ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

合掌造り民家園

2010-10-27 07:46:00 | PiTaPaより遠くへ
白川郷を後にする前にひとつ確認しておきたいことがありました。せせらぎ公園に隣接する合掌造り民家園のことです。飛騨地方の古民家を集めて展示している有料施設。まぁいわば、長崎のグラバー園とか、沖縄の琉球村とか、飛騨高山の飛騨の里とか、私のよく行くところでいえば、大和民俗公園のようなものですね。昔の建物を後世に残すために移築してきて保存してあるものです。ただ、合掌造り民家園がこれらと違うところは、すぐ近くにホンマモンの合掌造りがあるということなのです。静態保存、動態保存という言葉が蒸気機関車の保存方法にあるそうです。静態保存というのはカタチこそそのままですが、動く状態で保存はされない、動物で言えば剥製みたいなものでしょうか。一方、動態保存というのは、いつでも煙を吐いて動かせる状態で保存することなのだそうです。とすると、合掌造り民家園は静態保存。それらの民家には生活がありません。ところが、そこから吊橋で庄川を渡ったところ、時間にしてたった5分ほど先には生活にも商業にも使う合掌造り(すなわち動態保存)が、たんとあるのです。人々の生活の中で生きている合掌造りが近くにあって(しかも、町を歩くだけならタダです)、静態保存=剥製の有料施設を誰が喜ぶのだろう。別な喩えをすると、美術館に有名な絵画がやってきたので行ったけれども、そこの売店で売られている複製の絵だけを見て、「すばらしい」と喜ぶようなことではないか。


どうも、胡散臭い。世界文化遺産を目当てにやってきた客から、「こっちにもあるよ」と入園料を取ろうとする魂胆なのかな。園の入り口で疑いの目をもって、入ったものか否かを腕組みをして考えたのでした。結局入るきっかけになったのは、入園者が 350万人を超えたという看板を見たことでした。これは何かあるに違いない。
入って、私は大きな思い違いをしていたことに気づきました。民家園関係者の皆様ごめんなさい。
合掌造り民家園がオープンしたのは古くて1971年のこと。当時は白川郷合掌村という名称だった。これを作ったのは白川村加須良集落が集団離村したのがきっかけだったそうです。高度経済成長の波がこの列島を飲み込んだとき、旧来のこの土地の暮らしが成り立たなくなったのです。離村の後に残されたのは 主のいない合掌造りの民家群。民家保存のモデルとして、村立で白川郷合掌村が誕生した。その後、1976年になって荻町地区が重要伝統的建造物保存地区に選定され、 1995年には世界文化遺産として登録される。だから、ホンマモンの荻町地区よりもこちら、合掌造り民家園のほうが保存という側面では歴史があるといってもいいかもしれません。その長い歴史の中で350万人という入場者を記録したというわけです。雑踏とか喧騒という言葉を思い起こさせる荻町地区(なにしろ 混雑が予想される日ですから)に比べて、こちらは人も少なく、落ち着きがあります(そのかわり生活の匂いはしません)。成り立ちも雰囲気も違う荻町地区と民家園、この両方があって白川郷なのかなと思うに至りました。


昼前には白川郷を出ることにしました。白川郷ICまで約3キロ。ICから白川郷に向かう道路は大渋滞です。いつになったら彼らは合掌造りの町並みの間を歩けるのだろうと少し心配してあげながら東海北陸自動車道を南下、自宅に向かったのでした。

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