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『セエデク民族』を読んで

2016年03月21日 09時10分22秒 | 歴史

 

『セエデク民族』 シヤツ・ナブ著

   載凧(ニンベンあり)如・古川ちかし編集                     台湾東亜歴史資源交流協会発行

  台湾の温泉に、3年連続来ています。何故か外国にいる緊張感がなく、食事が美味しいし、人々が優しい。硫黄の匂いの温泉なのに、市街地にも行こうと思えばすぐ行ける。もっとも私たち夫婦はほとんどの時間をホテルの中で温泉と読書に費やしている。国内の温泉でも十分なのだけれど、この歳になると日々の生活の中にワクワク感が乏しくなり、たまに海外旅行で注入したくなるのだ。

  一昨年はちょうどひまわり学生運動(2014年3月18日に、台湾の学生と市民らが、立法院を占拠した)の時期だった。街頭ではデモの旗が翻り、あちこちの広場で集会が開かれていて町中に不穏な空気が充満していた。日本語を学んでいるという学生と路上で立ち話をする機会があった。彼は「台湾の全国民が我々と同じ考えだ」と話していた。今回の選挙で民主進歩党の蔡英文氏が圧倒的多数の支持を得て当選したことから、今はそれもうなずける。

  昔、日本語教師時代にお世話になった古川ちかし先生(当時、国立国語研究所日本語教育室長)が台中の東海大学にいることを思い出し、彼のホームページを開くと長く更新されていない。かれこれ20年以上連絡をとっていなかったが、気になって大学のアドレスにメールしてみると、連絡が取れた。昔からそうだったけれど、面白そうな事を色々しているらしいので、早速、会いに行ってみることにした。新幹線で台北から1時間だ。彼は否定するだろうが、私は昔、彼から「教えること、学ぶ事」の基本を教えてもらったように思っている。無防備にヒントをばら撒きながら歩いていた。

  待ち合わせた書店兼カフェは彼が関わっているNPOの拠点で、最近『セエデク族』という本を出した。気軽に、「後で読後感をメールしまーす。」なんて言って来たが、私は台湾の歴史をほとんど知らない。昔、司馬遼太郎の全集『街道を行く』の台湾紀行が話題になった時、読んだくらいだ。それから、台湾と言えば、一番ケ瀬康子先生が授業の中で話されたことを思い出す。家族で台湾で暮らしていて、18歳の時、戦争に負け、引き揚げ船に乗って帰国する時、前を行く同級生が乗った船が爆撃を受け撃沈したこと。そして振り返ると、岸を離れたばかりの、やはり同級生(親族だったかも?)が乗った船も撃沈されたこと。その経験が自分の原点だ(社会福祉学を選んだ以上、自分の原点を絶えず忘れてはいけない)、というようなお話をされていたように思う。

 50年の長きにわたって日本が支配し、1947年の二・二八事件から、つい最近(1987年:俵万智の『サラダ記念日』ヒット、利根川進氏ノーベル賞受賞)まで、戒厳令が敷かれていた台湾。白色テロ、外省人、内省人(本省人)、原住民(16民族)、政治的立場の違いやアイデンティティーの問題など、私には理解できない問題が山積である。

 それでも敢えて、『セエデク民族』を読んでみた。

 まず、古い日本語なのだろうか、読みにくい言葉が沢山あり、納得しないと先に進めないタイプなので、いちいちコトバンクや大辞林で調べたりした。それでもわからないものが沢山あった。萬大、隣蕃、ガヤのならわしのガヤってなによ、称揚、中風、撫育、相婚、口腹欲、「1公尺」って「1尺」?

 日本語教育を受けたシヤツ牧師自身による日本語の記述なので、覚悟を決め推量しつつ読み進めた。「正名」という言葉も、非常に重要な意味を持つ言葉なのに、どれだけ理解できているか自信がない。その上で感想を書かせていただきます。

 (以下感想)

 「文字で記載した歴史を持たない民族」にとっての歴史は、親から子へ口述で語り継がれる歴史であった。が、台湾の山岳地帯の少数民族の所にも、日本統治時代、皇民化政策と共に日本語教育が普及されていった。そしていくつかの事件があった。どのような歴史的事件があったのかは、研究者によって書かれたこれまでの出版物や日本統治文献の記載から知る事はできるだろう。

 しかし、古川氏の試みは、当事者に出来事・事件を語ってもらい、当事者がそれをどのように捉えているのか、語る中から新たに歴史を紡ぎだそうとしている。昔、彼がよく言っていた「エンパワーメントの日本語教育」にも通じるものを感じた。

 期せずしてここでも「小さき人(または民)」の視点から、歴史を編み出そうとしていた。しかし、それほど簡単なことではなく、語ることによって新たな民族間の反目の火種になるかも知れないと言う危険も孕んでいる。だが、敢えてここで、「小さき人(または民)」の視点から語られる歴史を記述しなければ、民族の苦悩や哀しみは理解されず、出来事、事件は「大きい人」の視点でのみ記述され、「大きい人」にとって都合のいいように評価され、書き換えられ、利用され続けたりもする。

 霧社事件の記述をめぐって、これまで考えたこともなかったけれど、歴史ってなんだろう、と、改めて思う。一つ一つの出来事をどういう立場から記述するかで、多いに変わってしまう。これまで、「これが歴史です」と与えられたものを無批判に鵜呑みにしていた気がする。この本を読んで、そんな思いが沸き上がったことが、一番の感想かも知れない。

 

 


江川紹子さんのヤフーニュース

2015年06月03日 11時24分13秒 | 歴史

 「光強ければ影も濃い~歴史の多面性を伝える世界遺産に」というテーマで、ジャーナリストの江川紹子さんが興味深い記事を書いております。(6月1日 17時24分配信)

今、話題になっているユネスコの世界遺産登録(「明治日本の産業革命遺産」福岡、長崎など8県の23施設)をめぐる問題についての記事です。詳しくは以下で全文が読めます。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20150601-00046208/

 記事によると、『「日本が植民地支配していた時代に朝鮮人5万7900人が強制徴用された。強制労働の事実から目をそらし、単なる産業革命の施設として美化することは歴史をゆがめる」として、強い口調で反対意見を表明した。朴槿恵大統領も訪韓したユネスコの事務局長に、反対の意思を伝えた。中国もこれに同調。これらの施設で戦時中に強制連行された中国人らが苛酷な労働を強いられたことについて、日本が責任ある対応をしていないとして、反対を表明した。

これに対し日本側は、「非西洋国家に初めて産業化の波及が成功したことを示すもの」と文化的価値を強調し、遺産の対象時期は1850年代から1910年にかけてであり、戦時中の強制労働問題とは時期が違う、と主張。先月22日に行われた日韓の事務レベルでの協議も平行線に終わった。実際に遺産登録されるかどうかは、7月初めにユネスコ世界遺産委員会の審査で決まる。 』

そして、死亡率の高さから彼らは消耗品として扱われていたことがうかがえると。

『政府も地元も、日本側は戦時中の負の歴史にはできるだけ触れず、日本の近代化を牽引した、輝かしい歴史のみを伝えていきたいようである。そんな中でも、現地では、負の歴史を語り継ぐ努力も、細々とではあるが、なされている。』と。

三池や大牟田市を訪ね、色々な方にインタビューして<歴史の光と影を伝える文化遺産に>と、記事は書かれています。 

長野県には飯田日中協会が中心になって、平岡ダム建設に動員された中国人殉難者がどれくらいいたのか、どれくらい死んだのか、詳しく調べ冊子に残している。慰霊塔が建てられ、毎年慰霊祭が行われている。生き残った中国人の方が招待され慰霊祭にも参加したりしたこともある。私の実家は栃木県ですが、足尾銅山にも、たくさん強制連行された朝鮮人の方がいたと父から聞いたことがある。

いったい日本全国にどれくらい強制連行された殉難者がいたのか、それはどこなのか、死亡率はどれくらいだったのか、知りたくなりました。

歴史を伝えるということは、加害の歴史も被害の歴史も両方を伝えなければと思います。日本が植民地支配をしていた歴史をまったく知らない若者ばかりでは、恥ずかしいです。


 


ピースおおさかとメルケル首相演説

2015年05月04日 16時50分28秒 | 歴史

 最近関心を持ったニュースが二つあります。

 一つは、大阪市中央区の博物館「大阪国際平和センター」(ピースおおさか)が4月30日、リニューアルオープンし、改装前に大きく紹介していた旧日本軍による侵略や植民地支配に関する展示は縮小され、空襲被害と戦後復興を展示の中心に据えたというニュース。

 もう一つは、ドイツのメルケル首相の負の歴史遺産を受け継ぐ重要性を説く演説でした。

 現在の日本にも、両方の考えがあり、時々不安になることがあります。こんな閲覧数も少ないホームページでも、声高に平和を訴えたら、それだけでバッシングされる事もあるのかも知れないという不安です。「最近までネトウヨってなあに?」と呑気に構えていた私ですが、ネットで起こっている様々なことを友人から聞いて驚き怖くなったのも事実です。

  何度も訪ねた長野県阿智村にある満蒙開拓平和祈念館には「前事不忘、後事之師(ぜんじをわすれざるは、こうじのしなり」(過去の経験を忘れないで、将来の教訓とする)という碑があります。日本全体がピースおおさか化しようとしているように思えてならない昨今ですが、満蒙開拓では、8万人以上が犠牲になっています。ダッハウ強制収容所のユダヤ人4万人の倍の人数です。中学時代に「アンネの日記」を感情移入して読み、大学時代、フランクルの「夜と霧」に衝撃を受けました。しかし、私が満蒙開拓について知る機会は成人するまでほとんどなかったのです。

 メルケル首相の言葉になぞらえて「我々は、皆、満州移民のすべての犠牲者(現地の中国人も含む)に対する責任を負っている。これを繰り返し自覚することは、国民に課せられた義務だ」と書かせていただき、地味に少しずつ証言を増やして行きたいと思っています。

                                 (四国の温泉で海を見ながら)

 以下は、毎日新聞 2015年04月30日 13時13分 ネット配信記事より抜粋

{同館は1991年、大阪府と大阪市が出資する財団が設立。南京事件や朝鮮半島での労働者の強制連行などの加害行為について、写真などを用いて大きく紹介していた。しかし、大阪維新の会の府議らから「自虐的」と批判を受け、昨年9月から休館して改装作業を進めていた。新たな展示は、大阪大空襲の被害と戦後復興が中心。南京事件は終戦までの流れを説明する映像の一部で扱うにとどめ、慰安婦問題への言及はなくなった。

午後1時の開館に先立ち、松井一郎知事らが館内を見学。松井知事は「偏った見方の展示はやめるべきだと思っていた。満足している」と話した。一方、改装に反対してきた市民団体「ピースおおさかの危機を考える連絡会」は、館周辺で横断幕を掲げて抗議。世話人の黒田薫さん(76)は「加害行為が抜け落ちては正確な歴史を次世代に伝えることができない」と話した。【大久保昂】}

 以下は、メルケル首相の演説に関するネット配信記事より抜粋

{5月3日、ドイツのメルケル首相は、ダッハウ強制収容所の解放70年式典で「ナチスがこの収容所で犠牲者に与えた底知れない恐怖を、我々は犠牲者のため、我々のため、そして将来の世代のために、決して忘れない」と演説した。また、メルケル首相は「我々は、皆、ナチスのすべての犠牲者に対する責任を負っている。これを繰り返し自覚することは、国民に課せられた義務だ」と演説。「若者たちが過激な思想に影響されることがないよう、一体となって取り組む必要がある」「我々の社会には差別や迫害、反ユダヤ主義の居場所があってはならず、そのためにあらゆる法的手段で闘い続ける」と述べ、ナチス時代の記憶を世代を超えて受け継ぐ重要性を訴えた。報道によると、元収容者ら約130人が参列した。

収容所ではユダヤ人ら4万人以上が犠牲になった。式典に先立ち、2日付で映像メッセージを公開。「歴史に終止符はない」と述べ、ナチスの過去と向き合い続ける決意を表明した。さらに「われわれにはナチス時代に引き起こしたことを注意深く敏感に、十分な知識を持って扱う特別な責任がある」と指摘。国内のユダヤ人関係の施設が今も警察の警備を必要としていることは「恥だ」と訴えた。}

 

 


中国報道官、百田尚樹氏の南京事件発言を非難

2014年02月07日 00時39分27秒 | 歴史

 「従軍慰安婦なんていなかった(あるいは、どこの国にもいた)」「南京大虐殺はなかった」

 このような発言が、もぐらたたきゲームのように繰り返される背景には、思想信条を稜威にする大きな組織的な存在があるのだろうと思います。大学時代、父の同僚が従軍慰安婦について書いた小説「青い梅」を読んだことがあります。また、ある第二種県営住宅の集会所で開かれていた中国帰国者のための日本語教室のボランティア講師(20年前85歳くらいだった)からは、「実際に自分は南京大虐殺の加害者だった。罪滅ぼしにボランティアをやっている」と、聞いたことがあります。ただ、「聞いたことがある」では「それがどうした。聞いただけだろう。どこに証拠がある」と、なって反論できません。「あの時、ビデオをまわしていたら」と、後悔しました。2年後にビデオを提げて訪ねると、家は壊され更地になっていました。
 中国残留孤児、残留婦人も、いつの日か風化し、その思いもその存在さえも覆い隠されてしまう日が来ないとも限りません。このアーカイブスが、長い時間の風雪に耐え、存在し続け、地味にでも「私たちは生きています。こんな思いで生きて来ました」と、主張し続けて行ってもらいたいと思います。
 
以下は、2014.2.6 13:04配信されたSMSニュース

 【北京=川越一】中国外務省の洪磊報道官は5日、NHK経営委員を務める小説家の百田尚樹氏による「南京大虐殺はなかった」との発言を「日本軍国主義が侵略戦争の中で犯した残虐な犯罪行為で、国際社会では定説となっている」と非難する談話を発表した。

 洪氏はその上で、「日本国内の極めて少数の人たちが歴史を抹殺しようとしており、歴史を逆行させる日本の指導者と通じるものがある」と強調した。

 百田氏は3日、都知事選候補の街頭演説で、中国側のいう「南京大虐殺」を「そんなことはなかった」と否定した。


日中関係

2013年10月27日 19時07分47秒 | 歴史

日中関係の悪化は、帰国者・支援者にも影を落としている。 10月22日(火)日本と中国の対立に強い懸念を抱く研究者156人が「新しい日中関係を考える研究者の会」(代表幹事=毛里和子・早大名誉教授)を設立、「排他的なナショナリズムを越えて」と題するアピールを日本記者クラブで発表した。同アピールは「双方は軍拡競争に陥ることなく、主権・領土の相互尊重や武力行使の回避を取り決めた日中平和友好条約の精神に立ち戻るべきだ」と強調。(1)紛争の平和的方法による解決、武力不行使、国際ルール準拠、(2)政治や外交上の一つの問題を2国間の経済・文化・市民レベルの領域に広げないこと、(3)極端で排他的なナショナリズムを乗り越える―よう強く求めている。


本との出会い

2013年10月26日 22時11分29秒 | 歴史

 

2013年10月26日 (土) 埼玉県国際交流協会の日本語講座コーディネーターをしていた時、県の職員のIさんが、「ワイルドスワン」上下2冊を「おもしろかったから、どうぞ。読み終わったら、誰か面白そうと思って読んでくれそうな人にあげて」と言われてくださった。本当に面白くて、一気に読んでしまった。文化大革命の頃の知識人の苦悩が描かれていた。そして、友人のSさんにIさんの言葉を添えて差し上げた。それから何人の人に手渡され読まれたかしらと思うと、嬉しくなる。その後もIさんとはお嬢さん共々、細く長いお付き合いが続いている。