「アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言」ゲストブック&ブログ&メッセージ

左下のブックマークをクリックするとホームページ「アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言」にアクセスできます。

講演会の報告と、5月の講演会の案内です

2024年05月05日 10時46分30秒 | 取材の周辺
 5月25日(土)、川越駅西口徒歩7分 ウエスタ川越にて 13:30~15:30まで 、 日中友好協会埼玉西部支部主催で、「『中国残留孤児・残留婦人の証言』~30年かけ 約250人の体験者の聞き取りをして~ 」 というテーマでお話させていただきます。お時間がございましたら是非お出かけいただきたくご案内申し上げます。

 偶然のことに3月は国際善隣協会主催での講演、4月はヒロシマ講座(新宿区男女共同参画推進センター)主催での講演と続き、5月は地元 川越での講演依頼が舞い込みました。諸般の事情で、ずっと講演をお引き受けできませんでしたが、たまたま依頼が重なり、思い切ってお引き受けしてみることにしました。

 国際善隣協会での講演では、パソコンもパワーポイントも忘れるという大失態をやらかしましたが、会場の皆様の関心の高さに支えられて、大いに励まされ勇気づけられた講演でした。
 
 ヒロシマ講座では、当初参加申し込みが一桁と伺って、Facebookで告知したところ、中国帰国者支援・交流センターの先生がシェアしてくださり、それをご覧になった劇作家で精神科医の胡桃沢伸さんがシェアしてくださり(いらしてくださり)、そこから広がってたくさんの方がシェアしてくださいました。『あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち(上)』に推薦文を書いてくださった法政大の髙柳俊男先生はお知り合いの方に宣伝してくださり、当日は数名の学生を伴って来てくださいました。日本語教師時代の友人や四国の古い友人、名古屋の南山大学の研究者、中国帰国者支援・交流センターの先生と語り部数名も来てくださいました。感謝に堪えません。

 講演では、2,3分の短い映像を10数人分見ていただきましたが、その時に「この映像は行間を読んで欲しい」と言ったところに、2、3人の方から感想が寄せられました。
 最後の質疑応答では南山大学の研究者から「証言が変化する理由はなにか?」という質問がありましたが、その時は、自分自身の出来事に対するものの見方が変わったためと応えましたが、今考えると二つあると思います。一つは、「できごと」を受け止める自分自身の考えが時間の経過とともに変わったということ。もう一つは、世の中の受け止め方、価値観が変わったので、それに影響を受けて証言が変わった、ということだと思います。「昔言えなかったことが言えるようになった」という変化は、本人にとっては心穏やかに晩年を過ごす妙薬のようなものだったのかも知れません。
 また、このことに関連して思い出したことがあります。1994年頃、佐久市でお会いした帰国直後の残留婦人のことと、2000年瀋陽でお会いした残留婦人のことです。お二人の反応はまったく同じでした。正座して「中国人と結婚して申し訳なかった」と謝るのです。戦前の日本の価値観そのままにフリーズされていたのです。二人には時代の変化による価値観の変遷は関係なかったのです。戦前の日本の為政者によって作り上げられた価値観の中にいました。五族協和と言いながらも日本の優位性を植え付けられ、アジアを支配する野望を具現化するために都合の良い価値観の中に長い時間置いてきぼりにされていたのです。自戒せねばと思います。絶えず自分の価値観が何によって作られているものなのか、それは正しいのか、探り続けなければならないと思います。
 
 また、法政大学の髙柳俊男先生から「何がこんなに彼女を駆り立てるのか、そのエネルギーは何なのか、知りたい」というご質問がありました。講演の最初に話したこと、「素晴らしい出会いがあって今日に繋がっている」と繰り返し話しましたが、それは先生の質問に正面からお答えしていないと、後になって気づきました。
 つらつら考えてみますと、エネルギーの源はズバリ!「怒り」です。感性が少し他人と違っているところがあるようで、残留孤児・残留婦人の話を聞くと、感情移入しすぎてしまう傾向があります。「生活保護を受けているのに孫に小遣い(50円とか100円)をやれる立場か!」と、福祉課の職員に恫喝された話を聞くと、怒りがこみ上げてきました。日本に帰りたくても親族が身元引受人になってくれないので長く帰れなかった話や、身元が未判明なら帰国できるのに、判明したために帰国できなかった孤児の話など、怒りを禁じ得ませんでした。なかでも家があるからと支援金を受けられなかった孤児の話は、自治体によって大きな違いがあるのです。200万円で中古住宅を買い、自分で少しずつリフォーム工事をした家に住んでいるので支援金がもらえない(都内に住む孤児には理解してもらえませんでした。「自分の家を持っている人なんていません」ときっぱり断言されて仰天。いえ、地方にはたくさんいるんですってば)。子世代(ほとんど共働き)と同居しているために支援金がもらえない話もたくさんありました。世帯分離をすればいいだけなのに、それを誰も教えてくれないのです。それどころか世帯分離は実態と違うからできない、と諭す自治体もありました。また、1世の孤児に、「生活保護はうちの自治体では支給しないことになっているから、そのつもりで」という自治体もあったのです。生活保護法を逸脱していますが、何も知らない帰国直後の孤児には抗議のしようもありません。
 本当は2,3世のためにも『年表 中国帰国者問題の歴史と援護政策の展開』の続きとその後の援護政策への批判を、怒りを集中させてきちんとわかりやすい形で書かなくてはいけないのですが、だいぶ私自身がへたってきたので、書けるかどうか自信がありません。ただ、断捨離を始めたはずなのに、関係する資料や書籍類はいまだに捨てられないでいます。
 講演で私自身たくさんの気づきと刺激をいただきました。講演が終わってみると、2時間以上いただいたにもかかわらず、言い忘れたことが山ほどありました。それは5月の講演で、1時間半いただいておりますので、凝縮し、かつシンプルにしたものを手渡そうと案を練っているところです。
 5月25日(土)ウエスタ川越でお会いしましょう!
 

 ぜひ、お時間がございましたら、5月25日(土)13時半から川越駅西口ウエスタ川越までお出かけくださいませ。