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元日本サハリン同胞交流協会(現日本サハリン協会)の会長 小川岟一氏の訃報に接して

2017年08月05日 00時33分18秒 | 取材の周辺

 

 ただいま北海道の最果ての小さな温泉町にいます。7月31日、元日本サハリン同胞交流協会(現日本サハリン協会)の会長だった小川岟一氏がお亡くなりになられた事を、翌朝のメールで知った。8月1日、宿の北海道新聞には、とても小さな死亡記事が出ていた。あれだけの業績をなした方なのに、これっぱかしの記事では、彼の偉大さは一般の人には何も伝わらない。北海道とも縁の深い方なのに、その取り扱いは不満だった。翌日、図書館で読売新聞を開いた。が、今度は記事そのものがない。もう一度探したがない。この小さな図書館には新聞は一誌しか置いてないのだ。販売部数の一番多い全国紙に、彼の訃報が載っていない。ネット検索をしてみるとどこも簡単な紹介ばかり。元会長だったというだけ。信じられない思いと怒りがこみ上げてきた。日本サハリン協会の本箱には、これまで取材に応じた膨大な量の新聞記事のスクラップブックが収まっていた。それらの記事を書いた記者は、もうこの世にいないというのか。彼の偉業を知る記者は、どこにもいないのか。

 2年前、近藤孝子さんの取材をするため、日本サハリン協会に伺った折、お元気そうに書類の整理などなさっておられた。インタビューを申し込んだが、断られた。 

 政府の無関心と戦い、樺太に日本人はいないという政府の強弁を打ち砕き、樺太残留日本人の一時帰国、永住帰国への道を切り開いたのはほかでもない彼だ。彼の口から、ひとつひとつの壁をどのように打ち破って帰国を実現させていったのか、細かな経緯を聞いて、記録として残しておきたかった。

 この小さな図書館には、吉武輝子の『置き去り』も置いていないので、確認もできない、あいまいな記憶だが、「一人でも多く、一日でも早く、時間との闘い」を合言葉に、小川さんは戦い抜いた。もし小川さんがいらっしゃらなかったら、サハリン残留日本人の帰国は今も実現していなかったのではないかと思う。不条理な棄民政策への強い怒りと闘争心、不屈の信念と樺太残留日本人に対する深い想い。その功績は帰国者問題に留まらず、社会的歴史的な偉業だと思います。

 謹んで哀悼の意を捧げます。