気がする。本との出会いも。


遅くなりました。

2013年10月25日 22時08分13秒 | 中国残留婦人

2013年10月25日 (金) 21時47分55秒
私の古いパソコンには、内容も容量も重過ぎるらしく開くのに時間がかかりすぎて、なかなか読み進めませんでした(いつも夜中にパソコンを開けるもので)。 今頃になって、ごめんなさい。
敏子さん、いつもお忙しいのに、こんなホームページをよく立ち上げられましたね。 もちろん、中味はもっとすごいです。 長い間、ずっと問題意識を持ち続けて、いつか集大成しようと思われていたのでしょう。 素晴らしい!
旅の計画も立てなければならないし、お忙しいこと。
頑張りすぎないように、ね。


一部訂正(倉上良子)

2013年10月19日 12時02分20秒 | 中国残留婦人

送信してから、記述の誤りに気付いたので、一部訂正します。
叔父は3人戦地で、1人は予科練に入隊して国内を移動している間に戦争が終わりました。(天理[天理教の施設]、宝塚[宝塚歌劇団の施設]辺りと父から聞いてます。新藤兼人監督とカブっていた事を映画で知った時は、ドキドキしました。)
あと、すっかり忘れていましたが妹さんは厚子だったんですね。
姉と同名なので、余計入れ込んだのかもしれません。


金木犀の頃

2013年10月18日 21時57分46秒 | 中国残留婦人

2013/10/18(金) 18:13:54
HP開設のご連絡を受けた頃は、金木犀の香りがむせかえるほどでしたが、一週間以上経過した今日は、もう盛りを過ぎた残り香といった感じ…と思っていたら台風で吹き飛ばされた様です。
金木犀は、母方のじーちゃん、ばーちゃんの葬式(年度は違ったけど、同じ季節に亡くなりました)を思い起こさせます。
共に92歳で亡くなりましたが、母や叔母は火葬場で大号泣していました。
世間的には大往生といわれる年齢ですが、お父さんお母さんが死んだら悲しいのは、当たり前ですよね。
私が高校生の頃、母方に、4歳で亡くなった伯父がいた事を初めて知りました。
それも、叔母達との会話で偶然…。
見も知らぬ遠い昔に亡くなった伯父の死に対し、高校生の私は母に
「もう昔の事だから。忘れちゃったの?だから私に話した事がなかったの?」と聞きました。
母は真顔で、「可愛い盛りに死んでしまった弟の事を、忘れるはずがない!」
と言いました。
父方は、4人の伯父が戦地へ行き、生きて帰ったのは2人でした。
本家のお墓を兄弟で分譲した際、戦死した年齢をみて私が
「若いね。」と言ったら、義理の伯母(長男に嫁いで第一子を生んだ直後に夫は出征&戦病死で、次男と再婚)が、「みんな若かった!」といって、泣き出してしまいました。
自分の見知らぬ人の死や苦難に、いかに鈍感だったかと思い知らされる事が何度もあります。
普段読書をしない母は、「大地の子」がベストセラーになった時、私が買った全3巻を徹夜で読み切ってしまい。主人公の妹さんの境遇に、一番感情移入していました。 母は、彼女とほぼ同じ年代です。
姉が中国語講座を受講した際の講師(中国人男性)は、中国残留婦人に日本語を教えてもらった との事でした。
少し気をつければ、色んな事が自分の身近にも有ります。
藤沼さんのHP、全部ではありませんが、拝見しました。
日本ではなくなってしまった外地での戦後の苦難…これを伝えることに、どれほどの忍耐と知恵と労力が かかったかと思うと、このHPは本当に有難い(有ることが難しい)事だと思います。
中国残留孤児、婦人との様々なご縁は、41年も前の訪中団から始まっていたとの経緯を読んで、ここが、長い時間をかけて藤沼さんの中に降り積もった大切なものの結晶なのだなーと思いました。
大変なことですが、これからもっと読み込みますので、宜しくお願い致します。

P.S.
「帰国までの困難な道のり」に掲載された肉まん、本っ当ーに美味しそうです!!

 
作成者 倉上

倉上様へ

2013年10月18日 21時55分44秒 | 中国残留婦人

メールありがとうございます。肉まん、美味しかったです。その日の昼、旅館で用意して戴いたおにぎりを車の中で食べてから伺ったのに、勧められるまま、美味しそうなのでつい手が伸びて、、、・ペロリでした。「嫁らにゃしょうがないもんで」とおっしゃっていらした顔の皺が優しさを湛えていました。予定の時間より1時間も早く、街道に出て待っていてくれたり、帰りは次の訪問先まで案内してくれたり。別れるときには手を握ってお礼を言ってしまいました。健康に留意して長生きして戴きたいと思います。
お母様が感情移入していらしたという「大地の子」の妹、厚子。どれだけ多くの厚子がいたことかと思います。昨日、伺った方も、5人兄弟で生きて日本に帰れたのは2人だけとか。朝3時から、文字通り馬車馬のごとく働かされたとか、そんな話を聞いたことがあります。


Junさんへの返事

2013年10月16日 21時59分12秒 | 中国残留婦人

お忙しいのに、見てくださってありがとうございます。「ぐうたら敏子さん」ですから、肩が痛いのをいいことに、手抜き家事で、マイペースで頑張ります。今夜はサンマの塩焼き(ただ焼いただけ)とレタスとトマトときゅうりのサラダ(ただ切っただけ)とマグロの刺身(ただお皿に盛り変えただけ)でした。、パパさんに、大根おろしを頼んだら、おどんぶりいっぱい作ってくれました。ウワオ-。頑張って全部食べました。直子さんにも早々にメール戴いたのでした。有り難う。


ゲストブック

2013年10月14日 19時01分54秒 | 中国残留婦人

2013年10月14日(月)CMの全くないゲストブックが見つかり、今日変更しました。フーッ、、、。直接書き込めますので、お気軽に足跡を残していっていただけると嬉しいです。今日は大宮で帰国者の集まりがあり、行ってきます。家族は伊香保の温泉に入り、前橋のイタリアンレストラン シャンゴで、ミートソースをお土産に買ってきてくれる予定。ここのシャンゴ風スパゲッティーはミートソースが絶品で、最近お土産用を売り出したということ。癖になる味。


アクセスカウンター設置

2013年10月13日 18時59分26秒 | 中国残留婦人

2013年10月13日(日)昨日、やっとアクセスカウンターをホームページに設置することができた。今朝開いたら、35人になっていて、このホームページの存在も15人くらいにしか知らせていないので、なんかの間違いでは、と思う。もしかしたら、YouTubeの動画を見た方が、お客に見えたのかも知れない。次はコメント自動入力画面を作らねば。


ガーナからの便り。ありがとう。

2013年10月07日 22時03分53秒 | 中国残留婦人

ガーナからのお便りは、ゲストブックができる前に頂いたメールですが、ご紹介。
米山博子さんは、ガーナ大学で日本語を教えていますが、絵本作家でもあります。2冊ご紹介「サンガのバオパブ」と「岩を叩くうさぎ」(新日本出版社)  「サンガのバオパブ」は、彼女が奴隷貿易で有名なサンガを訪れたとき、大きなバオパブの木に打ち込まれた沢山の楔(くさび)を見て衝撃を受け、着想。北海道帯広大樹町で、「インカルシペ」というペンションをご両親様が経営しており、その一角にガーナ、アフリカの民族土産店などもあります。料理も選べるのですが、白樺林のあの空気の中でいただくジンギスカンはとても美味しかった。秋になると、知り合いの漁師さんに新鮮な鮭を分けていただいて、イクラの醤油漬けを作るイベントもあるそうです。近くには「太四郎の森」というシラネアオイの群生で有名なすばらしい所もあります。北海道観光の折には是非お勧めです


ガーナからの便り

2013年10月07日 22時02分02秒 | 中国残留婦人

On Mon, 2013/10/7, Hiroko YONEYAMA(JP)
お元気ですか。 金木犀の香り、いいですねぇ。
今晩、ちょっと外に出たら、お隣の塀越しに植えてある植木がかわいい白い花をつけ、まるで金木犀のような香り を放っていました。
「アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言」、藤沼さん、素晴らしいHPを立ちげられましたね。 これが、藤沼さんの人生の中で、やるべきことだということなんですよね。
「インターネットで彼らの肉声が、歩んできた人生が、世界中のどこからでも、いつでも、いつまでも、未来に渡って 聞くことができる中国残留孤児・残留婦人の証言を集めたアーカイブ ホームページを立ち上げようと思い至りまし た」と書かれていますが、強い思いと願いを実行されていること、心から敬服いたします。 まさに、藤沼さんが、世界のどこからでもと言われているように、アフリカにいながらにして、このアーカイブにアクセ スすることができます。 最初のインタビューを聞かせて頂きましたが、他のもじっくり聞かせて頂こうと思います。 全ては、”知ること”から始まります。 私の力では知り得ない多くの貴重な情報を知らせてくれてありがとう!
私も、ここガーナから、アフリカから、「人間の原点」に迫るようなメッセージを発信し続けて行きたいと思います。
  今日、竹内マリアのアルバム聞いてて、「人生の扉」というのを、改めてかみしめながら聞きました。 確か、彼女が、50代になって書いた詩なのよね。
“I feel it’s nice to be fifty.”って。
50歳の誕生日に結婚し、もうすぐ、結婚5周年を迎える私も、50代もいいものだって思える。
藤沼さんは、還暦迎え、何か人生の区切りになるようなことという思いもあり、HPを立ち上げることになさったのね。 心からおめでとうございますです。 パパさん、お元気ですか?
くれぐれも、よろしくお伝えくださいね。 藤沼さんも、お身体に気を付けてね。
よねこ
米山博子

 
作成者 米山博子

ホームページ立ち上げ

2013年10月03日 22時06分14秒 | 中国残留婦人

2013年 10月3日(木)無料のホームページ作成ソフトをいろいろ試してみて、やっとアメリカのソフト、WIXにたどり着きました。これはPCリテラシーのない私でも、何とか使えました。しかし、カウンターやコメント、ブログのページも作りたいのですが、うまくいかず試行錯誤中です。公開ボタンを押しても、検索エンジンでヒットするようになるには、2.3ヶ月かかるそう。<工事中>がたくさんありますが、インターネットでヒットするようになる前に、直したり、書き加えたりして置きたいと思います。