ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

十和田市に想う

2007年04月25日 | Weblog
先週、仕事で十和田湖の入り口の町、十和田市に2泊した。
八甲田連峰を望み、きちんとした条里制の街並み、その中央に
官庁街通り(駒街道)がある。http://view.aomori.isp.ntt-east.co.jp/livecamera/towada_kancho/

「日本の道・百選」に選ばれただけあって、歩道には馬(以前は軍馬の生産地)
にちなんだ彫刻、四季折々で賑わう広場など1.1km(幅約40m)に盛りだくさん。

両側には、桜と松の大木が並び、もうすぐ満開の桜が松の緑に映えることだろう。
官庁街通りとは言え、市役所、消防署、法務局、郵便局など公共のハコモノが両側にヅラリと並ぶ様は開拓地の都市計画のスケールの大きさを感じる。
(東京の私鉄沿線のごちゃごちゃした商店街とは大違い)

パンフで、街のはずれに「新渡戸記念館」とあるので行ってみた。
あの旧5000円札の新渡戸稲造さんの祖父(傳)父(十次郎)が開拓に力を注いだ地で、以前から「太素塚」として祀ってあったとある。
南部藩の士族の出として「武士道」で日本を欧米に紹介した稲造のルーツはさすがと思った。当時、国連の副事務長として活躍、「何も宗教を持たない日本人」を恥じて、いろいろと考えた末に武士道精神とキリスト教精神の相通じるものを伝えたかったということを思いだす。

明治政府の和魂洋才:
文化・科学技術に対して洋才、キリストに対して天皇という構図(和魂)を考え出したという説がある。どちらも絶対的なもの=神ということだろう。
天皇を神格化・絶対化して、富国強兵、帝国主義を進めるための壮大な構想をよく思いついたものだと感心する。

海外で、キリスト教文化を身につけた稲造の目には、当時の日本はどううつったのだろうか。
確か、札幌農学校で、内村鑑三さんの1年先輩だったと思うが、、
鑑三著「余は如何にして基督教徒となりし乎」も、若くしてよくあんなに鋭い洞察と思想が身についたものだと、読むたびに感服する。

この街に、そういった新天地創造の遺伝子を強く感じるのは気のせいだろうか。
東北地方の財政は、とくに厳しい様だけど、
こういうスッキリした夢のもてる街は、いつまでも栄えて欲しい。
(2002年公債費負担率14.4%で県内8市では最低、と一応健全?)





















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