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アウシュビッツ博物館見学

2015年11月01日 13時38分16秒 | 旅行

 

 日々多忙を極め休日が少なくて、傍目にも気の毒に思える娘が、1週間の夏休みが取れ、「父親と黒川温泉に行ってくるから、一人で行きたいところに行って来たら」と、提案してくれました。私は嬉しくて迷わず「アウシュビッツ!」と、叫んでいました。

  少女時代、アンネ・フランクの「アンネの日記」は、ヘッセの「デーミアン」、C.ブロンテの「ジェイン・エア」、トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」とともに繰り返し読んだ愛読書の一つでした。しかしその頃はアウシュビッツの事は何一つ知りませんでした。大学の一般教養の心理学だったか歴史学だったか記憶が定かではないのですが、フランクルの「夜と霧」の感想文が課題として出され、当時18歳の私には衝撃的で読み進めることが辛かったことを思い出します。それなのに怖いもの見たさのように図書館でアウシュビッツに関する図書を読み漁ったりもしていた。そして残虐な写真を見るのに、友人を巻き込んだりもしていました。大江健三郎の初期の作品や彼の「ヒロシマノート」、石原吉郎の詩集などが、当時の図書館の印象と重なっていたりします。

 さて、今回の旅行には中谷剛著「アウシュビッツ博物館案内」(凱風社)を持って行きました。幸運なことに、中谷氏本人に案内をしていただくことができました。通り一遍の案内ではなく、見学しながら折々に、「なぜこのような事が起きたのか、今もどこかで同じような事が起きているのではないか、再び起きないようにするにはどうしたらよいのか?」との問いを投げかけられていたように思いました。

  この旅行から得られたものはとても大きかった。

 植えてから70年経ったという白樺の大樹の下で、夥しい数のメガネの山の部屋・革靴の山の部屋・毛髪の山の部屋で、ビルケナウの幾百と連なる収容棟群の中で、「死の門」に続く線路の上で、今を生きている私の責任、未来に対する私の責任、「なすべきことをせよ」と、アウシュビッツ・ビルケナウの大地が、私の肩を押してくれたように思っています。

 

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/30/4735a6353320040512326d0946a2d612.jpg     (アウシュビッツ)

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/52/998a78e941b94e42cfd64a3121fa80b8.jpg  (ビルケナウ)

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/2c/a905de9ee0688d490a7c1014887acecb.jpg  (死の門と線路)

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/99/00676a6a70e37886cd3adfd48aa116c9.jpg  (メガネの山の部屋)