私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

わくわくブログ講座は、受講を終了しました

2013年05月18日 | 日記

講座は、次回が最終回ですが、出席で来ません。

77歳でも何とかできると思いましたが、

理解ができたのは半分でした。

私が代表をしているキヤノンフォトクラブ岐阜写真展は

岐阜県美術館で明日まで展示しています。

広い展示場に岐阜の新聞社2社の報道のお陰で

多数の来場者で賑わっています。

私のクラブのB展示場の隣のA展示場では

ショップ&サロン「花*花」と題してステキな

押し花・レカンフラワー・プリザーブドフラワーを

展示しています。花びらを乾燥させて、

花びら一枚一枚を用紙に貼っていき2ヶ月もかかって

完成させるということでした。

一秒に7枚も撮れる写真の会場に来られる方は

ちょと寄られると、花の絵画の感動が待っています。

蘇生

 

 


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。