私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

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2013年05月28日 | 遠出

最近、ドライブはカメラを持って一人です

恵那市の坂折棚田で、田植えがあることを聞き

1度も見ていないので、早出をして

恵那峡SAには、8時に着きました

この分なら、茶臼山高原には、9時ごろ着くとして

進路を変えて岩村に向かい、上矢作川を通るころ、

カーナビが間違えたのか、私が聞き漏らしたのか、

通行禁止の看板を見落としたのか、

一本道を20分ほど走ると、崖崩れのため

トンネル内に土砂がたまって交通止めがしてあった 

来た道を戻るしかなく、ユーターンをして20分で国道に戻る

この国道も、間も無く迂回表示があり、大回りをさせられて

茶臼山高原に着いたら10時40分

実に恵那から、2時間40分掛かかりました

しかし、幸運にも駐車場の渋滞は100メートル、約10分であった

リフトに乗って、天空の花回廊「芝桜の丘」に上がりました

リフトの下にも赤、ピンク、ブルー、白、ローズ、薄紫の

芝桜が迎えてくれました

展望台からの眺めは、7部咲きのため写真では薄目です

今日は、すばらしい天気で、山の鮮やかな緑の中で

芝桜は、沢山の恋人や夫婦、そして家族を

着飾って見せてくれました

帰途は、恵那の坂折棚田経由です

田植えは午前中に終わっていました

機械植えの田圃の田植えは、まだ残っていました

予想以上の大規模の棚田を見ながら

農家の石積みの苦労を、暫く考えていました

蘇生

 

 


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。